街道を行く 薩摩街道 薩摩を南下
- GPS
- 296:00
- 距離
- 124km
- 登り
- 1,098m
- 下り
- 1,110m
コースタイム
- 山行
- 4:14
- 休憩
- 0:49
- 合計
- 5:03
- 山行
- 11:07
- 休憩
- 0:39
- 合計
- 11:46
- 山行
- 7:41
- 休憩
- 0:51
- 合計
- 8:32
- 山行
- 6:19
- 休憩
- 0:42
- 合計
- 7:01
天候 | 曇り時々小雨、晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
うまく使うといいでしょう。 伊集院〜鹿児島中央 電車、バスともあり。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
国越え後、腹がすいたので3号でねばるも米ノ津から出水の間しかなかった。 安全に出水筋を歩けば良かっただろうか。 ただ、海はきれい。 3号は歩道が希薄で怖い。 西方からは丘ルートではなく、3号で行った。 万一、途中で日没となる場合の備えだ。 結果的に問題なし。 |
その他周辺情報 | 昼 道の駅 あくね 鮑の踊り食いが最高。 串木野 海鮮まぐろ館 実は丼もうまかったけど、それくらいでかでかとでた麦味噌の汁。 これに癒されました。 心の味なんでしょうね。 いずれも旨し。 |
写真
感想
鹿児島の街、港からの桜島はこれまでも屋久島に行くときや車窓などから見る機会はありました。しかし、歩いて辿り着く鹿児島の街、そのちょい先の仙巌園そばの浜辺まで行くと万感の思いがあります。
10日間 343kmの歩き旅。
観光地、スポットを行くだけが旅ではない。
土地の風土を肌で感じることができる。
知っているはずのエリアさえ、新しい発見がある。
今回の九州縦断の総括はこんな感じです。
最後の二日はせっかく薩摩半島を横断するため、西は市来湊付近の海岸、最後に桜島へどんどん迫るルートのため、敢えて、桜島を感じることができる仙巌園、磯海岸をゴールとし、最後に仙巌園エリアを観光することをもって、鹿児島を後にすることとしました。
薩摩街道出水筋、または3号を引き続きです。
博多駅からの最終区間になります。
元々できてきたマメと、豪雨の中の佐敷太郎峠越えの影響か、右足の母趾球の皮が剥がれ、足裏が痛いし、それを庇うから足の接地が左に左
に傾くのでしょう。
正に薩摩に入った辺りからおかしかったです。
疲れがでました。
海のそばを行っているのにほとんど海が見えない肥後側と異なり、薩摩側は海が良く見え癒されます。
全行程七日目 肥後側の津奈木隧道越えから、水俣、肥薩国境まできたあと、3号で米ノ津まで。昼を食べて休憩したかったからでしたが、結局米ノ津までなかったので、おとなしく街道を行けば良かったかなと思います。
ただ、此の分、出水駅をすぎて、出水麓武家屋敷、更に少しでも先に刻むべく、高尾野まで行けたので良かったとはいえます。
高尾野の神酒造は「千鶴」の酒蔵。
母の名とほぼ同じ。
まあ、関東でも出回っているのでわざわざ買いはしませんが、その日の夜の一杯に飲みました。
全行程 八日目 足を見ると右足母趾球の浮き上がっていた皮が遂に剥がれていました。
これはきついわけだ。
それでも、川内を一応目指すことにする。
しかし、街道でも、3号でも45kmと出る。
現状ではかなりきつい。
気力、体力、怪我、足の具合。
それを考えると後半にバスや電車がない街道ルートはリスキーに思われたため、西方から3号で。
結果的に4時過ぎに上川内に入ったので街道でも良かったのだが、いつでも本当にヤバくなったら打ち切ることができる心理的安心感が導いてくれたと思う。
阿久根の海、薩摩高城駅までの美しい海岸と甑島。予想通りの美味しい食事。これらに癒されました。
静岡に住んで、海に見慣れたのもあるかもしれません。
川内の御陵と新田神社は感動しました。
あれはきつくとも行かねば損です。
すっごく疲れましたが。
御陵への道が特に素晴らしいです。
最後に泰平寺へ
島津義久公が秀吉に下ったという地
寺の横の公園に像があります。無念だったのは間違いないでしょうね。
