岐阜駅北口のデッキ。駅から少し離れているせいか誰も通りません。ここからスタート。
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9/30 6:58
岐阜駅北口のデッキ。駅から少し離れているせいか誰も通りません。ここからスタート。
静かな問屋街を歩きます。戦後焼け野原になった岐阜駅前に満州からの引揚者によってバラック小屋が立てられ、この辺りで古着を売っていた通称「ハルピン街」がこの問屋街のルーツだといいます。
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9/30 7:00
静かな問屋街を歩きます。戦後焼け野原になった岐阜駅前に満州からの引揚者によってバラック小屋が立てられ、この辺りで古着を売っていた通称「ハルピン街」がこの問屋街のルーツだといいます。
昭和23年ごろには既製服の生産も始まり、昭和26年には問屋街が完成したそうです。
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9/30 7:01
昭和23年ごろには既製服の生産も始まり、昭和26年には問屋街が完成したそうです。
忠節橋通りに出て大宝町バス停。駅前のツインタワーを振り返る。ここから北へまっすぐ進みます。
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9/30 7:07
忠節橋通りに出て大宝町バス停。駅前のツインタワーを振り返る。ここから北へまっすぐ進みます。
千手堂交差点。2005年までは名鉄市内線が走っており千手堂電停がありました。「千手堂」の由来はこの付近のお寺にある千手観音堂からです。
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9/30 7:12
千手堂交差点。2005年までは名鉄市内線が走っており千手堂電停がありました。「千手堂」の由来はこの付近のお寺にある千手観音堂からです。
トーカイビル。駅前のシティタワー43が完成するまではこのビルが岐阜市内で一番の高さを誇るビルだったはず。
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9/30 7:17
トーカイビル。駅前のシティタワー43が完成するまではこのビルが岐阜市内で一番の高さを誇るビルだったはず。
本郷町バス停。名鉄市内線の本郷町電停は少し先だった気がします。向かいのローソンはずいぶん昔からあったなぁ。
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9/30 7:17
本郷町バス停。名鉄市内線の本郷町電停は少し先だった気がします。向かいのローソンはずいぶん昔からあったなぁ。
西野町バス停。西野町電停もこの付近でした。
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9/30 7:23
西野町バス停。西野町電停もこの付近でした。
忠節町にある天満宮。小さな神社ですが岐阜県内で最も古い天満宮だそうです。戦国時代の兵火や昭和20年の岐阜空襲などで何度も焼け落ち移転を繰り返し、この地に鎮座されています。
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9/30 7:29
忠節町にある天満宮。小さな神社ですが岐阜県内で最も古い天満宮だそうです。戦国時代の兵火や昭和20年の岐阜空襲などで何度も焼け落ち移転を繰り返し、この地に鎮座されています。
神社の裏を回って堤防へ。二代目忠節橋の石碑。左は「忠節橋」、右は「明治三十年六月」と書かれています。この場所に初代・2代目の忠節橋が架かっていました。
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9/30 7:37
神社の裏を回って堤防へ。二代目忠節橋の石碑。左は「忠節橋」、右は「明治三十年六月」と書かれています。この場所に初代・2代目の忠節橋が架かっていました。
二代目忠節橋 説明板。
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9/30 7:37
二代目忠節橋 説明板。
堤防上にコンクリートの欄干に溝がありますが、大水の際には地元民がここに畳を差し込んでかさ上げし町を守るためのものです。
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9/30 7:37
堤防上にコンクリートの欄干に溝がありますが、大水の際には地元民がここに畳を差し込んでかさ上げし町を守るためのものです。
現在の忠節橋(四代目)。初代・二代目の橋からは約300m下流になります。
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9/30 7:38
現在の忠節橋(四代目)。初代・二代目の橋からは約300m下流になります。
三代目の忠節橋はこの辺りに架かっていました。昔は橋脚の基礎が残っていたのですが今は見当たりませんでした。
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9/30 7:40
三代目の忠節橋はこの辺りに架かっていました。昔は橋脚の基礎が残っていたのですが今は見当たりませんでした。
歩道橋を登ると長良川と金華山が良く見えます。
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9/30 7:42
歩道橋を登ると長良川と金華山が良く見えます。
忠節橋の鋼鉄アーチ。昭和23年から橋を頑張って支え続けてくれています。以前は名鉄の赤いチンチン電車も橋の真ん中を走ってました。
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9/30 7:45
忠節橋の鋼鉄アーチ。昭和23年から橋を頑張って支え続けてくれています。以前は名鉄の赤いチンチン電車も橋の真ん中を走ってました。
早田電停跡。忠節橋を渡り切った堤上にありました。
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9/30 7:48
早田電停跡。忠節橋を渡り切った堤上にありました。
