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毎週金曜日はだいたい早めに就寝し、土曜日朝4時起きで準備し、山に登っている。県外の山が多く、高速をよく使う。雪山は登らないが、登山口近くが積雪していることもありうるので、ジムニーに乗っている。まだ雪道を走ったことはないが。
この日も土浦北ICから高速に乗った。首都高C1を経て東名に乗り、しばらく走っていたところ、突然「ドーン」という音と強い衝撃があり、身体が宙に浮いた。そのまま何もできず、身体が揺さぶられ続けた。音はガタガタ、ゴトゴト、ガシャガシャという感じ。視界は、車内の様子が見えていた記憶がある。
あとで事故の様子を聞いた。片側三車線の中央車線を時速100kmくらいで走行中、右後ろに追突され、転がりながら左の壁に激突し、そのまま車線を横切り、さらに別の車両に追突され、中央車線に反対向きに止まった。幸い車両の天地は元通りだった。
よくわからないが、事故に巻き込まれ、ひどいことになったことだけはわかった。アドレナリンのせいか、事故直後は痛みは感じなかった。シートベルトをなんとかかんとか外し、外に出ようとしたが、運転席のドアは開かなかった。助手席のドアが開いたのでそこから外に出た。高速道路上だったが、大破した自分のクルマのほか、荷物が散乱していて、他の車両は自ずと事故現場を避けているようだった。まず、携帯電話や財布を探したが、なかなか見つからなかった。運転中は靴を脱ぐので、靴もなかった。トレイルランシューズを5足ほど車両に積んでいて、そのいくつかが散乱していたので、それを拾って履いた。左右別のシューズだった(右:HOKA ONE ONE Speedgoat2 GTX Mid Earthgreen、左:HOKA ONE ONE Challenger ATR7 Skyblue)。
二回目に追突した車両、あとでF、と聞いたが、それも停車していた。家族連れらしく、男性が出てきて警察と救急車に電話します、といってくれた。お願いします、と答え、携帯電話と財布を探し続けた。それぞれなんとか見つかったが、携帯電話の電源は入らなかった。左手から血が出ていたので、散らばっていたバスタオルで出血箇所を押さえた。
車両Fの男性は、散乱した瓦礫をどけ、自分の車両を道路脇に移動させ、転がっていた発煙筒を着け、道路に置いてくれた。自分は道路脇に座り込んでいたが、車両Fの女性が、寒いから車内で待ちましょうと言ってくれた。ありがたく車両に乗り込んだ。家族連れらしく、幼い子供もいた。無邪気に会話していたので、怪我などはなかったのだろう、と思った。その時点では、気が動転していて、この車両Fが最初に追突したのかそうでないのかもわからず、事故について話しをする気にもなれなかった。
そうこうしているうちに、まず救急車が来た。歩けたので、車両Fの男性にお礼を述べ、自分で歩いて救急車に乗り込み、ストレッチャーに横たわった。救急隊員から、痛みがないか、気持ちが悪くないか、など聞かれた。その時点では痛みも気持ち悪さもなかった。念のため、と言いながら、首にサポーターを巻いてくれた。前後して、NEXCO中日本の人と、警察が来た。NEXCO中日本の人は、レッカーを手配します、と言った。警察は、事故の状況を聞いてきた。事故直前、3車線の中央を走っていたはずだが、そのときはちょっと記憶が曖昧で、だったはず、と答えた。はっきりしないの?とやや怪訝な感じだったのが印象的だった。ドライブレコーダを見ていいかと聞いてきたので、もちろんと答えた。最後に警察の連絡先の紙を渡された。
この前後、連絡先を聞かれた。自分の携帯番号と、自宅の固定電話を答えた。固定電話にかけてくれたが、つながらない、と言われた。あとでわかったのだが、自宅では迷惑電話がイヤで回線を抜いていたらしい。妻の携帯電話番号を覚えていなかったので、家族親族への緊急連絡ができないことがわかった。
