(はじめに)
この「日本の山々の地質」という山ノート連載のうち、第二部 北アルプスは、合計26章(トータル 30項以上)にもなりましたが、稜線上のほとんどの山々の地質についての解説は終わりました。
最後に、山ではないですが、黒部渓谷下流(いわゆる「下の廊下」)あたりの地質について、解説します。
最後に、山ではないですが、黒部渓谷下流(いわゆる「下の廊下」)あたりの地質について、解説します。
1)黒部川沿いの「下の廊下」ルート概要
黒部ダムから下流のいわゆる「下の廊下」に沿って欅平(けやきだいら)駅まで行く道は、一つも山頂をめぐるわけではありませんが、なかなかに険しいルートです。
(なお、欅平から宇奈月温泉駅までは、トロッコ列車に乗るが、それなりにスリルあり)
「黒部にケガ無し」という格言めいた言葉がありますが、これは、黒部川付近では、一歩間違えればケガでは済まない(=死が待っている)という意味です。
黒部ダムの下から、トロッコ列車の終点である欅平(けやきだいら)駅までの道は、黒部川に沿っての、岩壁をくりぬいたような道が続き、部分的には手すりなどありますが、一歩足を踏み外せば、ただでは済まない、北アルプス屈指の難ルートです。
また、深い谷筋にあるため、登山道付近は、両側の山々からの雪崩による残雪が多量に残ります。残雪が減って、登山道の整備(毎年行われる)が行われて、ようやくこのルートが通れるのは、8月下旬から10月中旬と短期間です。さらに中間にある阿曽原小屋の営業期間が短い点も、このルートを通る難しい点です。
ところで黒部川は、非常に直線的に南北に延びる谷で、黒部ダムより上も、今は支流となっている東沢谷を含め、直線的に伸びています。黒部川は、北アルプス一帯が急速に隆起する以前からあった、先行河川と考えられており、いわば周辺にそびえる山々より先輩格です(文献1)。
なお、北アルプスが第四紀中葉以降に急速な隆起を起こしたメカニズムとして、東西方向からの圧縮力と、地下浅い部分にマグマや高温岩体があって強度が弱いために、座屈変形を起こしつつ隆起したと考えられています(文献1、2)。
これを折り紙に例えると、後立山山脈と立山山脈が、折り紙の山線、黒部川のラインが折り紙でいう谷線として、くしゃっと折れ曲がったのではないか?とも思います(これは、あくまで私の勝手な想像で、特に根拠や証拠はありませんが・・)。
(なお、欅平から宇奈月温泉駅までは、トロッコ列車に乗るが、それなりにスリルあり)
「黒部にケガ無し」という格言めいた言葉がありますが、これは、黒部川付近では、一歩間違えればケガでは済まない(=死が待っている)という意味です。
黒部ダムの下から、トロッコ列車の終点である欅平(けやきだいら)駅までの道は、黒部川に沿っての、岩壁をくりぬいたような道が続き、部分的には手すりなどありますが、一歩足を踏み外せば、ただでは済まない、北アルプス屈指の難ルートです。
また、深い谷筋にあるため、登山道付近は、両側の山々からの雪崩による残雪が多量に残ります。残雪が減って、登山道の整備(毎年行われる)が行われて、ようやくこのルートが通れるのは、8月下旬から10月中旬と短期間です。さらに中間にある阿曽原小屋の営業期間が短い点も、このルートを通る難しい点です。
ところで黒部川は、非常に直線的に南北に延びる谷で、黒部ダムより上も、今は支流となっている東沢谷を含め、直線的に伸びています。黒部川は、北アルプス一帯が急速に隆起する以前からあった、先行河川と考えられており、いわば周辺にそびえる山々より先輩格です(文献1)。
なお、北アルプスが第四紀中葉以降に急速な隆起を起こしたメカニズムとして、東西方向からの圧縮力と、地下浅い部分にマグマや高温岩体があって強度が弱いために、座屈変形を起こしつつ隆起したと考えられています(文献1、2)。
これを折り紙に例えると、後立山山脈と立山山脈が、折り紙の山線、黒部川のラインが折り紙でいう谷線として、くしゃっと折れ曲がったのではないか?とも思います(これは、あくまで私の勝手な想像で、特に根拠や証拠はありませんが・・)。
