ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

県立農林学校隊最期の碑(鉄血勤皇農林隊慰霊碑)(けんりつのうりんこうこうさいごのひ)

都道府県 沖縄県
最終更新:okinawatomato
基本情報
場所 北緯26度38分49秒, 東経128度12分16秒
カシミール3D

山の解説 - [出典:Wikipedia]

鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい、、)は、第二次世界大戦末期の日本の沖縄県において、防衛召集により動員された日本軍史上初の14 - 16歳の学徒による少年兵部隊である。
沖縄戦において正規部隊に併合され、実際に戦闘に参加し多くの戦死者を出した。
太平洋戦争末期になると、戦況悪化、長期化により兵士の不足が深刻となった。そこで陸軍省は、つぎつぎと陸軍省令を発して、施行規則を改正していった。そうしたなかで連合国軍上陸のせまる沖縄では14歳以上の少年を鉄血勤皇隊として防衛召集した
防衛召集は、17歳以上の男子が召集対象であったが、1944年12月の陸軍省令第59号「陸軍召集規則」改正および第58号「防衛召集規則」改正で、一部地域のみ防衛召集の対象年齢が引き下げられた。「前縁地帯」と呼ばれる帝国本土とは区別された地域(沖縄県、奄美諸島、小笠原諸島、千島列島、台湾など)に限り、17歳未満(14歳以上)であっても、志願して第2国民兵役に編入された者は防衛召集できるとされたのである。
これらの陸軍省令について、内務省は、「事実上徴兵年齢の引き下げにあたるので法的には法律である兵役法の改正によってなされるべき」であるとして、憲法違反の疑いもあることを指摘していた。また、「志願」は「事実上の強制」になりうることへの懸念も示していた(法律形式による法整備は、ようやく1945年6月23日に制定施行された義勇兵役法で行われた。それまでは鉄血勤皇隊も含め陸軍省令で改正する規則のみが法的根拠であった)。
実際の手続きにおいても、17歳未満の少年を鉄血勤皇隊として防衛召集するには「志願」して第2国民兵役に編入された者でなければならないが、「学校ぐるみ」での編成ということ自体が強制の契機をはらむ。さらに学校や配属将校が同意なく印鑑をつくり「志願」のために必要な親権者の承諾書を偽造するなど、「事実上の強制」であったような例も多々見受けられた。内務省の懸念は現実のものとなっていたわけである。なお、県立第二中学校のように配属将校が食糧がないことを理由に生徒たちを家に帰したり、沖縄県立農林学校では引率教師が銃殺処刑される覚悟で生徒を家に帰したという例もあった。
これらの点は戦後にも問題となり、遺族援護に関連して厚生省は、鉄血勤皇隊における17歳の少年の防衛召集には法的手続きに問題があり、無効な防衛召集であったとして、鉄血勤皇隊の少年たちの軍籍を認めなかった(結局、政治的配慮から「事実に基いて、軍人として処理すること」とした)。ことに第2国民兵役に編入するための「志願」について任意性が担保されていない点が問題とされた。
沖縄戦では、憲法違反の疑いもあるこれらの陸軍省令(改正規則)を根拠として、「事実上の強制」すらあった手続きにより、1945年3月に第32軍の命令で、防衛召集された旧制中学生ら1780人による鉄血勤皇隊が編成され、戦闘行為に動員されて、約半数が戦死した(17歳未満の戦死者は567名)。
戦後、生還した元隊員の一部は沖縄戦の悲惨さを伝える語り部として活動している。

付近の山

この場所を通る登山ルート

この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。

「県立農林学校隊最期の碑(鉄血勤皇農林隊慰霊碑)」 に関連する記録(最新10件)

九州・沖縄
--:--1.6km41m-
  1    2 
2024年08月14日(日帰り)