搬入先は、比較的早く決まった。たぶん一つ目の病院でOKだったと思う。ガタガタ揺られながら、体感10分くらいで病院に着いた。余談だが人生で二度目の救急車搬送だった。病院に着いてからだったか、その前だったか忘れたが、医者か、救急隊員が目を調べ、「瞳孔不動がある」と言った。聞き慣れない言葉だったのでビビったが、あとで調べてみると、まあたいしたことではなさそうだった。
病院でいろいろ聞かれた。左手の裂傷以外に、右腿の外側奥に鈍い痛みがあった。たぶん打撲だろうと思った。その時点では、それ以外に自覚症状はなかった。結局、脳のCTスキャンと、左手・右腿のレントゲンを撮った。脳は異常なし、骨折もなし、と言われ、少しホッとした。次に、左手の裂傷を縫いましょう、言われた。ベッドごと洗面台まで移動し、仰向けのまま手を洗ってもらった。次に局部麻酔のため何回か注射を打たれた。程なくして麻酔が効き皮膚感覚がなくなった。三箇所、計七針ほど縫った。麻酔が効き、痛みはまったくなかったが、怖くて縫ってるところを見ることはできなかった。普段定期的に献血していて、針がささるのを見るのは怖くないのだが、このときは怖くて見られなかった。事故直後なんでもなかったのに、このとき初めて冷や汗をかいた。縫合箇所には化膿止めみたいなクリームがべっとり塗られ、ラフに絆創膏が貼られた。
手の縫合が終わり、入院にでもなるのかな、と思っていると、ではこれで以上ですのでお会計してくださいね、と言われ驚いた。かかりつけ医や行きつけの外科を聞かれ、そんなものはないのでないと答えた。宛先なしで紹介状を書いてくれ、抜糸が必要なので、早めに整形外科に行って縫合箇所を見てもらってほしい、と言われた。
会計は、9万円超だった。保険証あるけど、と聞くと、交通事故の場合は全額いただきます、と言われた。通常の健康保険でカバーするのではなく、自賠責保険や任意保険でカバーするのだろう、と思った。財布があり、クレジットカードが生きていて助かった。
携帯電話が壊れていて、自宅の電話もつながらず、病院からも追い出され、とにかく自宅に帰るしかない。幸い病院の正面玄関にタクシーだまりがあり、すぐタクシーに乗れた。運転手に、近くの駅と、常磐線への乗り継ぎを聞くと、新百合ヶ丘から代々木上原に行き、千代田線に乗ればいい、と教えてくれた。左手は血が滲み出していたので、拾っておいた手袋をつけた。ウィンドパンツも血だらけでだったが、それはどうしようもなかった。血だらけで電車に乗ってはいけない、という法はないし、乾いていたので乗客に迷惑はかからない。
新百合ヶ丘に着き、とりあえず、ここで警察に一報入れとこうと考えた。駅員に公衆電話があるか聞くと、改札内にある、と教えてくれて、改札を通してくれた。電話すると、警察の感じは最初とはずいぶん違い、怪訝さが消えていた。ドライブレコーダーを見たようで、自分が中央車線を走っていたこと、時速100kmも出ていなかったこと、突然衝撃があったこと、などがわかった、とのこと。ようは、最初は自分のことを胡散臭く思っていたようで、ドライブレコーダーを見てこちらにはまったく非がないことがわかったらしい。そして追突した車両は逃走しているが、全力で捕まえる、と言ってくれた。そして、長い保留音ののち、できれば今から警察に来て、被害調書などの作成に協力していただけないか、と言われた。家族と連絡が取れないので一刻も早く自宅に帰りたかったが、当て逃げ犯人の検挙に協力すべき、と考え、承諾した。今から電車に乗り、本厚木駅まで来て欲しい、そこでピックアップする、とのこと。こちらの格好を伝え、警察官の格好を聞き、電車に乗った。携帯のSuicaが使えないので、久しぶりに現金で切符を買った。