おだまきや「さかえや」。この近辺で育った者で、この店を知らない者と言っても過言ではないと思います。建物も昔のままで懐かしい。
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9/30 7:51
おだまきや「さかえや」。この近辺で育った者で、この店を知らない者と言っても過言ではないと思います。建物も昔のままで懐かしい。
名鉄岐阜市内線は、ここから専用軌道になって忠節駅で揖斐線に接続していました。今ではこの不自然なカーブの駐車場が名残ですね。
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9/30 7:53
名鉄岐阜市内線は、ここから専用軌道になって忠節駅で揖斐線に接続していました。今ではこの不自然なカーブの駐車場が名残ですね。
なんか今でも向こうからチンチン電車が走って来る気がします。「お仏壇の春堂」さんは以前は道の向かいにありましたね。
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9/30 7:53
なんか今でも向こうからチンチン電車が走って来る気がします。「お仏壇の春堂」さんは以前は道の向かいにありましたね。
この辺りに忠節駅がありました。今では面影もありません。
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9/30 7:57
この辺りに忠節駅がありました。今では面影もありません。
葛懸(かつらがけ)神社。毎年12月になるとふんどし一丁の男達が、長良川へ入り身を清める「みそぎ祭」が行われ、翌日の新聞一面を飾ります。
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9/30 8:08
葛懸(かつらがけ)神社。毎年12月になるとふんどし一丁の男達が、長良川へ入り身を清める「みそぎ祭」が行われ、翌日の新聞一面を飾ります。
近の島付近。ようやく旧街道っぽくなってきました。ナチュラルカーブな道に個人で営んでるお酒屋さんやお米屋さんを見つけると少し雰囲気が出ます。
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9/30 8:11
近の島付近。ようやく旧街道っぽくなってきました。ナチュラルカーブな道に個人で営んでるお酒屋さんやお米屋さんを見つけると少し雰囲気が出ます。
名鉄揖斐線・旦ノ島駅跡。廃線から12年経ちますが、まだホームは健在です。
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9/30 8:32
名鉄揖斐線・旦ノ島駅跡。廃線から12年経ちますが、まだホームは健在です。
尻毛(しっけ)橋を渡り伊自良川を越えます。
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9/30 8:43
尻毛(しっけ)橋を渡り伊自良川を越えます。
尻毛橋の上流。ここに名鉄揖斐線の橋梁が架かってました。
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9/30 8:45
尻毛橋の上流。ここに名鉄揖斐線の橋梁が架かってました。
そのまま国道157号沿いを歩き、川部で根尾川を渡ります。今の本家「根尾川」はもっと西に流れ揖斐川に合流していますが、往古の流路はここを流れ長良川に合流していたそうです。
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9/30 8:55
そのまま国道157号沿いを歩き、川部で根尾川を渡ります。今の本家「根尾川」はもっと西に流れ揖斐川に合流していますが、往古の流路はここを流れ長良川に合流していたそうです。
川部の白山神社。社務所の屋根を葺き替えていました。
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9/30 8:57
川部の白山神社。社務所の屋根を葺き替えていました。
川部白山神社の馬頭観音とお地蔵さん。お堂に囲われているので保存状態が良いです。
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9/30 8:58
川部白山神社の馬頭観音とお地蔵さん。お堂に囲われているので保存状態が良いです。
又丸の安養寺。尻毛橋からは歩道がない上に交通量が多い道をひたすら歩きます。
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9/30 9:06
又丸の安養寺。尻毛橋からは歩道がない上に交通量が多い道をひたすら歩きます。
これより北方町(森町)に入ります。
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9/30 9:11
これより北方町(森町)に入ります。
国道157号(右)と別れ、北方町の市街(左)へ向います。
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9/30 9:12
国道157号(右)と別れ、北方町の市街(左)へ向います。
岐阜農林高等学校。部活動を頑張る生徒さんの声が聞こえてきました。
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9/30 9:13
岐阜農林高等学校。部活動を頑張る生徒さんの声が聞こえてきました。
北方町への入り口と花屋旅館さん。交通量の多い道を歩き続けてきたのでホッとします。
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9/30 9:13
北方町への入り口と花屋旅館さん。交通量の多い道を歩き続けてきたのでホッとします。
円鏡寺の山門。大変立派なものです。
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9/30 9:27
円鏡寺の山門。大変立派なものです。
北方町のマンホール。中央は町章。周りは町の花スイセン。
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9/30 9:33
北方町のマンホール。中央は町章。周りは町の花スイセン。
旧・北方町役場。昭和48年に建設。平成28年に新庁舎が完成し移転しました。