2) 「下の廊下」沿いの地質について
さてこのルート沿いの地質は、一口でいうと、ほぼ全て花崗岩類でできている領域です。
まず、黒部ダムから下っていくと、西岸に黒部別山という岩山がそそり立っていて目をひきますが、黒部別山も含めたこの黒部川西岸の一帯は、新第三紀 中新世後期〜鮮新世前期(約7-5Ma)に貫入したと考えられている花崗岩類で、「黒部別山花崗岩」体という名前がついています(ただし、貫入、固化年代は不明な部分があるもよう)(文献1、3、4)。
この花崗岩体の貫入により、剣岳付近を構成している、より古い花崗岩(「毛勝岳花崗岩;ジュラ紀 約180Ma)が、さらに熱変成を受けて硬い岩となったために、剣岳付近は、あのような険しい岩峰となったと考えられています(文献3)。
一方、黒部川の東側は、「黒部川花崗岩」体で出来ています。「黒部川花崗岩」体は、「爺が岳」の章でも少し触れましたが、後立山山脈にそびえる「爺が岳」とその周辺が、火山として噴火した時期(第四紀中葉;約160-170万年前;1.6-1.7Ma)に、その地下にできていたマグマ溜りが、固化して花崗岩体となり、その後の北アルプスの隆起によって地表に現れたものです(文献3,4)。
またこの「黒部川花崗岩」の特徴は、普通の花崗岩部分(珪長質)のマトリックス中に、苦鉄質(Mg,Feが多いマグマ)でできた黒めの小岩体(数十センチ程度)が、「くらげ状」とも呼ばれるような形で混じっていることです(文献3,4)。
この岩体は傾動(東側に傾いている)しているので、鹿島槍ヶ岳山頂部など、標高の高い場所の花崗岩は、マグマ溜りの上部に当たり、固化年代は古め(約190〜220万年前)です。一方、標高の低い黒部渓谷に近い部分は、マグマ溜りの下部に当たるので、固化した時代は新しく、最も新しい年代では、固化した年代が、約62〜80万年前と、深成岩としては非常に新しい年代を示します(文献4)。
元々、花崗岩類は、地下深く(約3-10km)のマグマ溜りのマグマが、地表に噴出しないままにその場で冷えて固化したものですが、100万年以下の若い時代の花崗岩類がすでに地表に現れているのは非常に珍しいそうで(文献3,4)、北アルプスの急速な隆起の証拠の一つにもなっています。
その先、黒部渓谷 下の廊下の見どころでもある「十字峡」や、その先の阿曽原小屋付近も、大まかには、渓谷の西側が「黒部別山花崗岩」、渓谷の東側が「黒部川花崗岩」で出来ています。
阿曽原小屋より先になると、渓谷の東側はまだ「黒部川花崗岩」ですが、西側は「黒部別山花崗岩」の地帯は終わり、より古い「毛勝岳花崗岩」に代わりますが、花崗岩類は見た目はほとんど同じなので、専門家でないと区別はつかないでしょう。
なお、欅平に近くなると、対岸(東側)に、奥釣鐘山(おくつりがねやま;標高 1543m)という山があり、黒部渓谷側の西面は大きな岩壁になっています。「地質図」によると、この付近では、西側にあった「毛勝岳花崗岩」が渓谷の東側まで張り出していて、奥釣鐘山の西半分は「毛勝岳花崗岩」(ジュラ紀の、古い花崗岩;約180Ma)で出来ています(黒部渓谷からは見えない東半分は、「黒部川花崗岩」体)。
この岩峰は、古くはロッククライミングで有名でした。この岩壁は、前述の剣岳と同様に、後から近くに貫入してきた「黒部川花崗岩」の熱の影響で、熱変成(硬化)が起こったのかも知れません。
いずれにしろ、黒部渓谷 下の廊下の両側の険しい岩壁や、渓谷底の白い岩肌は、花崗岩類によって形成された地形です。
まず、黒部ダムから下っていくと、西岸に黒部別山という岩山がそそり立っていて目をひきますが、黒部別山も含めたこの黒部川西岸の一帯は、新第三紀 中新世後期〜鮮新世前期(約7-5Ma)に貫入したと考えられている花崗岩類で、「黒部別山花崗岩」体という名前がついています(ただし、貫入、固化年代は不明な部分があるもよう)(文献1、3、4)。
この花崗岩体の貫入により、剣岳付近を構成している、より古い花崗岩(「毛勝岳花崗岩;ジュラ紀 約180Ma)が、さらに熱変成を受けて硬い岩となったために、剣岳付近は、あのような険しい岩峰となったと考えられています(文献3)。
