渡良瀬遊水地を歩く(田中正造と足尾銅山鉱毒事件を偲びながら)
- GPS
- 08:00
- 距離
- 7.7km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
- 山行
- 2:43
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:43
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
※駅からハイキング(東武日光線) 北から ・藤岡駅 ・板倉東洋大前駅 ・柳生駅 ・新古河駅 (次のマップ参照) http://tabi.tobu.co.jp/playing/hiking/shizen/watarase/map.pdf 渡良瀬遊水地の周囲の長さは約30キロメートルです。健脚の方は挑戦してみてはどうでしょうか。ちなみに私は貧脚ですので… (-。−;) |
写真
感想
★★★ 田中正造と足尾銅山鉱毒事件のあらまし ★★★
渡良瀬遊水地の成りたちを紐解くと、日本最初の公害と認識された足尾銅山鉱毒事件の歴史にたどり着きます。
ハート型の遊水地があるこの区域には、古来より谷中村が存在してました。そしてこの地は、渡良瀬川、巴波川、思川に囲まれ、たびたび洪水に襲われましたが、反面、洪水が肥沃な土壌を運んでくるため全く肥料を必要としない程の沃田であり、人々は農業と漁業を営み豊かに暮らしていました。
一方、足尾銅山は殖産興国を旗じるしとした明治政府の政策と相まって急速に発展を遂げました。銅の著しい増産に伴って鉱害や煙害が生じ、渡良瀬川流域に流れ出た鉱毒により魚が死滅し植物は育たなくなりました。
この時、窮地に追い込まれた流域住民の力となったのが、帝国議会議員となっていた「田中正造」です。
困り果てた流域住民を救うため正造はこの谷中村に移り住み、村民と共に公害と戦い、明治政府に足尾銅山の操業停止を求めますが、政府は、原因は洪水にあるとして谷中村周辺一帯を遊水地化することに決定しました。
正造の天皇直訴事件や住民らの抵抗も空しく強制買収が行われ、住民は北海道の原野・不毛の地などに集団移住させられるなどして、谷中村は消滅。行政上も谷中村は廃村とされ藤岡町に合併となりました。
この様に歴史上、他に類を見ない形でつくられたのが現在の渡良瀬遊水地です。
遊水地は、埼玉・栃木・群馬・茨城の4県にまたがる3,300ヘクタールにおよぶ広大な面積で日本最大です。南端には45ヘクタールのハート型をした谷中湖があります。
また、ここは約500種もの動植物たちが息づく自然の宝庫でもあり、自然観察ゾーン、親水多目的ゾーン、子供広場ゾーン、谷中村遺跡保全ゾーンなどが配置され、巨大な楽園となっています。堤防の下には栃木県栃木市(平成の大合併で、藤岡町は栃木市と合併)の渡良瀬運動公園があり、野球場・陸上競技場・サッカー場・テニスコートなどが広がっています。
◆天皇直訴事件で逮捕された田中正造に対する内村鑑三の論評…
http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo47.htm
◆北海道移住者のその後…
http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo40_51.htm
◆雪印乳業株式会社の創業者・黒沢酉蔵が語る「田中正造」…
http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo49_02.html
◆田中正造と足尾銅山鉱毒事件について、歴史を詳しく知りたい方は…
http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/index4.html
※次の動画は、kawakiyoが2017年秋に撮った4分01秒の「旧谷中村・延命院跡の曼殊沙華」です。どうぞご覧ください。 (*^-^)
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