全行程 九日目 大寝坊で8時起床。
疲れが溜まっているのだろう。
本日は鬼島津 義弘公の眠る伊集院 妙円寺参り、徳重神社を目的地とした。
串木野漁港の食堂がルートから近く、助かった。
海鮮丼はうまかった。
ルートを行くと市来から先は東支那海 薩摩灘とお別れとなる。
砂丘である吹上浜がいいと聞いていたので、海から外れる辺りで、砂丘を越えて砂浜に出た。
期待以上の絶景。
そこからは伊集院をめざす。
美山の薩摩焼と、大韓民国名誉総領事館の存在に驚いた。
そして、スタートが遅かったなりに、伊集院の徳重神社、妙円寺に日没前に着けた。
因むに街道は島津の元本拠であった伊集院の城の直下まで登り、そこから別れる。
この登りがきつい。
余力があれば、城跡の公園までいってしまった方がいいでしょう。
それにしても島津義久 剃髪の気持ちやいかにと感じました。
全行程 十日目 伊集院から鹿児島の鶴丸城跡を目指す。
伊集院駅南口の義弘公の像は、かっこいい。
そこから鹿児島 鶴丸城跡までは道なりに。
桜島がどんどん近づく。
出水筋がメインだった理由の一つに伊集院まで、桜島の噴煙の影響が少ないというのがあったのかと感じました。
島津家が戦国中期まで本拠地を鹿児島ではなく伊集院としていたのもここにあるのかと。
そう感じるほどに徹底して出水筋は桜島、霧島などの火山帯から離れたところを行きます。
噴煙地帯では稲作を望めないこともあるのでしょうか。
で、武岡ハイランドの丘に来るとバカでかい桜島になり、そこから水上坂を叩き落ちると、平地になり、脇に鶴丸高校が現れ、気づくと鹿児島本線の高架に突入します。
で、その先はすぐに西田橋。
もう鹿児島の街中に突入です。
この西田橋が、薩摩街道の終点となりますが、ここまでの労苦を思うとあっけなく、鹿児島市街のうち、島津家、西郷関係の地をそのまま行くこととしました。
で、照国神社、鶴丸城跡、南洲墓地、島津家菩提、集成館へ。
なかでも、島津家菩提の玉龍高校裏まで行くのはレアでしょうね。
多分、錦江湾の浜に触れたのも初です。
指宿あたりではなくもないでしょうが、鹿児島市街は港湾都市なので、浜が基本ないからです。
しかし、集成館近傍の海側には磯海岸と呼ばれる浜があるようでして、これも狙って集成館をゴールとしました。
元々、十日目は予備日であり、観光として、仙巌園、集成館を巡るつもりでした。
なので、これを歩きで組み込んだということです。
島津家菩提から集成館への峠越えが激しく急で堪えましたが、集成館と磯海岸を上から眺める構図は最後に相応しい絶景でした。
集成館まではきつかったがなんとかなりました。
但し、集成館までの歩きのあと、そのまま、仙巌園と集成館の中を歩いて巡るのが、結構きつかったです。
とにかく、全行程 十日間で博多から鹿児島までをやりきることができました。
筑後川の舟渡しの血を引くものとして、ここを渡る側の人の気持ちに触れてみるべく、薩摩路を歩いてみました。これが、長崎街道ではなく薩摩街道を選んだ理由です。
このルートは秀吉対島津、西南の役、及びそれぞれの事物を巡る旅になりました。
また、意外と多かった江戸への参勤交代の陸路がとんでもなく長くて、きつかったです。
これを歩くにつけ、特に薩摩国内は、とにもかくにも島津家と薩摩の人々を偲ぶものに感じられました。そうした中、出水、川内、伊集院と辿ると、鹿児島についたら、島津家菩提に行くのはむしろ必然に思えていました。ここまで行く人はレアでしょうが、道々見てきたものに影響を受けているのだと思います。
それも、島津義久公、義弘公の無念をを弔うために。
南州墓地はともかくとして、薩軍墓地は今もぞんざいです。特に南関から山鹿をみると、あまりに。
戊辰の会津もまた同様といいます。
これらはもう戦後150年です。いい加減同等に処していいのではと。
どちらが悪いというものではないはずです。
明治維新の際にあったことの全てを是としてはならない。これが、今回の旅で改めて確信したことです。
達成感は…。
後から来るといいなとおもいます。
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