一方、黒部川の東側は、「黒部川花崗岩」体で出来ています。「黒部川花崗岩」体は、「爺が岳」の章でも少し触れましたが、後立山山脈にそびえる「爺が岳」とその周辺が、火山として噴火した時期(第四紀中葉;約160-170万年前;1.6-1.7Ma)に、その地下にできていたマグマ溜りが、固化して花崗岩体となり、その後の北アルプスの隆起によって地表に現れたものです(文献3,4)。
またこの「黒部川花崗岩」の特徴は、普通の花崗岩部分(珪長質)のマトリックス中に、苦鉄質(Mg,Feが多いマグマ)でできた黒めの小岩体(数十センチ程度)が、「くらげ状」とも呼ばれるような形で混じっていることです(文献3,4)。
この岩体は傾動(東側に傾いている)しているので、鹿島槍ヶ岳山頂部など、標高の高い場所の花崗岩は、マグマ溜りの上部に当たり、固化年代は古め(約190〜220万年前)です。一方、標高の低い黒部渓谷に近い部分は、マグマ溜りの下部に当たるので、固化した時代は新しく、最も新しい年代では、固化した年代が、約62〜80万年前と、深成岩としては非常に新しい年代を示します(文献4)。
元々、花崗岩類は、地下深く(約3-10km)のマグマ溜りのマグマが、地表に噴出しないままにその場で冷えて固化したものですが、100万年以下の若い時代の花崗岩類がすでに地表に現れているのは非常に珍しいそうで(文献3,4)、北アルプスの急速な隆起の証拠の一つにもなっています。
その先、黒部渓谷 下の廊下の見どころでもある「十字峡」や、その先の阿曽原小屋付近も、大まかには、渓谷の西側が「黒部別山花崗岩」、渓谷の東側が「黒部川花崗岩」で出来ています。
阿曽原小屋より先になると、渓谷の東側はまだ「黒部川花崗岩」ですが、西側は「黒部別山花崗岩」の地帯は終わり、より古い「毛勝岳花崗岩」に代わりますが、花崗岩類は見た目はほとんど同じなので、専門家でないと区別はつかないでしょう。
なお、欅平に近くなると、対岸(東側)に、奥釣鐘山(おくつりがねやま;標高 1543m)という山があり、黒部渓谷側の西面は大きな岩壁になっています。「地質図」によると、この付近では、西側にあった「毛勝岳花崗岩」が渓谷の東側まで張り出していて、奥釣鐘山の西半分は「毛勝岳花崗岩」(ジュラ紀の、古い花崗岩;約180Ma)で出来ています(黒部渓谷からは見えない東半分は、「黒部川花崗岩」体)。
この岩峰は、古くはロッククライミングで有名でした。この岩壁は、前述の剣岳と同様に、後から近くに貫入してきた「黒部川花崗岩」の熱の影響で、熱変成(硬化)が起こったのかも知れません。
いずれにしろ、黒部渓谷 下の廊下の両側の険しい岩壁や、渓谷底の白い岩肌は、花崗岩類によって形成された地形です。
3) 欅平〜宇奈月温泉駅までの地質
欅平はトロッコ列車の終点駅で、ここから宇奈月温泉までは、トンネルの多いトロッコ列車に乗って移動することになります。
この周辺の地質は簡単に説明しますが、黒部渓谷の西側はほぼ、前述の「毛勝岳花崗岩」(ジュラ紀;約180Ma)で出来ています。渓谷の東側は、(文献4)によると、「北又谷トーナル岩」体という固有名詞の、花崗岩類(白亜紀;約80-90Ma)でできています。
トロッコ列車は、硬い花崗岩をくり抜いた狭いトンネルをいくつも抜けて、宇夏樹温泉駅へと向かいます。
なお、宇奈月温泉駅の周辺の山々の中腹あたり(主に西側だが、黒部川の東斜面にも多少分布)には、「宇奈月変成岩」という変成岩の岩体が南北に帯状に分布しています。この「宇奈月変成岩」は、謎が多く、地質学的には興味深いものですが、登山道もない場所にあるので、詳細は以下の(補足説明)の項に記載します。ご興味のある方はご覧ください。
この周辺の地質は簡単に説明しますが、黒部渓谷の西側はほぼ、前述の「毛勝岳花崗岩」(ジュラ紀;約180Ma)で出来ています。渓谷の東側は、(文献4)によると、「北又谷トーナル岩」体という固有名詞の、花崗岩類(白亜紀;約80-90Ma)でできています。
