東北復興支援at東松島市(労山プロデュース)
天候 | 6/18くもり 6/19はれ |
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過去天気図(気象庁) | 2011年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
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コース状況/ 危険箇所等 |
東北復興支援活動に行って参りました。 その活動内容と見てきたもの思ったことを書きたいと思います。 山ではありませんが労山での活動なので山行記録に載せました。 震災および復興支援に対し皆様さまざまなご意見がおありかと思いますが、もし反論があっても議論に発展させるつもりはありません。 不快に思われるかたは、これより先は読まないでいただけますよう宜しくお願い致します。 6月17日金曜深夜、西武線某駅に集合し、毎度お世話になっているK氏ご夫妻の車で北に向かう。 高速を仙台で降り、塩竈神社、お釜神社を観光し、今回の目的地の東松島市に到着。 日本三大景勝の松島と石巻市の間に位置し、航空自衛隊松島基地のすぐ近くだ。 今回は農協の協力と地元労山の方のコーディネートで、困っている農家の方の役に立とうという農業復興支援の予定だ。 具体的にはビニールハウス内のヘドロの除去作業だ。 このビニールハウスは震災による津波で、内部にヘドロが大量にたまってしまい、作物を育てる事が出来なくなってしまった。 かなり大きなハウスで幅10m長さ50mくらいのものが3個。 屋外ならばブルトーザーで一気にヘドロ除去は出来るのだが、ハウスの中は重機が入れないので私たちの出番となった。 50人ほどを三組に分け、シャベル、鍬などで畑の土の上に堆積したヘドロを掘り起こし、一輪車で外に運ぶという作業だ。 この作業をビニールハウスの持ち主の方のだけで行ったら一体何ヵ月かかるだろう? 気の遠くなるような作業を私たちで少しでも力になればと思いつつ作業を始める。 決められた基準は無いので各自なんとなく分業する。私たちぱたぱた夫婦は最前線のスコップ部隊となり、目前のヘドロをスコップですくい、ひたすら一輪車に乗せる作業を行う。 ビニールハウスの中は暑い。一時間に一回きちんと休み、外の風にあたり飲み物補給しつつ作業を行う。 一日目は08:30から15:00まで作業し私たち担当のハウスは七割方片付いた。 車で日帰り温泉施設「ふたごの湯」で入浴して、宿泊地の公民館に行き、懇親会兼食事。 食事は各自用意。公民館の水とキッチンは備品を含め自由に使わせていただいた。 飲み会は続いていたが眠いので適当に切り上げて寝ることにする。 公民館のメイン部分の体育館的スペースに各自持参のシュラフで寝る予定だったが、まだ飲み会だったこともあり、私たちは公民館前の公園でテント張って寝た。 翌日は昨日の続きの作業。最初から担当していたハウスは無事終わらせ、隣のハウスを手伝い、あと少しのところで12時になり作業終了。 全部完了できずやや心残りだが、少しだけ役に立てたのではないか?と自分なりに納得して帰途に着く。 とただこれだけのことをしてきただけです。 資格や免許の必要な作業はまったくなし。ただ少し体力が必要なだけです。 約50人で一日半でテニスコート2面に満たないくらいの面積の泥を除去しただけです。 本当にたいしたことはないですが、だんだん進んでいく作業を見るのは単純にうれしいです。 労働して感じたものとしては、久しぶりに味わう充実感です。 くしくも百日の法要と重なりましたが、忙しい合間を縫って畑のオーナーの方もお越しになり、こんな素人工事にお礼を言われました。 なんと返してよいのかわかりませんでしたが、来て良かったと感じました。 そして近いうちにいい野菜を育てて欲しいと思いました。 参考資料 (服装) 泥だらけになってもいい スボンとシャツ。 古い雨具を最初着ましたが暑くてすぐ脱ぎました 着替えも必要 靴は登山靴より長靴がベター 帽子は特に晴天時必要 マスクは土ホコリが多いところがあるのであった方がいい。防塵用をしているひとが多いですが、きつくて不快なので、風邪用マスクをしてました。 軍手、今回濡れ物でなかったので普通の軍手で大丈夫でした。日数分用意したらいいかも。 ヘルメット、瓦礫除去でなかったので今回不要。 (持ち物) 手拭い、水(今回現場にあった水道は農具や手の洗い用で飲めない水でした。飲み物は持参がベスト) 行動食(おにぎり、菓子パンなど) スコップ、鍬などの道具類は現場で用意してくれたので不要でした。 宿泊用にテント、シュラフ、個人用マット、テントマット。 (その他) 現場のトイレ:近くのコミュニティセンターのトイレは故障で、センター前に仮設トイレが6台設置されていた。このトイレは足踏み式で水が流せてなかなか清潔。トイレットペーパーも備え付けられていた。 ただし多くの山小屋と同様に使用後の紙は備え付けのゴミ箱へ入れる方式。 コンロ、コッヘル、武器など自炊用具:公民館のキッチンが使えたのでコンロは未使用だった。 こうして見ると、長靴とマスク以外はテント山行時の装備とほとんど一緒で今回のために買い足したものはありませんでした。 <支援活動編まとめ> 地元の方々が何を求めているか集約し、ボランティアの人を集めるコーディネーターがまず必要と感じました。 今回はNPOでなく労山の方がとりまとめでした。出発前は不安でしたが、非常にやりやすかったです。 だいたいでいいのでスケジュールが分かる掲示板みたいなものがあったらもっと動きやすかったです。(ちなみに私たち労山会員ではありません) 労山の方々の組織力と機動力、行動力に感銘いたしました。 そして、労山会員でない私たちを快く迎え入れていただいたことに感謝いたします。 この機会を与えていただいたKさんご夫妻ありがとうございました。 <感想に続く> |
写真
感想
これは映画ではない、CGでもない、夢ではなかったという事実がそこにはあった。
二日目の作業前に石巻市の女川地区、作業終了後に東松島地区被災地を見て参りましたので、思った事を書きます。
<女川地区>
女川地区の港に近づくと、突如として破壊された町が現れる。
正直に言うとニュースでは毎日見かける風景だ。
でも生で見ると違う。
本当に違う。
天気は何も心配のない青空だ。
空気は清々しい。波もまったくない。
しかし見渡す限り廃墟しかないという現実。
震災から3ヶ月以上たつので、道路上の瓦礫は撤去され車の通行は可能だ。
ほとんどの建物は瓦礫となりどんな建物であったか分からない。わずかに残ったものは漁業関係の施設だとかろうじて判別出来る。
三階部分まで破壊されている。15〜20mの高さの津波だったのであろうか?
