赤城・榛名・荒船
内山城跡(うちやまじょうあと) / 仙蔵の要害 千道の要害、石尊山

最終更新:MUSICA001
基本情報
標高 | 584m |
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場所 | 北緯36度36分22秒, 東経138度47分54秒 |
内山城は中世の山城で、仙蔵城(要害)や千道の要害と呼ばれました。城は四万と沢渡の分岐地点東、崖上の尾根にあり、守り堅固な天然の要害で、嵩山城の外郭として重要な砦でした。当地が追手で、本丸最高地点まで比高は約150mです。城は尾根式並郭構えで、尾根中央の大堀切りで南北に二分され、本丸は北郭にありました。随所に段状の曲輪や堀切などの遺構があり、往時をしのべます。
『加沢記』に、戦国末の永禄六〜八(1563〜65)年に仙蔵城(要害)の名が見られます。同八年の嵩山合戦で、武田方の真田幸隆が、「仙蔵の用害に懸け上がり、軍の下知をし給けり」と同書にあり、真田勢はこの城を足がかりにとしましたが、嵩山城落城後は、存在意義も薄れて廃城になりました。
平成17年3月 中之条町教育委員会
(現地案内板より抜粋・一部漢数字をアラビア数字に変換)
『加沢記』に、戦国末の永禄六〜八(1563〜65)年に仙蔵城(要害)の名が見られます。同八年の嵩山合戦で、武田方の真田幸隆が、「仙蔵の用害に懸け上がり、軍の下知をし給けり」と同書にあり、真田勢はこの城を足がかりにとしましたが、嵩山城落城後は、存在意義も薄れて廃城になりました。
平成17年3月 中之条町教育委員会
(現地案内板より抜粋・一部漢数字をアラビア数字に変換)
山頂 |
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