地震以来、ちょっと世の中おかしくないでしょうか?
危険が迫ったり困難に出会ったりしたときに「怖い」「いやだ」「疲れた」「逃げ出したい」と思うのが自然です。身を守るための当然の反応です。
ですが最近の世の中には、それを押さえ込んで無理をすることを善とするかのような、おかしな風潮があるように感じます。
先日もTVで子持ちのお母さんにインタビューしている場面で「(放射能について)あまり気にし過ぎないようにしているのですが・・・」と答えているのを見かけました。私は子供がいないので推測するしかありませんが、母親というものはどんな状況でも全力で子供を守ろうとするものだと思っていましたが、そういう「不平不満を言わない」的な風潮に「洗脳」されていて、母親として当然の防衛本能すら押さえ込まれているのでは、と思い薄ら寒い気持ちがしました。
山の話題でなくて申し訳ないですが、どうしてもひと言発言したかったもので・・・。
うわ考え方がゆとりでヌルイ
>危険が迫ったり困難に出会ったりしたときに
>「怖い」「いやだ」「疲れた」「逃げ出したい」
>と思うのが自然です。身を守るための当然の反応です。
え〜と 上のことでちょっとお伺いしたいのですが
山に登る場合に「怖い」「いやだ」「疲れた」「逃げ出したい」
という理論を振りかざして頂上に立てますか? 立てませんね絶対
つまりあなたの立てたスレッドは山関連のSNSには向かないスレッドです
どっかの紳士の社交場にでも向かわれたらいかがでしょうか
状況を克服するためには感情のコントロールが必要だということを
山から経験しなかったのでしょうか?
そもそも山に登ったことがあるのでしょうか?
てか捨て垢での発言かい? 初めての書き込みのようだが
FOMMYJUKさん、はじめまして。横レスすみません。
レスがあまりにも心無いと感じたので、書き込みさせてもらいます。
登山をする場合、たとえば雪崩や吹雪、暴風雨、低体温症などのリスクがあれば、
当然そのリスクに対して備えますし、あまりにもリスクが大きければ
撤退や登山中止という選択肢もあり得ます。
猛吹雪で遭難の危険性が高いのに、突っ込むのは無謀ですし、
状況によっては自殺行為でしょう。
登山をやっていれば、自身の感じる恐怖や負の感情を冷静に見つめるべきだし、
感情のコントロールも必要ですが、それは、登山行為に潜む危険性に目をつぶって
やみくもに突進することではないはずです。
FOMMYJUKさんの今回の日記の主旨は、いわば雪崩の危険があるにもかかわらず、
その危険性を知りつつ雪崩の起こりそうな斜面を横切る登山者のような母親
=世間の風潮?を批判することだと私は理解しました(的外れならすみません)。
私は、FOMMYJUKさんの意見に100%賛同するものではありませんが、「山関連のSNSには向かないスレッドです
どっかの紳士の社交場にでも向かわれたらいかがでしょうか」などと批判されなければ
いけないのようなことを書かれたとは思いません。
私はただの登山愛好者に過ぎませんので、山で身に危険が迫れば撤退もしますし、
疲れてバテれば予定変更したりもします。去年の秋も、人気のない山中でなぜか
下山した方が良いように思えてならず、予定を短縮して下山しました。
この私の姿勢は、困難な課題に立ち向かうアルピニズム的ではないかもしれません。
そのような軟弱人間は山関連のSNSは利用するべからずということなのでしょうか?
