JR岐阜駅を出発。ここから少し南を通る中山道加納宿からスタートします。
1
5/5 9:25
JR岐阜駅を出発。ここから少し南を通る中山道加納宿からスタートします。
旧中山道加納宿を西へ。加納宿は戦災で建物は殆ど焼失してしまって面影は少ないです。
1
5/5 9:33
旧中山道加納宿を西へ。加納宿は戦災で建物は殆ど焼失してしまって面影は少ないです。
中山道加納宿西番所跡。ここが加納宿の西出入口。秋葉神社の中にひっそり碑が立ちます。
1
5/5 9:38
中山道加納宿西番所跡。ここが加納宿の西出入口。秋葉神社の中にひっそり碑が立ちます。
清本町2の信号を右へ折れJRの高架下を潜ります。
1
5/5 9:50
清本町2の信号を右へ折れJRの高架下を潜ります。
本荘まちづくり委員会の中山道案内板。こういう案内板はありがたいです。「本荘」の由来は中世にあった「平田荘」の中心ということだそう。
1
5/5 10:04
本荘まちづくり委員会の中山道案内板。こういう案内板はありがたいです。「本荘」の由来は中世にあった「平田荘」の中心ということだそう。
この少し手前の多羅尾立場に「だらり餅」を売っていた「松屋」という茶店があり旅人の休憩所だったそうです。私もこの現代の松屋で早めの腹ごしらえ。
1
5/5 10:24
この少し手前の多羅尾立場に「だらり餅」を売っていた「松屋」という茶店があり旅人の休憩所だったそうです。私もこの現代の松屋で早めの腹ごしらえ。
鏡島追分。ここで岐阜町からくる鏡島街道と合流。半年前には岐阜からここに歩いて来ました。
1
5/5 10:32
鏡島追分。ここで岐阜町からくる鏡島街道と合流。半年前には岐阜からここに歩いて来ました。
鏡島追分の道標。「左岐阜道 せき 上有知 郡上」。
1
5/5 10:32
鏡島追分の道標。「左岐阜道 せき 上有知 郡上」。
少し寄り道をして鏡島弘法(乙津寺)へ。「鏡島」の由来は弘法大師がここで鏡を立てたところ何もない島が桑畑に変わったという伝承から。
1
5/5 10:37
少し寄り道をして鏡島弘法(乙津寺)へ。「鏡島」の由来は弘法大師がここで鏡を立てたところ何もない島が桑畑に変わったという伝承から。
湊珈琲。築100年の古民家を改装してる珈琲店。昔は鏡島湊といい長良川舟運が盛んだった場所でもあります。
2
5/5 10:44
湊珈琲。築100年の古民家を改装してる珈琲店。昔は鏡島湊といい長良川舟運が盛んだった場所でもあります。
鏡島湊の説明板
1
5/5 10:57
鏡島湊の説明板
河渡の渡し跡。鏡島と河渡は明治初年まで渡船で長良川を渡っていました。河渡橋の上から撮影。
1
5/5 11:02
河渡の渡し跡。鏡島と河渡は明治初年まで渡船で長良川を渡っていました。河渡橋の上から撮影。
河渡の馬頭観音(天保十三年)。中山道の往来には馬は欠かせない存在ですので祀られているのでしょう。お堂の中にあり大きて立派な彫刻です。
1
5/5 11:12
河渡の馬頭観音(天保十三年)。中山道の往来には馬は欠かせない存在ですので祀られているのでしょう。お堂の中にあり大きて立派な彫刻です。
河渡宿一里塚跡と松下神社。塚は現存せず、碑しか残っていません。神社は水害の多かった河渡宿をかさ上げ工事を行った代官・松下内匠を祀っています。
1
5/5 11:16
河渡宿一里塚跡と松下神社。塚は現存せず、碑しか残っていません。神社は水害の多かった河渡宿をかさ上げ工事を行った代官・松下内匠を祀っています。
こうして街道の脇道をみると人の背丈ほどの高低差があります。
1
5/5 11:18
こうして街道の脇道をみると人の背丈ほどの高低差があります。
河渡宿の町並み。昭和期の建物は残りますが、全体的に面影は少ないです。
1
5/5 11:18
河渡宿の町並み。昭和期の建物は残りますが、全体的に面影は少ないです。
