デナリ ウェストバットレス (マッキンリー West Buttress)
- GPS
- 728:00
- 距離
- 56.2km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
天候 | 晴れ、曇り、雪、あられ |
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過去天気図(気象庁) | 2017年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
飛行機
タルキートナ↔ベースキャンプ(タルキートナエアタクシー) |
コース状況/ 危険箇所等 |
クレパスが時々ある Fixロープが1箇所ある |
その他周辺情報 | タルキートナに飲食店やホテルが多数ある |
写真
装備
個人装備 |
■トップス
夏用半袖 FinTrek L2
冬用ベースレイヤー patagonia R2 merino
冬用長袖 patagonia R4 capilene
インサレーション patagonia Nano-Air™ Hoody
インサレーション patagonia R1Hoody
ハードシェル patagonia Super Alpine Jacket
アウターダウンジャケット patagonia Fitz Roy Down Parka
アウターダウンジャケット VALANDRE(同行者に借りました)
■ボトムス
夏用パンツ FinTrek ×2
冬用パンツ smartwool ×2
冬用タイツ patagonia R2 merino
中間ズボン patagonia R1
ズボン NorthFace アルパイン ライト パンツ
オーバーズボン patagonia Super Alpine
アウターダウンパンツ マウンテンハードウェア(レンタル)
■手足
厚手靴下(新品) smartwool ×4
冬用登山靴 SCARPA ファントム6000
アイゼン Brack Diamond 12本(レンタル)
スノーシュー (レンタル)
オーバーブーツ (レンタル)
象足 ナンガ
インナー手袋 smartwool
Brack Diamond
厚手 NORTHFACE
毛糸 ヘリテイジ
分厚い OR
ミトン ヘリテイジ
■顔系
サングラス(クリップオン)
サングラス
めがね
ゴーグル
ケース
ニット帽 smartwool
バラクラバ smartwool
ネックゲイター MAMUUT
帽子 MAMUUT
■登攀系
ピッケル グリベル
ストック
カラビナ ×9
ロック付きカラビナ ×4
ヘルメット
ハーネス
6mm ペルロンロープ
テープスリング
ピッケル⽤リーシューコード
■寝袋
厳冬期用 ISUKA-30度
マット
サーマレスマット
■その他
90Lザック
ダッフルバック
デポ袋 ISUKA 60L
日焼け止め
リップクリーム
カメラ
カメラ用予備バッテリー
カップ
スプーン
ボウル
テルモス700ml
プラティパス
オキシメーター
歯ブラシ
トイレットペーパー
おしりセレブバンドエイド
手ぬぐい
タオル
筆記用具
ノート
時計
財布
身体拭き用シート
山岳保険の保険証
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共同装備 |
食料
調理器具
テント
スコップ
等
|
感想
私にとってデナリは憧れでした。
星野道夫が愛したアラスカにある植村直己が亡くなった山。山田昇など厳冬期に数多くの登山家が命を落とした山。
山の始点から終点まで雪に覆われた大地を歩くと、どんな景色に出会えるのか、どんな気持ちになるのか、知りたかった。
10年前、自転車旅行の出発地点だったアラスカ。私はデナリに登りたかった。でも、その頃の私には、デナリに登るための力も覚悟も無かった。
アコンカグアに登頂した2年半前、次に登るのはデナリにしようと決めた。なぜなら、そこで出会った倉岡さんや登山仲間がいたためだ。
私は高度に強くないが、体力は人より少しある。技術はないが、エベレスト日本人最多登頂者の倉岡さんがいる。そして一緒に頂上を目指す仲間がいる。今回、倉岡さんが主催するツアーに参加し、デナリに行ってきました。
今回のメンバーはエベレスト日本人最多登頂者の倉岡さん、エベレスト登頂者、挑戦者、他のセブンサミット登頂者など日本ではなかなか出会わないメンバーばかりでした。
私も彼らに迷惑をかけられないので、デナリの前に富士山に20キロの荷物を背負って2度、北穂高にはGWに25キロの荷物を背負って頂上まで行きました。他にも会社の階段を毎朝登ったり、ミウラドルフィンズに8回通いました。ただ、体力はアコンカグアの時のほうがあったなーと実感しています。
デナリは決して難しい山ではありませんでした。それは私の参加した日程がとても天気の良いものだったことが大きな要因です。嵐が続けば、サミットプッシュのチャンスが得られないことも多々ある山です。私たちが登山をした日程は本当に天候に恵まれていました。
そして、デナリは思ったよりも荷物が軽かったです。当初、ザック25キロ、ソリ20キロの45キロ程度を常に持つかと思っていましたが、最大で40キロも背負っていないように思いますし、ザックだけの時も多かったです。時期的に他の隊がデポした食料や燃料を使うことができたのが要因のようです。ラッキーでした。