トロッコ列車は、硬い花崗岩をくり抜いた狭いトンネルをいくつも抜けて、宇夏樹温泉駅へと向かいます。
なお、宇奈月温泉駅の周辺の山々の中腹あたり(主に西側だが、黒部川の東斜面にも多少分布)には、「宇奈月変成岩」という変成岩の岩体が南北に帯状に分布しています。この「宇奈月変成岩」は、謎が多く、地質学的には興味深いものですが、登山道もない場所にあるので、詳細は以下の(補足説明)の項に記載します。ご興味のある方はご覧ください。
(補足説明) 「宇奈月変成岩」について
「宇奈月温泉駅」の近く、山の中腹には、花崗岩体の中に、南北に帯状に「宇奈月変成岩」という岩体が分布しています。
「宇奈月変成岩」は、地質学的(及びプレートテクトニクス的)には、非常に重要な地質ゾーンなので、少し細かくなりますが、ここで説明します。
宇奈月変成岩は、一般的には高圧変成岩とされる「結晶片岩」(主に泥質片岩)で出来ていますが、正確に言うと「高圧型」ではなく、「中圧型」に分類されています。
変成時期は、産総研「シームレス地質図v2」ではペルム紀(約2.5-3.0億年前)と記載されていますが、(文献5)ではトリアス紀中期(約2.3億年前)とされています。
宇奈月変成岩帯は、どこの「地帯」に属するかも、はっきりしていませんが、
所属については、大きく分けても3つの学説があります。
・学説1) 独立した「宇奈月帯」である。という考え
(例えば 文献5、6、7)
※ なお「宇奈月地区」を飛騨帯とは異なるゾーンであることを
最初に提唱したのは、広井(文献8)。
・学説2) 西隣りの「飛騨帯」に属するという考え、
(例えば、文献9)
・学説3) 東隣りの「蓮華帯」(飛騨外縁帯)に属するという考え
(例えば、文献10)
と、大きく分けても3つの学説があり、良く解っていない、謎の地質体です。
以下、3つの学説を少し詳しく解説します。
[学説1]
(文献5、6、7)は上記の学説1)に相当する文献ですが、この宇奈月変成岩帯を、トリアス紀(約2.5〜2.0億年前)に、北中国地塊(「中朝地塊)ともいう)と南中国地塊(「揚子地塊」ともいう)とが、衝突、合体した、大きな地質学的事件との関連を、示唆しています。
(文献5、7)に基づいて詳細な説明をすると、南中国地塊と北中国地塊の衝突帯は、中国の「秦峰(しんれい)−大別山(たいべつさん)縫合線 (Quinling-Dabieshan suture)から山東(シャントン)半島南部(Sulu Belt)へ連続していますが、その東方延長として、朝鮮半島中央部のイムジンガン帯(Imjingan Belt)を想定し、さらにその東方延長が、「宇奈月帯」である、という学説です。
なお(文献5)では、西隣の「飛騨帯」は、北中国地塊の東方延長地帯であり、衝突帯である「宇奈月帯」とは別個のものと考えています。また(文献7)では、「宇奈月帯」という用語を使うのを避け、「宇奈月地域」としています。「飛騨帯」については詳しく触れてませんが、北中国地塊の断片と推定しています。
中国の上記2つのゾーンからは、大陸間衝突帯に特有の超高圧変成鉱物の一種、コース石(コーズ石とも言う、英語表記は、Coesite、; 石英(SiO2) の高圧相)が見つかっており、中国の上記の部分は、大陸間衝突帯であることは間違いないでしょう。
ただし、朝鮮半島のイムジンガン帯では、超高圧型変成鉱物が見つかっておらず、宇奈月帯と同じく「中圧型」の変成岩(片麻岩)が存在します(放射年代;250-290Ma)(文献7)。また宇奈月帯でも変成岩は「中圧型」であり、超高圧変成鉱物は見つかっていません。
(文献5、7)では、一旦、超高圧の場に置かれた岩石が、地上まで上昇する過程で水(H2O)と反応して後退型の変化(後退型変成作用)をし、見かけ上の「中圧型」変成岩(「十字石」という鉱物を特徴とする)になったのではないか、と考察しています。
もともと、約20-15Ma(新第三紀 中新世)に起きた日本海拡大イベント(=日本列島がアジア大陸から離れ、列島となった)の前までは、日本列島に相当する場所は、現在の日本海にあったと推定されており(これについては異論は見当たらない)、朝鮮半島中央部の東側に、この北アルプス北部が位置していたという考えは、特に無理な考えではないと思います。
