登山をする人の考え方は好きですが、登山は俗世から逸脱した行為だということを認識すべきだとも思います。
登山を趣味として行う人間は恐らく、幸せを感じる閾値が高い。万全の準備を経て、綺麗な景観に心打たれ、山行を安全に完遂したことに達成感を覚える。それがいつしか生活の糧となり、人生に不可欠なものとなっていく。
これは日々下界でのみ生きている人間にとっては必要のないことであり、それをしなくとも趣味を見つけ、人生を十分に楽しめる。彼らにとっては、街に楽しいことが沢山あるのになぜわざわざ危険を犯して山へ行くのか、なぜヒグマが多く出るという山を選ぶのか、見当もつかないだろう。
山屋が狂っているというのは世間の共通認識であり、恐らく私たちが登る山自体にも思われている。なにが面白くて登ってくるんだコイツら。なんで自分から危険なところに挑戦しに行くんだ。って。
悲しきかな、それが私たちの立ち位置でもある。しかし、だからこそ、周囲の人間や自然に最大限の配慮を持って登りに行く。悲しませることが起きないように、起きてもすぐ連絡がいって駆けつけられるように、心配がないように、自然を壊すことがないように。その上で事が起きてしまったのであれば、世間からお叱りを受けるのは仕方がない。私たちはそれを素直に聞き、思いを共有できる人間たちだけで続けていくしかないのだ。
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