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9/30 9:35
旧・北方町役場。昭和48年に建設。平成28年に新庁舎が完成し移転しました。
旧・北方町役場の前にある旧・本巣郡役所の玄関。明治35年に建設され、平成元年まで現役だったそうです。今は東屋になっており、少し休憩させてもらいました。
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9/30 9:35
旧・北方町役場の前にある旧・本巣郡役所の玄関。明治35年に建設され、平成元年まで現役だったそうです。今は東屋になっており、少し休憩させてもらいました。
北方町庁舎。2016年完成の新庁舎。
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9/30 9:46
北方町庁舎。2016年完成の新庁舎。
北方町立図書館。 本日閉館日…普通は月曜日休館が多いのに、と思ってあとで調べたら月末日は休館なのだそうです。少し戻って町を散策してみます。
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9/30 9:50
北方町立図書館。 本日閉館日…普通は月曜日休館が多いのに、と思ってあとで調べたら月末日は休館なのだそうです。少し戻って町を散策してみます。
北方旗本五千石 戸田孫七郎家陣屋跡。この道は大井神社の参道となっており、向かって右側に役所があり、左側には代官・奉行などの屋敷があったようです。道路右の水路はお堀跡。
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9/30 10:02
北方旗本五千石 戸田孫七郎家陣屋跡。この道は大井神社の参道となっており、向かって右側に役所があり、左側には代官・奉行などの屋敷があったようです。道路右の水路はお堀跡。
北方陣屋跡の説明。
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9/30 10:03
北方陣屋跡の説明。
北方城跡。住宅地の真ん中にポツンとあります。戦国期は西美濃三人衆の一人・安藤守就の居城でした。詳しくはわかっていないようですが、後に北方陣屋となる敷地の多くがこの城址だったようです。
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9/30 10:04
北方城跡。住宅地の真ん中にポツンとあります。戦国期は西美濃三人衆の一人・安藤守就の居城でした。詳しくはわかっていないようですが、後に北方陣屋となる敷地の多くがこの城址だったようです。
北方城跡 説明
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9/30 10:04
北方城跡 説明
大井神社。北方の鎮守さま。円鏡寺の鬼門鎮護の守護神として牛頭天王を祀ったそうです。江戸期には旗本戸田氏の崇敬を受け、明治期には郷社、昭和期には金幣社となりました。
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9/30 10:07
大井神社。北方の鎮守さま。円鏡寺の鬼門鎮護の守護神として牛頭天王を祀ったそうです。江戸期には旗本戸田氏の崇敬を受け、明治期には郷社、昭和期には金幣社となりました。
大井神社略記
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9/30 10:09
大井神社略記
大井神社を西に進みます。新町に祀られている神様。
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9/30 10:13
大井神社を西に進みます。新町に祀られている神様。
新町の我裸子や(がらすや)さん。こういう字を書くのを初めてみました。建物の西側にはうだつが上がっています。
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9/30 10:14
新町の我裸子や(がらすや)さん。こういう字を書くのを初めてみました。建物の西側にはうだつが上がっています。
駒来町。まだ昭和の匂いがする通りです。町の本屋さんも健在です。
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9/30 10:16
駒来町。まだ昭和の匂いがする通りです。町の本屋さんも健在です。
駒来町の長崎堂さん。街灯も味があります。
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9/30 10:17
駒来町の長崎堂さん。街灯も味があります。
百年記念通りのアーチ。なんとなく門をくぐると町に入ったという気分になります。
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9/30 10:20
百年記念通りのアーチ。なんとなく門をくぐると町に入ったという気分になります。
濃尾大震災による北方町の被害状況。明治24年にM8.0の大地震に襲われました。
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9/30 10:21
濃尾大震災による北方町の被害状況。明治24年にM8.0の大地震に襲われました。
濃尾大震災の写真。多くの家が倒壊し町は壊滅状態。火災が発生しなかったのが不幸中の幸いだったそうです。
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9/30 10:21
濃尾大震災の写真。多くの家が倒壊し町は壊滅状態。火災が発生しなかったのが不幸中の幸いだったそうです。
船町の常夜灯。往古の根尾川はこの辺りを流れていたようで、この辺りに船着き場があり「船町」といわれたそうです。今回はここで終了。北方バスターミナルへ向かいます。
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9/30 10:23
船町の常夜灯。往古の根尾川はこの辺りを流れていたようで、この辺りに船着き場があり「船町」といわれたそうです。今回はここで終了。北方バスターミナルへ向かいます。
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