本厚木駅で下車。覆面パトカーにピックアップしてもらい、県警高速隊A分駐所に向かった。かなり古そうな建物だった。裏口から入り、狭い廊下の待合スペースで待たされた。待たされたあと、狭い取調室で、事故の様子を事細かく聞かれた。とは言え、ドライブレコーダーがあること、こちら側が100%被害者であるので、特にイヤな気持ちにもらなず、淡々と調書作成が進んだ。調書作成は若い隊員が担当。上長による何回かの加除修正を経て完成。署名と指紋押印した。調書の文書中に、「加害者を許せない」という一文を入れることにこだわっていたように見えた。被害届の体裁を整えるのに必要な一文だったと思われる。こちらとしては、当て逃げするような人物には会いたくもないし、理解もしたくない、という思いが強く、そいつが処罰されようがされまいがどっちでもいい、という感じだった。調書作成中話しかけてくれた、上長らしき人にも、その気持ちは伝えた。一方で、必ず捕まえますからね、と力強く言ってくれたのも、刑事ドラマみたいで、印象的だった。
今できることを全てやり終え、警察車両で本厚木駅まで送ってもらうことになった。帰り際、署内で「通訳がいるな」とか言っているのが聞こえ、犯人はまさか外人?と思った。警察署から車両が出る際、左前面が大破した、相模ナンバーのセダンがレッカーで運ばれてくるのとすれ違った。たぶん犯人の車両だろう、と思った。車中、警察官といろいろ話しをした。ジムニーはこだわりがあって乗ってらっしゃったんでしょう。残念ながら大破してるのでもう廃車でしょうね。最近うちの署の者も何人かがジムニーを買っていまして、けっこう人気ですよ。大怪我がなかったようで、不幸中の幸いですかね。ジムニーは頑丈なのかもしれませんね。土浦からこちらまで何をしに?登山ですか。松田山?格好がそんな感じかなぁと思っていました。警察官は、本厚木から土浦までの最速経路を調べてくれた。本厚木→代々木上原→柏→土浦、とメモに書いてくれた。
本厚木で切符購入。とにかく現金で切符を買って、切符をとおせる改札を探してとおる、というは久しぶりの体験だ。代々木上原で乗り換えるのだが、改札を出ないで乗り換えられるので、あとで精算しなきゃ、と思った。Suicaがいかに便利か思い知った。柏までは、千代田線各駅なので、長かった。一時間くらいか。携帯もないので、暇つぶしできず困った。日暮里で常磐線に乗り換えてもよかったが、柏から特急に乗ったほうがよさそうだったので、我慢した。柏で不足分を精算し、改札を出てから、券売機で特急券を買った。出発数分前だったが、無事乗ることができ、土浦駅まで帰った。PM3時頃だった。
タクシーで自宅に戻り、孫がいたのでその携帯で妻に電話し事情を説明した。いつも登山開始時に通知のメールが出るが、今回はなかったので、心配しているかなと思ったが、そうでもなかった。もちろん事情を知ったときは驚いていた。そのうち息子が帰宅し、X(Twitter)の写真を見せてくれた。大破したジムニーが写っていた。事故直後、自分でも撮影したかったが、携帯が壊れてできなかった。しかし今どきは誰かしら撮影してXにポストしてるんだなぁとしみじみ思った。事故で2車線が塞がれ、三連休初日の朝の東名が大渋滞だったようで、ポスト内容は、渋滞への恨み節だらけだった。オレは悪くないけどね。それにしても、改めて写真を見て、よくもまあ大怪我しなかったなぁとしみじみ思った。
固定電話を復旧させ、警察に電話した。すると、犯人を確保した、と告げられた。[詳細略]のAだと言われた。日本語は全く話せない、とのことだった。謝罪している、ということだけ伝えられた。事故に至る経緯、逃げた理由など、それ以上はこちらからは聞く気もないので何も聞かなかった。窓口となる、[詳細略]の連絡先だけ教えてくれた。
夕方になり、右膝に違和感を覚えた。夕食後、風呂に入らず早めに寝た。
翌日朝、風呂に入った。膝の痛みはひどくなった。正面方向に曲げるのは問題ないが、左右に振ったり、捻ったりすると痛みがあった。側副靭帯が痛んでいるんだろう、と思った。
さらにその次の日、整形外科に行った。膝の痛みについては、レントゲンの結果骨には異常なし。超音波検査で、右膝内側の側副靭帯が損傷していることがわかった。治るのに、6週間とか、そういう時間がかかる、と言われた。ギブスか、大かがりな装具が必要ということだった。翌日装具屋さんが来るので、改めて来院し、相談することにした。