人間関係もアメリカ人ガイドは勿論、メンバーとも衝突はしました。文化の違い、山への向き合い方の違いなど、ムカつくことは沢山ありましたが、それでもテントの中はとても楽しく、お姉さまたちはとても優しかったです。
また、デナリは忍耐の山です。最初にレンジャーに”Patuence”と言われた言葉が胸に刺さります。倉岡さんにも”デナリは土方作業だ”というのもそのとおりです。ガイドからも”Denali is hard work”と言われたのも納得いくものです。
山の天候も、人間関係も忍耐が必要な中、倉岡さんを初め、メンバーの皆様には本当に助けられました。ありがとうございました。
以下、山行記録(日記)です。山の中の日記をほぼそのまま記載しているのでこれは山の記録なのかというと微妙ですが笑 語尾等直していないので、読みにくいですがご了承ください。
■行程
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・6月14日(水)
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成田17時発のUnited Airlines747に乗りサンフランシスコへ。サンフランシスコで働いている友人にトランジットの間会いました。19時40分初の飛行機が50分遅れ、20時30分頃アンカレッジに向けて飛び出ちました。
アンカレッジ到着は0時を少し回っていました。
その日は空港近くのホテルにて寝ました。
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・6月15日(木)
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時差ぼけで夜はあまり寝られず、朝6時30分からホテルで朝食を取りました。その後、タルキートナに向けてチャータータクシーで宿を出発。
途中、KEZやAMHでカラビナやピーボトルを購入。スーパーにもよりビーフジャーキー等も購入した。15時30分にタルキートナの宿に着いた。宿に着いた頃、雨が降ってきた。
タルキートナはAlaska鉄道が走り、静かで穏やかなところです。夜ご飯はリブステーキを食べて就寝。
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・6月16日(金)
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久しぶりにしっかり寝た。朝8時30分にタルキートナの町に行き、朝ごはんを食べた。14時からアメリカ人ガイドと会い、荷物チェックを行なった。荷物チェックが全員終わったのは20時になり、その後リブアイステーキを食べた。荷物チェックでNGが出たのは、ダウンパンツ、オーバーブーツ。シュラフやオーバーダウンも怪訝な顔をされたが、何とか大丈夫そうだった。
今回AMSという会社に登山をお願いしているのだが、AMSが運営しているショップで、カラビナやゴーグルなどを購入した。
私たちのガイドはカーティス、アレックス、デイブ、サミーの4人で、女子大生のサミーはインターン生だ。
個人装備の荷物の重量は63ポンド(約29キロ)まで減らした。
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・6月17日(土)
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朝7時50分に宿を出て、レンジャーステーションに行き、デナリのオリエンを受けた・その後登攀トレーニングやセルフレスキューの方法を学んだ。
予定では16時に飛行場に行って、そのままデナリに向かう予定だったが、雨が降ったりして結局飛ばず、1日停滞することになった。晩ご飯はAMSが用意してくれたピザを食べた。同じ種類のピザが4枚。
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・6月18日(日)
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荷物チェックでかなりの日本食をタルキートナに置いていくことにした。そのため、朝ごはんはフリーズドライの炒飯、味噌汁、ビーフシチューを食べた。
7時30分に宿を出て、一度AMSに寄り、すぐに飛行場に向かった。
ここで、女子大生サミーが体調不良になったことで、これまた大学生のクリスが代わりに行くことになった。
10時頃、やっとデナリの空に向かうことができた。5人乗った小型飛行機は正面にデナリの山頂を捉えながら進んでいく。
11時頃にデナリの7,200ftにあるベースキャンプ(2,200m)に到着した。すぐに天気が悪くなった。テントを張り、夜まで睡眠だ。ベースキャンプ付近は昼間動くとクレパスに落ちてしまう危険性が高いため、夜中の行動になる。SPO2は92くらいとまぁまぁ低い。テントは4人用に4人の男同士で寝た。
18時から蒸したサーモンに醤油とワサビを付け、ご飯を駆け込んだ。初めて履くスノーシューに少し戸惑いながら、いよいよ出発だと心が高揚していた。そして、出発の前に共同装備を渡された。これはなかなか重たい。でも、個人装備と共同装備合わせても35キロ〜40キロ程度なので、当初予定していたよりも十分軽い。よかった。
