1996.6月、甲信越の苗場山方面の棒沢に相棒のI氏と向かった。
苗場プリンスホテル脇からの林道を辿ってゲートで入山祝いの宴会開始は翌日の02:30を過ぎていた。
真面目な沢屋は不眠で歩きだすのだろうが不真面目な釣り&沢宴会師の我々は空が明るくなった夜明け頃から惰眠を貪り、歩き始めたのは昼前だったと記憶。
駐車広場から登山道を20分ほど歩いて鉄の橋の沢が棒沢でそこから入渓。
しばらく進むと深い淵が現れ雪シロの冷たい沢水に胸まで浸かって左岸のバンドから3m滝をやりすごし、その後は腰まで水に数回浸かりながら開けた河原に到達。
日当たりの良い河原で単独の釣り師が昼寝をしていた。
ひと気が無い源流での突然の人間との遭遇は脅威であるので故意にエイトカン&カラビナをガチャガチャと音をたてて近づいたその時、釣り師は私に「お願いします、救助隊を呼んで下さい」とか細い声で呟いた。
状況を聞くと、しばらく先の滝を登れずに右岸を高巻いたが巻ききれずに尾根を下降、往路を辿れずに岩稜帯を下降したが10m滑落して右足と腰を痛めて下肢は全く動かせず、滑落地点は日陰なので陽の当たる暖かい川原まで上腕のみでなんとか移動したとの事。
滑落箇所を見ると映画のクリフハンガーの撮影現場の様なほぼ垂直に近い岩場で木々のホールドは皆無でザイルを含めた登下降具は一切無いとの事、こんなところを下降するのは明らかに判断ミス。
怪我の状況だが遭難者はネオプレーンタイツを履いていた為に外部からの目視だが右足はタイツに出血が滲み出し不自然に曲がり間違えなく複雑骨折、折れた足の骨は皮膚を貫通して飛び出している模様、更に腰に激痛があるとの事で腰椎も骨折の可能性大。滑落事故からすでに5〜6時間経過して感染症の恐れもあり生死の影響までは無くとも一刻も早い治療が必要と判断。
この時まで遭難者の方は死を覚悟していたと思ふ。
人の訪れ少ないマイナーな沢で下肢は重症で自力歩行出来ずに5〜6時間激痛を耐え忍び己の死に直面してたと思ふ。
正に地獄で仏に出会ったかの様な形相の眼であった。
全身からアドレナリンが噴出した!
ザックをデポしてI氏を現場に残し救助要請に全力で走って下山する。
往路で腰まで水に浸かった淵は最短距離で胸まで沢に入って流されながら通過。
胸まで浸かった3m滝下は1m上のバンドからジャンプして足からゴルジュの淵に突っ込み泳ぐ。
全身濡れネズミで登山道に合流後、赤湯に向かう登山パーティーに事情を説明し携帯電話を借りて救助要請を試みるが圏外で電波は通じない。
登山パーティーをかき分けゲートから車を最短施設の湯沢ミニゴルフ場まで走らせ支配人に状況説明して救助要請。
救助ヘリが配備できない場合は「陸路での現地案内が必要なのでその場で待機してほしい」との事で一時間ほど待機するが衣服が全て濡れているので寒くて全身の震えが止まらない。
その後救助隊より「救助ヘリが出動した」との連絡があり、自分に出来る最善の努力は尽くしたその反動の脱力感で肩の力が抜けてふにゃふにゃに。
それでもI氏とマイザックの待つ遭難現場に戻らなければならない。
I氏は高校の同級生で付き合いも古く、あうんの呼吸で遭難現場の広川原にタープを張り焚き火を燃やして私の戻りを待っててくれているはずだ!
帰路の棒沢手前の登山道では遭難者を救助したであろうヘリが低空で頭上を飛び立ち両手を振ってエールを送る。しかし疲れて足取りは重く本日3回目の胸までの遡行はきつかったがなんとか遭難現場に到着。
しか〜し、どうも様子がおかしくI氏の姿も無くマイザックも無い、現地にはカップラーメンひとつだけが転がっている。
I氏特有のジョークで高台にテン場を造って物影から私を驚かす作戦と思慮して大声でI氏を呼び出します。
「ははは〜、お前が隠れているのは判っているぞ〜!」
「・・・」
「ははは〜、今なら許してやるからでてきなさ〜い!!」
「・・・・・・」
「ぉ〜ぃ、、早く出てきて〜、、、」
「・・・・・・・・・」
人の気配は全く無く、棒沢下流方面は日が落ちてきました。
私の所持品はカップラーメン&煙草&ライターのみです。
すわっ!これでは俺が遭難してしまう!!
駐車場へ向かって沢を下降し3m滝下を胸まで浸かり(本日4回目/泣)ボロボロになって駐車場へ戻ります。
当時の衣類は現在とはかけ離れており、化繊タイツ&ジャージ装備で雪シロの沢に浸かると冷たさを通り越して痛いのなんの!
駐車場に到着、車はありました!
しか〜しI氏はおりません、、、。
日暮れで薄暗くなった駐車場で全身濡れネズミでガタガタ震えているとこちらに向かってライトを点灯した一台のパトカーが登ってきます。
パトカーには相棒I氏とマイザック!!!
I氏は上空にホバリングのヘリから下降した救助隊員に有無を言わさずにハーネスにワイヤーを固定されて釣り上げられ事情聴取の為に同行された模様(ヘリの爆音で会話も聞こえない中でイキナリ釣り上げられ、オマケに釣り上げ中にクルクル廻り続けて生きた心地がしませんでした/本人談)
しかし苦労して救助通報に走った私と比べて相棒I氏は楽をしてヘリにも乗れて羨ましいと思っていましたが、I氏を現地に残して大正解!
遭難者のネオプレンタイツ内は大量出血しておりI氏は止血・壊死防止の知識が有り患部が壊死しない様に15分間隔で止血&開放を繰り返したとの事で出血を防止できたと聞きました。
その処置が無ければ事故からの時間も経過しており感染症・出血多量等で状態はかなり悪化した模様です。
その後遭難者親族より御礼の連絡があり、本人の今後は通常歩行は無理までも補助具不使用での自力歩行は可能との事で感染症による足切断等も無く約半年で退院予定との事でなによりでした。
一ヶ月後、新潟県警から感謝状とテレホンカードが届きました(^^
大変な思い出ですね。
それにしても二重遭難の可能性があったわけですが、御無事で何よりでした。
このような場合、警察や救助ヘリ側が何らかの情報をKURIRINさんへ伝えることが出来ないものかと思いました。
テレホンカード1枚ですか
うーん絶句
hachiさん、有難うございます。
当時は私も若くて2往復目の行程は酒宴での良き笑い話になりましたが、現在なら警察に猛烈にクレームをつけていると思います(笑)
jinzaemonさん
親族より栃木コシヒカリ20キロが送られてきましたが収支はマイナス
それでもマイナーな沢で遡行者は少なく当日自分達が遭難者を発見できなければ一晩持たず心肺停止の可能性大で命が助かって良かった
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