ここから瑞穂市へ。中山道沿いにこのような看板が所々にあるのは嬉しいですね。トイレの表示も助かります。
1
5/5 11:23
ここから瑞穂市へ。中山道沿いにこのような看板が所々にあるのは嬉しいですね。トイレの表示も助かります。
馬場の追分。中央には「忠君愛国」などと書かれた昭和八年に建てられた道標があり、北方・谷汲方面への分岐となります。
1
5/5 11:43
馬場の追分。中央には「忠君愛国」などと書かれた昭和八年に建てられた道標があり、北方・谷汲方面への分岐となります。
後で調べてみると碑には「右 合渡・加納ヲ経テ名古屋ニ至ル」「左 本田・美江寺ヲ経テ京都ニ至ル」 「右 高屋、北方ヲ経テ谷汲山ニ至ル」と書かれているそう。
1
5/5 11:43
後で調べてみると碑には「右 合渡・加納ヲ経テ名古屋ニ至ル」「左 本田・美江寺ヲ経テ京都ニ至ル」 「右 高屋、北方ヲ経テ谷汲山ニ至ル」と書かれているそう。
糸貫川を渡ると本田(ほんでん)へ。古い屋敷があり街道の風情があります。
1
5/5 11:52
糸貫川を渡ると本田(ほんでん)へ。古い屋敷があり街道の風情があります。
本田代官所跡。幕府の直轄地で代官所が置かれていた。
1
5/5 11:54
本田代官所跡。幕府の直轄地で代官所が置かれていた。
サボテン村。一面のビニールハウスはサボテンが育てられてます。
1
5/5 12:06
サボテン村。一面のビニールハウスはサボテンが育てられてます。
樽見鉄道踏切を越えた美江寺東口バス停脇が美江寺の谷汲街道追分です。左の道を進むと北方を経て谷汲に至ります。谷汲への道標は多く、当時は相当な巡礼者が多かったことがわかります。
1
5/5 12:13
樽見鉄道踏切を越えた美江寺東口バス停脇が美江寺の谷汲街道追分です。左の道を進むと北方を経て谷汲に至ります。谷汲への道標は多く、当時は相当な巡礼者が多かったことがわかります。
道標は大正十年建立で「左北方谷汲ニ至ル」「右岐阜加納ニ至ル」とあります。
1
5/5 12:12
道標は大正十年建立で「左北方谷汲ニ至ル」「右岐阜加納ニ至ル」とあります。
美江寺の一里塚跡。碑が残るのみです。
1
5/5 12:15
美江寺の一里塚跡。碑が残るのみです。
美江神社。美江寺宿の中央にあって宿場町の守護神。ここで少し休憩して靴下を交換。靴の中が蒸れるので靴擦れ予防も兼ねて。
1
5/5 12:36
美江神社。美江寺宿の中央にあって宿場町の守護神。ここで少し休憩して靴下を交換。靴の中が蒸れるので靴擦れ予防も兼ねて。
美江寺観音。美江神社の境内にあります。現在岐阜市内にある美江寺観音は元々ここにあった観音様を斎藤道三が移したもの。今こちらにある本尊は美江寺の民家にあった観音様を祀っています。
1
5/5 12:24
美江寺観音。美江神社の境内にあります。現在岐阜市内にある美江寺観音は元々ここにあった観音様を斎藤道三が移したもの。今こちらにある本尊は美江寺の民家にあった観音様を祀っています。
美江寺宿本陣跡。民家の屋敷前に碑のみあります。
1
5/5 12:50
美江寺宿本陣跡。民家の屋敷前に碑のみあります。
美江寺宿の町並み。加納や河渡と比べると旧宿場町の面影がナチュラルに残っている感じ。変に観光地化していなくて良い雰囲気。
1
5/5 12:50
美江寺宿の町並み。加納や河渡と比べると旧宿場町の面影がナチュラルに残っている感じ。変に観光地化していなくて良い雰囲気。
美江寺宿南の追分。道標があり墨俣方面(左の道)へと分岐になります。中山道は右の道へ進みます。
1
5/5 12:53
美江寺宿南の追分。道標があり墨俣方面(左の道)へと分岐になります。中山道は右の道へ進みます。
道標には「左大垣墨俣ニ至ル」「右大垣赤坂ニ至ル」。 隣にはお休み所が設けられています。地元の方のご厚意が嬉しいです。
1
5/5 12:53
