ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

篠ノ丸城址(ささのまるじょうし) / 一本松

都道府県 兵庫県
最終更新:Ham⭐
基本情報
標高 324m
場所 北緯35度00分48秒, 東経134度32分08秒
カシミール3D
城址に妙見宮(妙見大菩薩)の祠がある。

篠ノ丸城(別称:広瀬城)は西播磨山城11(イレブン)の一つ
https://www.nishiharima.jp/yamajiro/sasanomarujo_page

篠ノ丸城は、宍粟市山崎町の最上山(さいじょうさん)北の通称「一本松」山頂に築かれた山城です。登山道も整備され、比較的山頂まで登りやすい山城で、山頂からは、山崎の町並みや揖保川を望むことができます。
 主郭(しゅかく)南側の虎口(こぐち)脇には、城跡を示す石碑が建てられています。この山城の最大の見どころである、北側斜面を覆う大規模な畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)をはじめ、堀切、土塁、横堀などの遺構が残っており、山城初心者におすすめしたい山城の一つです。
山頂
展望ポイント

山の解説 - [出典:Wikipedia]

篠ノ丸城(ささのまるじょう)、または広瀬城(ひろせじょう)は、兵庫県宍粟市山崎町横須・門前ほかにあった日本の城(山城)。黒田氏の史料に見える、1580年(天正8年)に黒田孝高が入城した「山崎の城」をこの山城に比定する説もある。
揖保川とその支流・菅野川に挟まれた河岸段丘上に広がる宍粟市の中心街・山崎町北側の、最上山(さいじょうさん)の北西に位置する標高324メートルの「一本松」とよばれる山上に築かれた連郭式山城である。伝承では南北朝時代に赤松貞範の子・赤松顕則が築いたとされる。戦国時代には長水山城と共に赤松氏庶流の宇野氏の城(広瀬城)であったが、宇野氏は毛利氏に属したために1580年(天正8年)に羽柴秀吉によって篠ノ丸城と長水山城を攻め落とされて滅亡した。
筑前国(福岡県)黒田家伝来の『黒田家譜』に見える、黒田孝高が宇野氏滅亡直後の1580年(天正8年)に入城した「幡州宍栗郡山崎の城」とは、最上山南東山麓に所在する現在の山崎城(鹿沢城)ではなく、篠ノ丸城のことではないかと考えられている

付近の山

この場所を通る登山ルート

この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。

「篠ノ丸城址」 に関連する記録(最新10件)

近畿
00:532.7km229m1
  4    1 
2025年08月08日(日帰り)
近畿
03:4012.2km795m3
  12    9 
2025年06月28日(日帰り)
近畿
06:4518.3km1,589m5
  36    136  18 
2025年05月11日(日帰り)
近畿
03:469.8km689m2
  5    3 
2025年03月08日(日帰り)
近畿
01:583.2km248m1
  21    1 
2024年12月08日(日帰り)
近畿
01:134.1km228m1
  16    6 
2024年12月02日(日帰り)
近畿
04:4913.5km822m3
  32    128 
2024年12月02日(日帰り)
近畿
04:1611.1km708m2
  19    16 
2024年12月02日(日帰り)
近畿
03:3012.8km602m2
  20    4 
2024年11月30日(日帰り)
近畿
04:2413.0km811m3
  21    7 
2024年11月30日(日帰り)