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・6月19日(月)
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0時にベースキャンプを出発し、7,800ftにあるC1(2,400m)に向かった。
0時に出発した私たちは、まず2時間、Heart Break Hillを一気に下って歩いた。ここまではなかなかのハイペース。さすがアメリカ人といったところでした。私の前にメインガイドのカーティスがいたのだが、ロープの張り具合で何度も怒られた。
休憩中は”水を飲め””行動食を食べろ””暖かくしろ”と口酸っぱくガイドは言ってくる。確かに−6度とは思えないほどの寒さ。
私のレイヤリングは下はタイツ、ズボンの2枚、上は夏用の下着、セカンドレイヤー、フリースの3枚だったので、確かに寒いわな。
休憩中はダウンを羽織った。休憩は1度に30分程取っている。休憩中に体力不足のメンバーの荷物を少し持ってあげた。デナリでは本当はあまりやるべきことではなかったと今では反省しているポイントだ。朝7時前にC1に到着し、テントを張って寝た。
14時過ぎまで寝て、16時からベーグルの朝ごはんを食べて再度寝た。夕方、デナリの滑走を終えた佐々木大輔のパーティに出会った。
夜22時からクリームパスタを食べて出発の用意をした。
SPO2は85くらい。やはり低い。
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・6月20日(火)
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夜0時15分、キャッシュ用の荷物を持ってC1から出発した。ソリは轢かず、ザックに荷物を入れた。今日は25キロくらいか。3時10分頃、天気が悪くなったので、2,900m地点でキャッシュをすることにした。
4時15分に下山を開始し、5時15分にC1に戻ってきた。
少し寝て、10時過ぎにオートミールを2つ食べた。オートミールは初めて食べるな。美味しいものではないけれど、しょうがない。
寝ていたら自分のいびきと寝言がすごかったらしい。寝言はなー夢遊病なんだよなー。19時からパスタを食べた。ガイドのアレックスが体調が悪く、今日予定では11,0001ftのC3(3,300m)に上がる予定だったが中止に。ガイドが体調崩すなんて変わってるな。SPO2は85くらい。
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・6月21日(水)
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ふて寝だ。ひたすら寝た朝10時からの朝ごはんは八つ橋の味のするご飯。シナモンやマンゴーが入っていて、決して美味しくない。でも体力を維持するために食べる。
更に、昨日の夜のパスタの残りをスープにして食べた。これは美味しい。
今日は天気が快晴で絶好のサミットデーだった。高気圧がきているのか、昨日よりも格段に天候が良い。テントの周りにはジェットストリームに乗ってやってきたアブが大量にいた。彼らは寒くなると気絶してしまう。夜はタイラーメンを食べた。
SPO2は92まで回復した。よし。体調を崩していたアレックスはここで下山することになった。ちょうど他のAMSの隊に混じって下山していった。こんなこともあるんだ。
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・6月22日(木)
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夜1時半にC1を出発。8時にC3に到着した。道はなだらかだったが、最後は急登だった。それでも体調は良い。
テン場やキッチンテントの整地にかなり時間をかけ、カーティスと喧嘩をした。10時に寝始めて、起きたら18時だ。今日は4人用のテントに3人で寝た。
20時過ぎからご飯を食べた。ここからは夜行動をやめて、昼間行動に戻すようだ。
SPO2は86だ。またもや下がってしまった。
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・6月23日(金)
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朝5時に起きて、オートミールを2つ食べた。7時に出発し、8時にキャッシュポイントへ。9時15分に再出発し、13時15分にC3に戻ってきた。このキャンプ地でここまで荷揚げしたどら焼きやバームクーヘン、羊羹をみんなに渡すことを決意。荷物をもっと軽くすべきということが分かってきた。夜はメキシコ料理。タコスにチーズと鶏肉を挟んだもので、とても美味しかった。
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・6月24日(土)
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朝6時過ぎに起きた。朝食はポテトチーズだ。