道標には「左大垣墨俣ニ至ル」「右大垣赤坂ニ至ル」。 隣にはお休み所が設けられています。地元の方のご厚意が嬉しいです。
犀川の手前位に千手観音堂があります。河渡宿もそうでしたが観音様はとても立派。彫りも見事で千本とはいかないまでもたくさんの手が彫られています。
1
5/5 12:57
犀川の手前位に千手観音堂があります。河渡宿もそうでしたが観音様はとても立派。彫りも見事で千本とはいかないまでもたくさんの手が彫られています。
巣南庁舎や公民館などを過ぎると中山道跡地というミニ公園がありました。ここで同じく中山道を歩いている方と出会い少し立ち話。こういう偶然の出会いは嬉しいですねぇ。
1
5/5 13:16
巣南庁舎や公民館などを過ぎると中山道跡地というミニ公園がありました。ここで同じく中山道を歩いている方と出会い少し立ち話。こういう偶然の出会いは嬉しいですねぇ。
鷺田橋を渡ります。この高架の向こう側に鷺田橋に上がれる歩道があります。
1
5/5 13:27
鷺田橋を渡ります。この高架の向こう側に鷺田橋に上がれる歩道があります。
揖斐川を渡る。当時は「呂久の渡し」で揖斐川を渡っていたそうですが、現在よりかなり西を揖斐川が流れていました。
1
5/5 13:34
揖斐川を渡る。当時は「呂久の渡し」で揖斐川を渡っていたそうですが、現在よりかなり西を揖斐川が流れていました。
旧・巣南町マンホール。モミジをデザイン。小簾紅園のイメージかな。
1
5/5 13:43
旧・巣南町マンホール。モミジをデザイン。小簾紅園のイメージかな。
小簾紅園。幕末に和宮が呂久の渡しを通る際にここで紅葉を見ながら読んだ句碑などがあります。昭和初期にそれを記念して公園にしたそうです。
1
5/5 13:51
小簾紅園。幕末に和宮が呂久の渡しを通る際にここで紅葉を見ながら読んだ句碑などがあります。昭和初期にそれを記念して公園にしたそうです。
小簾紅園休憩所。所々にこういう配慮がなされやっぱり中山道はメジャーだなと思います。15年前に訪問した時に比べると地元の方たちの街道への関心の高さが増しているのも感じます。
1
5/5 13:48
小簾紅園休憩所。所々にこういう配慮がなされやっぱり中山道はメジャーだなと思います。15年前に訪問した時に比べると地元の方たちの街道への関心の高さが増しているのも感じます。
この細々とした小川が旧・揖斐川の名残でしょうか。ここを過ぎると神戸町柳原へ。
1
5/5 13:51
この細々とした小川が旧・揖斐川の名残でしょうか。ここを過ぎると神戸町柳原へ。
柳原の耕地整理竣工記念碑。追分の道標も兼ねています。
1
5/5 13:55
柳原の耕地整理竣工記念碑。追分の道標も兼ねています。
「右県道北方大垣線 美江寺北方岐阜方面」「左県道安次大垣線 斎田落合安次方面」 斎田・落合・安次などは神戸町の地名です。明治か大正時代に建立されたものでしょうか。
1
5/5 13:55
「右県道北方大垣線 美江寺北方岐阜方面」「左県道安次大垣線 斎田落合安次方面」 斎田・落合・安次などは神戸町の地名です。明治か大正時代に建立されたものでしょうか。
平野井川を渡ると大垣市へ。右に折れて桜並木の堤防沿いを歩きます。
1
5/5 13:57
平野井川を渡ると大垣市へ。右に折れて桜並木の堤防沿いを歩きます。
大島町の墨俣追分。中央に道標が立っており、右へ進むと美濃路の墨俣宿へと向かいます。
1
5/5 14:02
大島町の墨俣追分。中央に道標が立っており、右へ進むと美濃路の墨俣宿へと向かいます。
「左木曽路」「右すのまた宿」とあります。
1
5/5 14:01
「左木曽路」「右すのまた宿」とあります。
ぐちゃぐちゃと曲がりくねった道の先に中山道三回り半の碑があり、赤花町を西へ。
1
5/5 14:12
ぐちゃぐちゃと曲がりくねった道の先に中山道三回り半の碑があり、赤花町を西へ。
