子規古道を歩いてみた。(正岡子規―大曲花巻線―)


- GPS
- 03:03
- 距離
- 4.9km
- 登り
- 202m
- 下り
- 163m
コースタイム
- 山行
- 3:04
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:04
天候 | 晴れたり曇ったり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
『二人三人の牛飼いを見るは夕日も傾くにいづくに帰るらんと覚束なし。』途中略
『そを力にいそげども曲がりに曲がりし山路はたやすくそこに出づべくもあらず。』
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
飲料
レジャーシート
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
保険証
携帯
時計
タオル
ツェルト
ストック
カメラ
|
---|
感想
子規 六郷をゆく
※明治26年7月19日から8月20日まで32日間の旅である。
※松尾芭蕉の「奥の細道」の跡をたどって紀行文を書くための旅だった。
※子規は全行程を一人で歩いた。
※象潟はほとんど素通り「11日塩越村を経。象潟は昔の姿にあらず。塩越の松は…」
※本荘では、警察の紹介で穢き宿に泊まる。
※八郎潟、三倉鼻。
※久保田から大曲までの一部分は人力車。
※8月16日、大曲から湯本温泉までを一日で歩いた。
※六郷町、黒森峠を通った。
※山に入る前に、六郷東根で昼食(関田?荒川?)
◎「十六日大曲を発し六郷より新道に入る。六郷東根に午餐す。待つ事半時許り。そこにて菓子など買ひ蓄へ山を上る。上りつめたる処に鳥居あり。これ或は高木嶽と土手森の間ならんか。それより山腹を行く牛群れを放つ。覆盆子多し。茶屋も駄菓子もなき山路にいちごと清水いと有りがたし。
馬方の 山で飯食ふ 清水かな
旅人の 山路にくらす いちこかな
蜻蛉を 相手に上る 峠かな」 草稿より
◎「十六日六郷より岩手への新道を辿る。あやしき伏屋にやうやう午餐したためて山を上る事一里余。樵夫歌馬の嘶き遥か麓になりて嶺に達す。神宮寺大曲を中にして一望の平野眼の下にあり。
『蜻蛉を 相手にのぼる 峠かな』
山腹に沿うて行くに四方山高く谷深くして一軒の藁屋だに見えず。処処に数百の牛の群れをちらして二人三人の牛飼いを見るは夕日も傾くにいづくに帰るらんと覚束なし。路傍覆盆子林を成す。赤き実は珠を連ねたらんやうなり。急ぎ山を下るに茂樹天を掩ふて鳥声聞かず。下り下りてはるかの山もとに二三の茅屋を認む。そを力に急げども曲がりに曲がりし山路はたやすくそこに出づべくもあらず。
『蜩や 夕日の里は 見えながら』 本稿より
※湯元温泉に泊。一階の台所に布団を敷いて寝る。同じ日に石井露月が宿泊、二階。
◎日くれはてて麓村に下る。宵月をたよりに心細くも猶一、二里の道を辿りてとある小村に出でぬ。ここは湯田という温泉場なりけり。宿りをこへば家は普請に係り客は二階に満ちて宿し参らすべき処なしとことわる。強いて請ふに台所の片隅に炉をかかへて畳二畳許り敷きわが一夜の旅枕とは定まりぬ。建具ととのはねば鼾声三尺の外は温泉に通う人音絶えず。
『白露に 家四五軒の 小村かな』
『山の温泉や 裸の上の 天の河』
『肌寒み 寐ぬよすがらや 温泉の匂い』
秋もはやうそ寒き夜の山風は障子なき窓を吹き透して我枕を襲ひ薄蒲団の縫目深く潜みて人を窺ひたる蚤の群れは一時に飛び出でて我が夢を破る。草臥の足を踏みのばして眠り未だ成らぬに。
十七日の朝は枕上の塒の中より声高く開けはじめぬ。半ば腕車の力を借りてひたすらに和賀川に従ふて下る。ここより杉名畑に至る六、七里の間山迫りて河急に樹緑にして水青し。風光絶佳雅趣掬すべく誠に近国無比の勝地なり。三里一直線の坦途を一走りに黒沢尻に達す。家々の櫓端には皆七夕竹を立つ。此日陰暦七月六日なり。」 本稿より
※湯本から黒沢尻まで、一部を人力車で。
※ほっとゆだ駅に句碑がある。子規はここには寄っていないのではないか。
※北上市石羽根ダム湖畔広場に石碑あり。碑文は「ほっとゆだ駅」の碑と同じ。
※黒沢尻に二泊する。電信為替を待つため。17日、18日の夜。
※19日朝、水沢へ行く。昼は公園など水沢町内を見学。夜、水沢から夜行で出発。
※20日昼、上野に着く。
以上 岩谷朝徳先生の資料より。
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