10時45分に出発し、17時45分にC3に戻ってきた。
今日はウィンディコーナーを超えたところまでキャッシュだった。坂はなかなか急できつかった。ただ、ソリは引いていないので荷物も25キロ程度。
夜はレトルトのカレーを食べた。インドカレーやタイカレーなどたくさんあり、これらはすごく重い。昨日のタコスも相当重かった。
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・6月25日(日)
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朝6時半に起き、オートミールと白ごはんを食べた。
白ごはんは他のメンバーのデポ品である。
11時にC3を出発。荷物が25キロは超えており、重い。18時に14,000ftのC4(4,300m)に到着した。C4の景色は壮大だった。またテントの整地に時間をかなりかけた。
夜は野菜たっぷりのぶっかけご飯。ご飯を食べた後、夕日に照らされた景色がとても美しかった。
私はこの標高でだいたい高山病の症状がピークを迎える。夜、SPO2を測ると69だった。やはりきた。
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・6月26日(月)
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0時に寝たが1時に目が覚めた。頭痛がする。むしろ頭が割れそうなくらい痛い。だましだまし寝て朝を迎えた。朝ごはんのパンケーキはほとんど食べられなかった。水は一日4リットル以上飲んでいるので、大丈夫だと思うが、今晩は一度もトイレに行かなかった。
吐き気が酷いし、尿が出ない。今日はキャッシュを回収しに行かなければならないが、かなり体調がきつい。
17時からキャッシュを取りに行った。戻ってきたのは19時頃だ。少し標高を下げたのと、動いたのが良かったのか大分元気になった。私の場合、標高4,300mくらいだと24時間安静にしておけばだいたい治る。尿もやっと正常に出るようになった。
夜は味噌汁ご飯とカルボナーラ。
昼間のSPO2は85くらいまえ回復していたが、夜寝るときは70台に下がっていた。むむむ。
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・6月27日(火)
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今日はFixロープのトレーニングをした。つまりレスト。
天気はとても良いが、昨日キャッシュを取りに行った時間のことを考えればレストの可能性がかなり高かった。
私にとってレストはありがたい。ただし天候のことを考えれば進みたいものだった。
朝ごはんはポテトチーズに粉末タマゴ。
Fixロープのトレーニング中、三浦豪太さんや天国じじいの貫田さんに会った。真っ黒に日焼けしている。貫田さん達から日本食をもらい、他の下山していくチームからも食料をもらった。充実した食料の宝庫になってきた。
夜は貫田さんからもらったちらし寿司の元を使ったご飯だ。
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・6月28日(水)
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今日もレストになった。朝の天候が良くなかったためだ。体調が回復しているので残念だ。
9時からパンにハムを食べ、雑炊を食べた。昼はトイレ環境を快適にするために堀を作ったり、デイブとedge of the worldに行った。とてもいい景色。
夜はガーリックライスとチキン。お腹いっぱいだ。明日は出発したい。
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・6月29日(木)
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朝7時過ぎに起床。オートミールを2つ食べて11時15分にC3を出発。13時15分にFixロープの取り付き地点に到着した。ここから15時15分までFixロープを登っていった。5,050m地点のFishBone地点に17時15分に到着した。ここでキャッシュだ。19時15分に下山を開始し、21時30分にキャンプ地に到着した。
Fixロープが終わったところで、デイブにロープワークについてすごく怒られた。FishBone地点では頭痛が酷かったけれど、少し下ると一気に楽になった。
夜はカレー風味のラーメンとクリスが作ってくれたラーメンを使ったパスタだ。どちらも美味しかった。
デイブはランダムにペースが変わるのでかなり疲れる。そしてとても感情的だ。僕もだけれども。
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・6月30日(金)
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今日はレストだ。昨日遅かったからだ。今回のガイドは朝起きるのが遅いため、夜遅く帰ってくることになるのでレストが多い。