中山道三回り半の碑。
1
5/5 14:12
中山道三回り半の碑。
三津屋町3の信号は揖斐街道との交差点でもあります。「三津屋」は江戸期に幕府・岩村藩・大垣藩の3つの入会地だったことが由来。
1
5/5 14:24
三津屋町3の信号は揖斐街道との交差点でもあります。「三津屋」は江戸期に幕府・岩村藩・大垣藩の3つの入会地だったことが由来。
ここも谷汲山への分岐点のようです。脇にある観音さんは道標も兼ねています。こちらが旧・揖斐街道になるのかも。
1
5/5 14:29
ここも谷汲山への分岐点のようです。脇にある観音さんは道標も兼ねています。こちらが旧・揖斐街道になるのかも。
「左谷汲山ごうどいび近道」「右ぜんこうじ道」と観音様の脇に彫られます。
1
5/5 14:29
「左谷汲山ごうどいび近道」「右ぜんこうじ道」と観音様の脇に彫られます。
中山道七曲り道。田んぼのなかをくねくねと曲がっている道です。目の前には建設中の東海環状道が上を通ります。
1
5/5 14:33
中山道七曲り道。田んぼのなかをくねくねと曲がっている道です。目の前には建設中の東海環状道が上を通ります。
加納薬師如来これより八丁。この先の細い道を進むと神戸町加納にいきます。中山道はここを左折します。
1
5/5 14:44
加納薬師如来これより八丁。この先の細い道を進むと神戸町加納にいきます。中山道はここを左折します。
「左かのふ村やくしミチ」と彫られています。
1
5/5 14:45
「左かのふ村やくしミチ」と彫られています。
青木町の分岐。ここを左に入ります。
1
5/5 14:52
青木町の分岐。ここを左に入ります。
大垣市マンホール。地味です。
1
5/5 14:53
大垣市マンホール。地味です。
池尻の一里塚跡。横に植えられた木もいずれ大木になるのかな。
1
5/5 14:58
池尻の一里塚跡。横に植えられた木もいずれ大木になるのかな。
大垣道との追分。右へ行くと大垣方面へ。中央に交通安全灯篭が立ち「左なかせんどう」「右おおがきみち」とあります。
1
5/5 15:05
大垣道との追分。右へ行くと大垣方面へ。中央に交通安全灯篭が立ち「左なかせんどう」「右おおがきみち」とあります。
赤坂大橋(杭瀬川)を渡るといよいよ赤坂宿に入ります。
1
5/5 15:06
赤坂大橋(杭瀬川)を渡るといよいよ赤坂宿に入ります。
赤坂港跡。左側には川湊灯台に模した巨大な火の見櫓。ここで終了のつもりでバス停をさがすも見落とし。。とりあえずもう少し先へ。
1
5/5 15:11
赤坂港跡。左側には川湊灯台に模した巨大な火の見櫓。ここで終了のつもりでバス停をさがすも見落とし。。とりあえずもう少し先へ。
赤坂の谷汲巡礼街道の追分。ここから北へ進む道が谷汲巡礼街道となります。
1
5/5 15:16
赤坂の谷汲巡礼街道の追分。ここから北へ進む道が谷汲巡礼街道となります。
巡礼街道道標。「左たにぐみみち」。天和三年(1683)は今まで見た中ではかなり古い部類です。
1
5/5 15:17
巡礼街道道標。「左たにぐみみち」。天和三年(1683)は今まで見た中ではかなり古い部類です。
「左禅蔵寺」の道標 谷汲道標の隣にあります。禅蔵寺は池田町願成寺にある古刹です。
1
5/5 15:17
「左禅蔵寺」の道標 谷汲道標の隣にあります。禅蔵寺は池田町願成寺にある古刹です。
矢橋家の重厚な屋敷の前に「赤坂丸本跡」バス停がありました。今回はここで終了。2分ほどで名阪近鉄バスが到着し帰路につきました。
1
5/5 15:17
矢橋家の重厚な屋敷の前に「赤坂丸本跡」バス停がありました。今回はここで終了。2分ほどで名阪近鉄バスが到着し帰路につきました。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する