私にはそのような思考の方が逆に恐ろしく思えます。
FOMMYJUKさんは日記を公開されたのは今回が初めてのようですが、
山行記録もいくつか公開されていますし、
決して捨てIDで発言されたわけではないと思います。
プロフィールをみればすぐに分かることではないでしょうか。
ヤマレコにおいて、短絡的に、他人を侮辱するような
書込みが行なわれたことをとても悲しく思います。
FOMMYJUKさんには、私のこのレスも含めてコメント削除(日記そのものの削除ではありません)の機能を使って
削除されることをおすすめします。
どうか気にしないで、これからもヤマレコユーザであり続けて下さい。
今後もヤマレコが悪意のない場所であり続けられるよう願ってます。
失礼いたしました。
こんにちは。
確かに『危険が迫ったり、困難に出会ったりしたとき』であれば、「怖い」「いやだ」「疲れた」「逃げ出したい」と思うのは自然です。
ただ、それは最初の段階の話で、逃れることができない、疲れても休めない状況として、認識される段階になると、『今できることをする』『少しでも明るい未来を考える』というのも正常な人間の防衛本能でもあります。(精神的崩壊から自衛するための本能)
母親の様に、守らなければならない人がいるのなら尚更ではないでしょうか。
たとえば、あなたが大切な人と一緒にいるときに、暴漢に追いかけられたとします。初めにすることは、逃げる事とか、交渉する事です。それが不可能と分かったとき、あなたは大切な人を残して独りで逃げることだけが正常な防衛本能だと思いますか。
まぁ、彼女くらいだったら逃げちゃうかも知れません。が、古女房とか子どもとか、自分の生活や身体の一部になっているものを放りだして逃げるというのは、正直、簡単にできることではないと思います。窮鼠ネコを噛むという古くからの諺があり、また、子連れの母熊ほど危険で神経質なものは無いともいいます。
また、それとは別に子を持つ親ならだいたい経験があると思うのですが、『親の感情は子に伝染する』という傾向があります。親が怒れば子も怒り。親が不安になれば子も不安になる。親が笑えば子どもも笑う。母親は本能的or子育て中にそのことが分かっていますから、子どもの前では無理してでも明るく振る舞います。
そう考えると、母親の言動というものは、確かに無理はしているかも知れないけど、別におかしことでは無いと思います。
まぁ、メディアには健気にがんばる姿を美しいとする風潮があるかも知れませんが、当の被災地では、のんびりテレビをみて、それに影響されている余裕なんて無いわけで、FOMMYJUKさんがTVを通してみた被災地とは違う『現実』があると思いますよ
みなさん、コメントありがとうございます。
一部の方には、私の言わんとすることがうまく伝わらなかったようで残念です。それでも時間を割いて私の日記を読んでいただいて、コメントをいただいたことには感謝します。
koodooさんのおっしゃるように、避けうる危険をあえて避けないのが美徳、というような空気があるのではないか、ということを危惧している、ということが言いたかったのです。
悪意のない場所であってほしい、楽しい場所であってほしいという意見には私も異論はありません。ただ、私としても考えた上で公開した日記ですので、削除はせず、このままみなさんに見ていただきたいと思います。
その状況に対する有効な判断や行動が提案されるなら
私の最初のスレッドは削除するし 謝罪もするが
ただの不安をあおるだけのアジテーションに過ぎないものには
私は何もしないのであしからず
おはようございます
あれだけの天変地異があったので、
世の中おかしくならない方が変ですね。
『本能を押さえ込んで無理をすることを善』
とする風潮というのは、裏を返せば、
『本能的にやることさえ否定される世の中』
『避けうる危険を本能的に避けてしまうのは卑怯』
といった風潮になることへの危惧ということでしょうか。
確かに、そんな世の中になってしまうと困ります。
実際、避難や疎開をする人に対して、
否定的な発言を耳にしたことがありますが、
気分は良くないですね
一方、被災地では我が身の危険を顧みず、
捜索や医療支援、復旧工事の為に、
遠方から乗り込んで来ている人もたくさんいる筈です。
そういう人達の行動は、
まぎれもなく『善』であり『美』であることは間違いないですね。
まぁ、メディアが流す情報は、古今東西、偏りがあり、
おかしいものが多いです
名古屋以西の人は、比較的冷静に物事を見られるので、
感じたことは素直に日記書くのも良いことだと思います。
みなさん、おはようございます。
q0u0pさん
先のあなたの無礼きわまりないコメントや、その後の開き直ったとも受け取れる日記を拝見していますと、残念ながらまともに対話が成り立つとは思えませんし、あえてコミュニケーションをとろうという気も起きません。以後、当方へのコメントなどはご無用に願います。
ihara1990さん
コメントありがとうございます。
まったくおっしゃるとおりです。
世の中、いろんな考え方・感じ方の人がいて当然で、それを「非常時だから」のひとことである特定の考え方を押し付けようとする風潮があるように感じたのです。