なかなか早く起きることを提案しても太陽が当たらず寒いからと断られてします。難しい。
11時くらいまでテントの中でうだうだしていたが、寝る時も朝起きる時も頭が痛かった。12時くらいから昨日の残りのラーメンを食べ、ポテトチーズ、ナッツなど3時間くらい食べ続けた。その後、深さ150センチくらいのデポ用の穴を2つ掘った。これもデナリならではのいい経験だ。
夜は味噌汁とクリームパスタを食べた。明日は最終キャンプであるC5に上がる予定だ。
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・7月1日(土)
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13時にC4を出発した。11時15分に出発する予定だったので、ガイドと喧嘩をした。時間に関して、日本人は正確だ。遅くなれば勿論暖かくはなるだろうが、天候のことを考えれば早く行きたい。
途中、FishBone地点にデポしていた荷物を回収して、最終キャンプである17,000ftのC5(5,200m)地点に到着した。C5までの景色はとてもきれいだった。稜線と雲のバランスが美しかった。C5に着いた時間は20時になっていた。頭痛が酷い。吐き気はC4の時よりはマシだが、やはり頭は痛いものだ。夜はアメリカ製のフリーズドライのアルファ米を食べた。まずい。
C5に着いた時、デイブが登頂できるのは限られたメンバーになるかもしれないと言っていた。
C5に着いたが、水があまりもらえず辛かった。
高山病を治すためには水が必要なのだが、水作りは本当に大変だ。夜中、尿もあまり出なかった。C5の景色は美しい。
SP02は60台だ。
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・7月2日(日)
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今日は1日レストだ。夜遅く着いたのでしょうがない。でも、だからこそ、C4を早く出たかったのだ。今日はいい天気だった。
朝は味噌汁、夜は雑炊を食べた。明日はサミットプッシュに向けて出発を予定しているが、頭が痛い。水が飲みたい。SPO2は80前後をうろついているので、決して悪くは無い。但し、少し油断すると60台まで下がってしまう。16時からMTGをして、明日の出発に備えることになった。
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・7月3日(月)
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朝7時過ぎに起き、登頂時用に残していた牛飯のフリーズドライ、コーンスープ、ココア2杯、紅茶ラテを飲んだ。
ただ、天気が悪く、レストになった。風がある。今日は天気待ちだ。日数があまり無いため、本当に登れるか不安になる。
途中、女性メンバー達が近くにキャッシュしてある行動食を掘り起こしに行ってくれた。助かる。朝、水分を結構飲んだので、大分体調がマシになってきた。
SP02は70台。まぁまぁだ。
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・7月4日(火)
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1時に目が覚めた。頭痛だ。7時半に目が覚めた。頭痛だ。でも、6時間以上もガッツり寝た。体力はある。外を見てみると絶好のサミットデーだ。よし。
朝、オートミールだったけれど、まだ気持ち悪くて食べられない。もう一つ荷揚げしていたフリーズドライの牛飯を食べた。水が全然もらえず、飲み物がもらえない。
ぎりぎりでココアを200g飲んだ。それでも朝起きてから1リットルは飲んだ。水分はなんとかなるか。
11時に出発。デナリパスに13時30分に到着。デナリパスまで渋滞していたので、全然疲れていない。そこからもなだらかな道が進み、ペースもゆっくり。最後の美しい稜線も気持ちよく登れた。
19時57分に山頂に到着。全員登頂できたのが素晴らしい。21時に山頂を出発し、C5に戻ってきたのは25時30分ごろ。デナリパスでまた渋滞し、また太陽が隠れていたので寒かった。山頂の気温は−10度以下。C5に戻ってきた時の気温は−20度だ。でも風が無くて絶好の天気だった。ただ長い一日だった。夜はそれからフリーズドライを食べた。不味かった。
SP02は60台になってる。なぜだ笑 でも元気。
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・7月5日(水)
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朝は味噌汁を飲んだ。後はチョコバーを食べた。今日はベースキャンプまで一気に下るつもりだ。正直、メンバーの体力的にかなり難しいと思う。いくら下りでも荷物を背負って20キロほど歩くことになる。
15時に下山開始。18時30分にC4に到着した。相変わらずC4とC5間の景色は素晴らしいものだ。ただペースはかなりゆっくりだ。
C4からレンジャーがスキーで帰っていく。テン場にはテントは殆ど無い。デナリのシーズンは終わったのだ。