なお、古くから宇奈月地域は地帯構造区分上は、「飛騨帯」とされていたようですが、飛騨帯の変成岩(飛騨片麻岩)と、宇奈月地区の変成岩(結晶片岩)との違いを最初に指摘したのは、広井氏(例えば 文献8)です。
[学説2]
次に、(文献9)は、上記の学説2)に相当する文献ですが、西隣の飛騨変成岩類(片麻岩)と、宇奈月変成岩類(結晶片岩)とは、U-Pb法による変成年代が約240Ma(トリアス紀)でほぼ一致することから、宇奈月変成岩は西隣の飛騨帯に属する、という学説です。
元々、広井が「宇奈月地域」にある変成岩(結晶片岩)を、飛騨帯の変成岩類(主に片麻岩)と、成因が別ではないか?と問題提起(1978年)する前までは、宇奈月地域の変成岩類は、「飛騨帯」の一部と考えられていたようです。
(文献9)においては、飛騨変成岩が、高温型変成岩タイプの「片麻岩」であるのに対し、宇奈月変成岩が中圧型変成岩としての「結晶片岩」であって、岩質が違う点については、飛騨変成岩は、その周辺に分布するジュラ紀(約180Ma)の花崗岩体(「船津花崗岩」とも言う)の熱によって、再度変成作用を受けて片麻岩化した、と考えています。
[学説3]
学説3) 「宇奈月変成岩類は蓮華帯(飛騨外縁帯)に属する」という考えで、文献10)はこの学説に基づいた論文です。
ただし、私から見ると、この説とは不調和的なエビデンスや状況がいくつかあります。
具体的には、
(1)蓮華変成岩の変成年代が、約3.4憶年前〜約2.8億年前と判明しており(文献8)、宇奈月変成岩の変成年代(約2.3-2.4億年前)とは異なること。
(2)蓮華変成岩類は、蛇紋岩とともに蛇紋岩コンプレックスとして地下深くから上昇してきたのに対し、宇奈月変成岩は周りに蛇紋岩体を伴っていないこと。
(3)産総研「シームレス地質図v2」に基づく分布形状も、宇奈月変成岩は、南北に細長い数列の帯状に分布しているのに対し、蓮華変成岩は、蛇紋岩とともに網目状に分布しており分布状況が異なること。
これらのことから、宇奈月変成岩と蓮華変成岩類を類似のものと見るにはちょっと難があるように思えます(この、「学説3」に関する記載は、あくまで私見です)。
「宇奈月変成岩」は、地質学的(及びプレートテクトニクス的)には、非常に重要な地質ゾーンなので、少し細かくなりますが、ここで説明します。
宇奈月変成岩は、一般的には高圧変成岩とされる「結晶片岩」(主に泥質片岩)で出来ていますが、正確に言うと「高圧型」ではなく、「中圧型」に分類されています。
変成時期は、産総研「シームレス地質図v2」ではペルム紀(約2.5-3.0億年前)と記載されていますが、(文献5)ではトリアス紀中期(約2.3億年前)とされています。
宇奈月変成岩帯は、どこの「地帯」に属するかも、はっきりしていませんが、
所属については、大きく分けても3つの学説があります。
・学説1) 独立した「宇奈月帯」である。という考え
(例えば 文献5、6、7)
※ なお「宇奈月地区」を飛騨帯とは異なるゾーンであることを
最初に提唱したのは、広井(文献8)。
・学説2) 西隣りの「飛騨帯」に属するという考え、
(例えば、文献9)
・学説3) 東隣りの「蓮華帯」(飛騨外縁帯)に属するという考え
(例えば、文献10)
と、大きく分けても3つの学説があり、良く解っていない、謎の地質体です。
以下、3つの学説を少し詳しく解説します。
[学説1]
(文献5、6、7)は上記の学説1)に相当する文献ですが、この宇奈月変成岩帯を、トリアス紀(約2.5〜2.0億年前)に、北中国地塊(「中朝地塊)ともいう)と南中国地塊(「揚子地塊」ともいう)とが、衝突、合体した、大きな地質学的事件との関連を、示唆しています。