私は大阪ですので、身辺にこれといった異変があるわけではなく、マスメディアやネットなどの情報のみで判断しているわけですが、とくにtwitterなど一般の個人が発信しているものの中にそのような傾向が見られるようになったため、ちょっとこれはまずい兆候なのではないか、と心配していたのです。
FOMMYJUKさんへ
なかなか時間がとれず、拍手でだけ意思表示していました。やっと、拍手の理由を書くことができます。
あなたが感じた問題は、実は、当の原発、放射線医学分野の研究者もふくめて、どう扱うか、意見はまとまらないでいる一面で、強い問題意識をもたれているテーマです。
あたなの意見に共通するものとして、私は、事故後の3月18日、都内での日本学術会議の緊急集会での「声明」を、ここに示しておきます。
日本学術会議とは、「学者の国会」とも呼ばれていますが、日本の学術・研究者の総意を内外に代表する機関です。
声明で、ここで議論されていることにもっとも関連するのは、次のくだりです。
「第2に、未曾有の災害に直面して国民が覚える不安感は、直面するリスクに関する正確な情報が、必ずしも的確に伝達されていないことに起因することが少なくありません。たとえ深刻な情報であっても―むしろ深刻な情報であればあるほど―正確に国民に伝えられるべきものです。そうであればこそ、事態の深刻さを冷静に踏まえた適切な行動を求める呼びかけは、人々を動かす力となるものだと思います。放射性物質の漏出問題はその適例であります。」
原子力防災問題では、原子力安全条約を日本よりもはるかにしっかり遵守している欧米の国ぐにでは、事故の正確な事実、予想される被害想定の各段階、それがもたらす影響を、徹底的に検討し、公表し、地域ぐるみ、また国家的な防災作戦をとる構えをとっています。
災害は、自然災害でも、人災でも、何が脅威なのか、それにどう備えるか、いまは想定のうちどの段階の被害に立ち向かっており、今後何に備える必要があるか。
これらが広く確認されてこそ、的確な対応をとることができます。
日本では、まったくその逆。
(事故想定から外してきたから、だから海水注入も、消防力の動員も、真水の手配も、後手後手にまわるのです。放射能が低い初動の段階を逃したことは、その後のすべてを規定してしまったようです。)
この緊急集会でも報告されましたが、原子力安全委員会がみずから検討していた放射能の拡散予測さえ、この集会で指摘されるまでは、隠されていました。
公表されたのは一昨日です。
その問題を集会で明らかにしたのは、原発反対派の学者ではありません。世間では原発推進と目されている原子力委員会の元委員が、このことを指摘しました。
また、彼は、アメリカ原子力規制委員会が今度の事故後、独自に作成した「被害予測」を、その場で公表し、アメリカ政府と東京の大使館が行った「アメリカ人の退去勧告」の根拠を紹介していました。
(まあ、日本では、避難地域を広げるは、人口密度や国土面積からみて、無理ですが。つまり、原発の立地がもっとも困難なはずの国が、日本であるわけですが。汚染地域の予測は十分できるし、住民は水も含めて備えることができます。)
あなたの感じたことは、事例を上げればきりがありません。野菜や土壌の汚染、水道水の汚染、海水の汚染、放射能は閉じ込められているという嘘。丹念に経過をつかめば、予測できることだし、私も事前、事前に書いてきたことです。
いずれ、現場の放射線レベルがあがり、人間が近づいて作業ができなくなりつつあることも。
「冷静に」「落ち着いて」「ただちに影響はない」「デマに惑わされるな」「電源がつながれば局面が開かれる」などといいながら、結局は、マスコミもまた進行する事態の後追いをしてきたのが、現実だったように思います。
大手のマスコミのなかで、この集会の内容と声明を伝えたのが、「日経」だけだった、というのが、いまの現実です。結果、その集会で公表された事実を、1週間遅れで後追いすることになりました。
でも、そのことを言ってみても始まらない。
情報は受け取る側の問題もあります。
かなりの事実は、一方で読み取れる形で明らかになっている。読み取る側の態度も大きな問題だと思います。
研究者が新聞やテレビで解説する場合、キャスターやテレビ局の思惑を超えて、大事なことをきちんと述べる場合が、今回の経過でもしばしばあります。
いまの段階ではこうだが、こんご進展すれば・・・とか、大人と子どもへの影響をきちんと区分けした説明とか。
いまの事態を不必要なまでに心配させるのではなく、きちんと怖さ、危険をつかみとってもらう。注意深く発言している中身を、つかみとるのも、聞き手の責任だと思います。
(NHKの原発解説記者では、2人の態度が対照的。夜のNHK9時台のキャスターの男性は、局の方針の枠で単純化しすぎるから、専門家の解説の醍醐味を浅く伝えちゃっています。)
はじめまして。pamir88といいます。
おっしゃる事は私も同感です。日本人の特徴だと思うのですが、多数の人間がそう云うと、自分もそうあらねばならないと思うのです。つまり、多様性を受け入れる余裕が少ないのではないかと以前から思っていました。
ここのコメントを拝読すると、余裕のない方もいるようですね。
ちなみに、私はどこの山に行っても「怖い」「いやだ」「疲れた」「逃げ出したい」といつも心の中で叫んでいました。でも、そこそこのピークやルートを登りましたよ
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