デポした荷物を回収し、21時にC4を出発。26時30分にC3に到着。今日はここでストップすることになった。やはり体力的にきつかったのだ。
C4からソリを引いた。憧れのウィンディコーナーでソリを引くのは本当に嬉しかった。しかも夕日が美しかった。赤く染まった景色が私たちを祝福してくれているようだった。下りの場合、ソリを引く人よりも、後ろでソリをコントロールするほうがかなり難しいようだ。なので、私はソリを引いて頂けれども、後ろにいたカーティスがソリを引いていたみたいなもので、全然疲れていなかった。ただウィンディコーナーでソリを引けて嬉しかった。
C3に到着後、すぐにフライ無しでテントを張り寝た。まずは6時間休憩だ。ここにはテントが1貼りも無かった。
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・7月6日(木)
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朝9時、C3にキャッシュしていた荷物をカーティスや男メンバーで掘り起こした。ただ、雪が固まるまでレストになった。やはり。他のメンバーがキャッシュしていたわかめごはんや味噌汁を飲んだ。水もたくさん飲んだ。
途中、レンジャーがヘリコプターでやってきた。埋めてあるゴミを回収するためだ。私たちのゴミも持って行ってくれた。40キロはあっただろう。ありがたい。
昼間、ガイドのカーティスとデイブと話をしていて、天気が悪いことを言っていた。低気圧が来ているのか、雲が多く気温も高い。
21時半に出発予定だったが、あられが降ってきたので待機。22時50分に出発。ここからクレパス地獄だった。
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・7月7日(金)
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C3を出ると急な下りのはずだが、あまり急さは感じ無かった。なだらかな斜面に出ると、クレパスが沢山出てきた。一番最初の大きめのクレパスに足を突っ込んでしまった。最悪だ。一気に恐怖心が出てくる。歩くのが怖いと思ったのは初めての経験だ。クレパスを避けて通るためなかなか進まない。
C1には3時に到着。C1にキャッシュしている荷物を回収したが、気温が5度程度で高く、寒くなるまでテントを張って待つことに。他のパーティが追いついてきた。4時50分に再出発した。他のパーティが先行している。しかし、クレパスが多く、気温も高い。6時30分には他のパーティと共にストップした。途中で他のパーティのガイドがクレパスに落ちたようだ。C1から直線距離で数百メートルしか進んでいない。
今日はみんなの帰国日だった。日本までの飛行機を諦める必要があり、悲痛な思いが伝わってくる。自然にはやはり勝てない。ひたすら寝た。燃料もあまりなく、水を新たにあまり沸かせない。この可能性があったため、C3で3リットル近く持って降りていたため私は水の心配は無かった。今後どうなるか分からないため、水はちびちび飲むようにした。
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・7月8日(土)
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2時過ぎに起きた。気温は0度くらいだ。良い気候だ。4時50分に出発。天気が良い。気温もやっとマイナスになった。6時くらいまで他のパーティが先行して進んだ。クレパスだらけで進みが悪い。
他のパーティが休憩しているのを追いぬいて、途中からカーティスが先行して進んだ。カーティスは何度もクレパスにハマった。私も最後の大きなクレパスにハマった。クレパスにハマったら雪の方に転がることが重要だとよく分かった。これまたいい経験だ。
8時にクレパスの危険地帯を抜けた。それまでまともな休憩が無く3時間歩き続けた。暖かくなる前に抜けて良かった。クレパス地帯を抜けたとき、太陽が私たちを照らした。これから暑くなる。
少し休憩して、他のメンバーのソリを2つ引いて、Heart Break Hillを登り始めた。他のメンバーはガイドを2人雇っているが、アレックスは体調不良で居なくなってしまったので、荷物を渡す人がいなかった。ソリを2つ引く経験なんてなかなか出来ることじゃないので、喜んでソリを引くことにした。Heart Break Hillでソリ2つは重かった。でもそれよりもソリを2つ引けるうれしさが勝った。
2時間後の10時にベースキャンプに戻ってきた。ベースに埋めてあったウィスキーとチーズでお祝い。美味かった。バームクーヘンも食べた。美味しかった。他のパーティもウィスキーやビールを埋めていたみたいだ。
11時過ぎの飛行機に乗り、12時にタルキートナに戻ってきた。その後シャワーを浴び、リブアイステーキを食べ、18時過ぎにタルキートナを出発した。
21時にアンカレッジの空港に着き、みんなと別れた。
私はそのまま空港に留まり、次の日から極北アラスカ行きの飛行機を待った。みんなはタルキートナの空港で飛行機のチケットを買い直していた。
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