(文献5、7)に基づいて詳細な説明をすると、南中国地塊と北中国地塊の衝突帯は、中国の「秦峰(しんれい)−大別山(たいべつさん)縫合線 (Quinling-Dabieshan suture)から山東(シャントン)半島南部(Sulu Belt)へ連続していますが、その東方延長として、朝鮮半島中央部のイムジンガン帯(Imjingan Belt)を想定し、さらにその東方延長が、「宇奈月帯」である、という学説です。
なお(文献5)では、西隣の「飛騨帯」は、北中国地塊の東方延長地帯であり、衝突帯である「宇奈月帯」とは別個のものと考えています。また(文献7)では、「宇奈月帯」という用語を使うのを避け、「宇奈月地域」としています。「飛騨帯」については詳しく触れてませんが、北中国地塊の断片と推定しています。
中国の上記2つのゾーンからは、大陸間衝突帯に特有の超高圧変成鉱物の一種、コース石(コーズ石とも言う、英語表記は、Coesite、; 石英(SiO2) の高圧相)が見つかっており、中国の上記の部分は、大陸間衝突帯であることは間違いないでしょう。
ただし、朝鮮半島のイムジンガン帯では、超高圧型変成鉱物が見つかっておらず、宇奈月帯と同じく「中圧型」の変成岩(片麻岩)が存在します(放射年代;250-290Ma)(文献7)。また宇奈月帯でも変成岩は「中圧型」であり、超高圧変成鉱物は見つかっていません。
(文献5、7)では、一旦、超高圧の場に置かれた岩石が、地上まで上昇する過程で水(H2O)と反応して後退型の変化(後退型変成作用)をし、見かけ上の「中圧型」変成岩(「十字石」という鉱物を特徴とする)になったのではないか、と考察しています。
もともと、約20-15Ma(新第三紀 中新世)に起きた日本海拡大イベント(=日本列島がアジア大陸から離れ、列島となった)の前までは、日本列島に相当する場所は、現在の日本海にあったと推定されており(これについては異論は見当たらない)、朝鮮半島中央部の東側に、この北アルプス北部が位置していたという考えは、特に無理な考えではないと思います。
なお、古くから宇奈月地域は地帯構造区分上は、「飛騨帯」とされていたようですが、飛騨帯の変成岩(飛騨片麻岩)と、宇奈月地区の変成岩(結晶片岩)との違いを最初に指摘したのは、広井氏(例えば 文献8)です。
[学説2]
次に、(文献9)は、上記の学説2)に相当する文献ですが、西隣の飛騨変成岩類(片麻岩)と、宇奈月変成岩類(結晶片岩)とは、U-Pb法による変成年代が約240Ma(トリアス紀)でほぼ一致することから、宇奈月変成岩は西隣の飛騨帯に属する、という学説です。
元々、広井が「宇奈月地域」にある変成岩(結晶片岩)を、飛騨帯の変成岩類(主に片麻岩)と、成因が別ではないか?と問題提起(1978年)する前までは、宇奈月地域の変成岩類は、「飛騨帯」の一部と考えられていたようです。
(文献9)においては、飛騨変成岩が、高温型変成岩タイプの「片麻岩」であるのに対し、宇奈月変成岩が中圧型変成岩としての「結晶片岩」であって、岩質が違う点については、飛騨変成岩は、その周辺に分布するジュラ紀(約180Ma)の花崗岩体(「船津花崗岩」とも言う)の熱によって、再度変成作用を受けて片麻岩化した、と考えています。
[学説3]
学説3) 「宇奈月変成岩類は蓮華帯(飛騨外縁帯)に属する」という考えで、文献10)はこの学説に基づいた論文です。
ただし、私から見ると、この説とは不調和的なエビデンスや状況がいくつかあります。
具体的には、
(1)蓮華変成岩の変成年代が、約3.4憶年前〜約2.8億年前と判明しており(文献8)、宇奈月変成岩の変成年代(約2.3-2.4億年前)とは異なること。
(2)蓮華変成岩類は、蛇紋岩とともに蛇紋岩コンプレックスとして地下深くから上昇してきたのに対し、宇奈月変成岩は周りに蛇紋岩体を伴っていないこと。
(3)産総研「シームレス地質図v2」に基づく分布形状も、宇奈月変成岩は、南北に細長い数列の帯状に分布しているのに対し、蓮華変成岩は、蛇紋岩とともに網目状に分布しており分布状況が異なること。
これらのことから、宇奈月変成岩と蓮華変成岩類を類似のものと見るにはちょっと難があるように思えます(この、「学説3」に関する記載は、あくまで私見です)。
(参考文献)