やや魚臭いがそれほどでもない。この瓦礫の中から腐りやすいものを片付けたのだろう。
港を見下ろす高台に大きな病院がある。高台は30mくらいか?ここなら大丈夫と思って近づくと玄関のガラスは割れ、駐車場の柵も仮設のものになっていた。
車で少し移動すると状況は変わる。わずか数百メートルの違いで被害の軽重は変わっている。
地形と標高によるものと思われる。
女川原発(壊滅的な中心地からは離れている)の被害が少ないのがせめてもの救いだ。
<東松島市大曲地区>
作業をした東松島市大曲地区はビニールハウスの周辺は住宅はかなり残っている。
よかったと思い近づいて見ると、ガラスは割れていて人の住んでいる様子がない家が多い。
ビニールハウスのあるところから数百メートル海寄りから被害は顕著になる。
畑の真ん中に船があったり、道路脇にちゃぶ台の脚が一本だけ転がっていたりする。
海側の壁だけ飛ばされリビングがむき出しになっている家もあった。
舞台のセットのようだ。
そのリビングでピアノがかろうじて立っていた。
このピアノはもう二度と弾かれることはないだろう。
津波に襲われた時間で止まってしまった時計もあった…
私の文章ではこれ以上伝えることは出来ません。
時間と体力さえあれば、わずかですが復興に役立つことは出来ます。
また機会があれば参加したいと思いました。
<追記>
被災地で十円玉を拾いました。
おそらく津波に呑まれたもので、かなり汚れてました。(写真参照)
家に持ち帰り酢で磨いたらピカピカになりました。
明日コンビニあたりで使おうかと思ってます。
この十円玉にとっては新しい人生の始まりです。
コインだからいろんなところを旅するでしょう。
旅の途中でまた東松島のどこかのお店で使われたらいいね。
復興への願いを込めて
patadanna
こんにちはkeroyon(元raichou)です
ボランティアお疲れ様でした。
ちゃんと行動で被災地支援して
いらっしゃる方に対しては本当に頭の下がる思いです。
bさんから聞いたのですが
週末は西穂に登られるそうですね。
国道158号線は土石流の影響で
新穂高のアクセスは遠くなってしまいました。
気をつけていらしてくださいね。
当日晴れることを、心より願っています。
かなりの肉体労働でしたみたい!その後の温泉がきっと気持ちよかった。
ヤマレコの皆さんは体が丈夫、キャンプもできるので、
このような活動にぴったりではないか。掲載するに対して
反対する人はいないと思います。
「50人で、ハウス一つしか出来ないの」と思う人が
いるかもしれないが、hanepata,patadannaの団体と同じように、
東北全体で、数百団体が動いている、かける三ヶ月間の毎日。
これで、何万人の被災者がある程度生活に戻れる。
Great work!
皆様には遠くからボランティアに来て頂いて、大変ありがたく思います。
宮城県に住んでいるものとして、心からお礼を申します。
本当にご苦労様でした。
同じ場所で作業していた者です。
私はビニールが張られていない、骨組みだけのハウスで作業していました。
画像にある公園に張ってある緑のテントは私の所属会のものですね。私は公民館で寝ましたが。
中途半端になってしまったのが、心残りでした。
機会があったら、また行きます。
keroyonさん
コメントありがとうございます
たまたまお誘いがあったのでやってみたのです。
恥ずかしながら本格的なボランティアは始めての参加でした。
とにかく目の前の作業がどんどんすすんでいくことが楽しかったです。
(ちなみに本業ではやってもやっても仕事が減らずに給料だけが減っていきます )
hanameizanさん
コメントありがとうございます
宿泊施設がなくても、食事の提供がなくても、特に気にならないですし、道具はだいたい持ってますので
復興支援ボランティアは、完全に登山愛好家向きと言えると思います。
被災地の皆様には早くもとの生活に戻っていただきたいと思いました。
setiさんありがとうございます
本当にたいしたことしてないのに、えらそうに書いてしまい、今更ながら恥ずかしくも思います。
ただ技術も資格もない人でも、少しだけですが役に立てることを伝えたかっただけです。
またいつか東北の山にご一緒できるといいですね
fukamanさん
コメントありがとうございました。
一緒にあの場所にいらっしゃったのですね。
そうですねやはり最後までしっかり終わらせたかったですね。
あの場所でおいしい野菜が育つ時がいまから楽しみですね
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