記録ID: 1105314
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ハイキング
東海
伊平 次郎法師ゆかりの仏坂 観音の里めぐり
2017年04月15日(土) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 6.2km
- 登り
- 216m
- 下り
- 200m
コースタイム
今回、スタート地点からGPSのログをとっていましたが、保存時にエラーになってしまい、残っていません。
そのためコースは大体の位置を手作業で入力しています。が、割と適当なのであまり参考にしないでくださいネ……。
もっとも現地に行けばNPO法人「いーら・いだいら」さんの作成した詳細なイラストマップと案内看板がありますので、迷うことは無いと思います。
そのためコースは大体の位置を手作業で入力しています。が、割と適当なのであまり参考にしないでくださいネ……。
もっとも現地に行けばNPO法人「いーら・いだいら」さんの作成した詳細なイラストマップと案内看板がありますので、迷うことは無いと思います。
天候 | 晴れ時々曇り、午後から一時雨。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
旧鳳来寺街道の様子: 松山観音堂から仏坂(ほとけざか)観音堂までの区間は、急登もありますが比較的歩きやすい山道です。 随所に地元NPOの設置した看板がありますので、見落とさなければ迷うことも無いでしょう。 仏坂峠から先、まんぼう峠(いなさIC)方面は、進入禁止の廃道になっています。 踏み跡を頼りに進むこともできなくはなさそうな雰囲気ですが、未確認ですので自己責任で。 |
その他周辺情報 | 近隣の日帰り入浴施設は、細江町の国民宿舎「奥浜名湖」、 または浜北区の「あらたまの湯」が比較的リーズナブルでおすすめです。 |
写真
井伊谷川を渡ります。
「清水」の地名は、道沿いの崖に湧き出す水が由来と思われます。今も近くに水汲み場があります。
同時にここは「清水観音」を祀る霊場でもあり、観音の里、伊平(いだいら)の入口なのです。
「清水」の地名は、道沿いの崖に湧き出す水が由来と思われます。今も近くに水汲み場があります。
同時にここは「清水観音」を祀る霊場でもあり、観音の里、伊平(いだいら)の入口なのです。
旧・鳳来寺街道。
鳳来寺街道は遠江と三河を結ぶ中世以来の街道でしたが、のちの国道257号線が開通したことで廃道となりました。
今は一部の区間がハイキングコースとして再整備されています。
鳳来寺街道は遠江と三河を結ぶ中世以来の街道でしたが、のちの国道257号線が開通したことで廃道となりました。
今は一部の区間がハイキングコースとして再整備されています。
井平城は鳳来寺街道の沿道に築かれました。
山城としては珍しく、山頂ではなく傾斜地の途中に造られたため、上からの防御が致命的に弱かったと推測されます。
そのためか北方から武田軍が侵攻したときは、籠城戦を選ばず山上の仏坂にて迎え撃つことを選択しています。
山城としては珍しく、山頂ではなく傾斜地の途中に造られたため、上からの防御が致命的に弱かったと推測されます。
そのためか北方から武田軍が侵攻したときは、籠城戦を選ばず山上の仏坂にて迎え撃つことを選択しています。
廃道になったとはいえ昭和30年代までは地元の生活道路として機能していたようで、当時の棚田の跡や、炭焼窯の跡が沿道に残されています。
案内板が充実しているので、そういった遺構を探しながら歩くのも面白いです。
案内板が充実しているので、そういった遺構を探しながら歩くのも面白いです。
仏坂観音堂に到着。
伝承では行基によって十一面観音像が安置されたことに始まる、由緒あるお堂。現在の像は平安後期のものとされています。
この付近で武田軍と徳川軍の戦闘、仏坂の戦いが起こると、観音像は類焼を恐れた修験者の手によって疎開されます。
その間、武田軍を相手に時間稼ぎの交渉を担ったのが井伊直虎こと次郎法師、と地元では伝えられています。
伝承では行基によって十一面観音像が安置されたことに始まる、由緒あるお堂。現在の像は平安後期のものとされています。
この付近で武田軍と徳川軍の戦闘、仏坂の戦いが起こると、観音像は類焼を恐れた修験者の手によって疎開されます。
その間、武田軍を相手に時間稼ぎの交渉を担ったのが井伊直虎こと次郎法師、と地元では伝えられています。
こちらが「ふろんぼ様」。戦死者を弔った石塔群で、諸説ありますが「古ん墓」が訛ったとも言われています。
戦死者は判明しているだけでも88名で、かつてはもっと多くの供養塔が仏坂峠周辺に点在していたと思われます。
2005年の調査でも別の石塔群が再発見され、そちらは「新ふろんぼ様」と呼ばれています。
なお地元の方の話では、峠の北側にも石塔の残骸と思しき石が散らばっている場所があるとのこと。
戦死者は判明しているだけでも88名で、かつてはもっと多くの供養塔が仏坂峠周辺に点在していたと思われます。
2005年の調査でも別の石塔群が再発見され、そちらは「新ふろんぼ様」と呼ばれています。
なお地元の方の話では、峠の北側にも石塔の残骸と思しき石が散らばっている場所があるとのこと。
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
飲料
レジャーシート
コンパス
笛
筆記用具
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
常備薬
保険証
携帯
時計
カメラ
|
---|---|
備考 | トレッキングポールは使用しませんでしたが、所有しているのなら持参をおすすめします。 |
感想
大河ドラマ「おんな城主 直虎」で沸く、浜松市井伊谷地区……の、北隣に位置する伊平地区。
ここもまた井伊氏の分家、井平氏が治めた地ということで、次郎法師(直虎)にまつわる伝説が残ります。
地元ということもあって普段は特に意識せず、素通りしてしまう場所ですが、改めて地元を歩き直すと意外な発見があり、面白かったです。
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