文献1)地域地質研究報告 5 万分の1地質図幅
金沢(10)第30 号 NJ-53-6-5
「立山地域の地質」 (旧)工業技術院 地質調査所 刊 (2004)
のうち、深成岩の各項
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_10030_2000_D.pdf
文献2)町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 5 中部」 東京大学出版会 刊(2006)
のうち、4−3章 「飛騨山脈」の項。
文献3)原山、山本「超火山 「槍・穂高」」 山と渓谷社 刊(2003)
文献4)原山、高橋、宿輪、板谷、八木
「黒部川沿いの高温泉と第四紀黒部川花崗岩」
地質学雑誌、第116巻、補遺 p63-81 (2010)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/116/Supplement/116_Supplement_S63/_pdf
文献5)磯崎、丸山、青木、中間、宮下、大藤
「日本列島の地帯構造区分再訪
−太平洋型(都城型)造山帯構成単元
および境界の分類・定義 − 」
地学雑誌 第119巻 p999-1053 (2010)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/6/119_6_999/_pdf
文献6)「日本地方地質誌 4 中部地方」日本地質学会 編 (2006)
のうち、各論―第1部「飛騨帯」の項。
文献7)大森、磯崎
「古生代日本と南北中国地塊間衝突帯の東方延長」
地学雑誌、第120巻 (2011)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/120/1/120_1_40/_pdf
文献8)広井
「飛騨変成帯 宇奈月地域の地質」
地質学雑誌、第84巻 p521-530 (1978)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/84/9/84_9_521/_pdf/-char/ja
文献9)日本地方地質誌 第4巻 中部地方」日本地質学会 編 (2006)
のうち、各論―第1部「飛騨帯」1-2 「宇奈月変成岩の十字石片岩」の項
文献10)束田、竹内、小嶋
「飛騨外縁帯の再定義」
地質学雑誌、第110巻、p640-658 (2004)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/110/10/110_10_640/_pdf
金沢(10)第30 号 NJ-53-6-5
「立山地域の地質」 (旧)工業技術院 地質調査所 刊 (2004)
のうち、深成岩の各項
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_10030_2000_D.pdf
文献2)町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 5 中部」 東京大学出版会 刊(2006)
のうち、4−3章 「飛騨山脈」の項。
文献3)原山、山本「超火山 「槍・穂高」」 山と渓谷社 刊(2003)
文献4)原山、高橋、宿輪、板谷、八木
「黒部川沿いの高温泉と第四紀黒部川花崗岩」
地質学雑誌、第116巻、補遺 p63-81 (2010)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/116/Supplement/116_Supplement_S63/_pdf
文献5)磯崎、丸山、青木、中間、宮下、大藤
「日本列島の地帯構造区分再訪
−太平洋型(都城型)造山帯構成単元
および境界の分類・定義 − 」
地学雑誌 第119巻 p999-1053 (2010)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/6/119_6_999/_pdf
文献6)「日本地方地質誌 4 中部地方」日本地質学会 編 (2006)
のうち、各論―第1部「飛騨帯」の項。
文献7)大森、磯崎
「古生代日本と南北中国地塊間衝突帯の東方延長」
地学雑誌、第120巻 (2011)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/120/1/120_1_40/_pdf
文献8)広井
「飛騨変成帯 宇奈月地域の地質」
地質学雑誌、第84巻 p521-530 (1978)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/84/9/84_9_521/_pdf/-char/ja
文献9)日本地方地質誌 第4巻 中部地方」日本地質学会 編 (2006)
のうち、各論―第1部「飛騨帯」1-2 「宇奈月変成岩の十字石片岩」の項
文献10)束田、竹内、小嶋
「飛騨外縁帯の再定義」
地質学雑誌、第110巻、p640-658 (2004)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc/110/10/110_10_640/_pdf
産総研 地質調査報告書 (2000)
磯崎、丸山ら (2010)
原山ら (2010)
束田、竹内、小嶋 (2004)
大森、磯崎(2011)
広井 (1978)
このリンク先の、2−1章の文末には、第2部「北アルプス」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第2部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2022年9月7日
△改訂1;文章見直し、一部加筆修正。
山のデータ追加。2−1章へのリンクを追加。
書記事項の項を新設、記載。
△最新改訂年月日;2022年1月29日
△改訂1;文章見直し、一部加筆修正。
山のデータ追加。2−1章へのリンクを追加。
書記事項の項を新設、記載。
△最新改訂年月日;2022年1月29日
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bergheilさん、こんにちわ。
周回遅れのコメントで申し訳ありません。
失礼な言い方ですが、bergheilさんは上級のクライマーですね。
奥鐘や大タテガビン岩壁(明星も)をご存じでピークハンターとは思えません(両岩壁の登攀歴ありですね)。下の廊下(おそらく上の廊下)も歩行されていますし。
自分は大学時代に3年間だけロッククライミングをしました。大タテガビンや奥鐘には行ってませんが黒部丸山の緑ルートを登りました。丸山はおおきな岩塊が地面からタケノコのように出てきた、そんな感じでした。
山と渓谷社、岡田昇「北岳・甲斐駒と黒部の岩場」が手元にあり裏表紙が奥鐘ですが、白と灰色が半々の色調で、bergheilさんが掲示した「のしかかる岩壁」と同じような色調です。憶測をして、失礼であることは重々承知しておりますが、「のしかかる大岩壁」は、写真では紫岳会直上の斜上バンドと鎌形ハングに似ています。
おそらく海外登山もされていると推測します。
コメントさせていただくことを迷いましたが、率直な感想をいたしました。
fujikitaさん、またまた コメント ありがとうございます。
実は私は、本格的クライミングはほとんどしたことはありませんよ(笑)。
クライマーどころか、ただの山好きのおっさんです。
ただ若い頃から、「岳人」なども読んでいたので、ロッククライミング(岩登り)に関して、本を読んで、「あー、こんなこともしてみたいな〜」と思っていただけです。
結局、懸垂下降をなんとかできるようになっただけで、本チャンの岩場に行ったこともありません。
替わりに雪山は、独学でいろいろ経験を積みましたので、海外ではモンブラン、メンヒなど、雪の高山は多少登りました。
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