ルスツトレラン2017
- GPS
- 11:50
- 距離
- 64.2km
- 登り
- 3,619m
- 下り
- 3,633m
コースタイム
天候 | 晴れ時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
深夜3時半。
当然のことだが外は真っ暗で、スタート位置がどこなのかも分からないままみんなに付いて行くとスタートゲートが現れた。
そんな微妙な雰囲気のまま、80キロと60キロの選手たちは一斉にスタートした。
序盤のスキー場の登りは全体の流れに合わせてゆったりペースで進み、心拍数を140以下に抑えて我慢した。
おかげで最初のスキー場の山頂までは清清しい汗をかいた程度でクリアし、尻別岳に登るまでの砂利道の下りも同じ手法で6分ペースくらいで進む。
尻別岳へ入る藪地帯ではまだまだ暗い時間帯だったが、徐々に辺りが明るく感じてきた頃にいよいよ尻別岳への登りに入る。
序盤から結構な斜度の登りに一人二人と道を譲るランナーが増えてきて、譲られる私も徐々に厳しさを感じてきたため珍しく二人ほど先に行かせることになる。
過去2回の尻別岳ではポールが邪魔に感じられる印象があったため、尻別岳ではポールは温存してクリアすることにしていた。
だが、やはりポールは無いよりはあった方が良かったのかもしれない。
そんな苦しい状態のまま、水分と飴だけのノンストップ滝汗状態で尻別岳の山頂へたどり着いた。
やはり前回より5分ほど遅い通過で順位は確か13番目くらいだったが、全体の半分くらいの位置であれば御の字のつもりでいた。
毎回、尻別岳の下りは恐ろしいほどの滑り台になっていたが、今回は思ったほどの酷さではない。
とはいえ、思いっきり背中から落ちて後頭部を痛打した人がいて、しばらく動けなくなっていた。
そんなケガ人もいたので慎重に下っていたが、実は太ももがもうすでにヤバい状態になっていたのでペースを落とした感もある。
そんな時、遊園地内に戻っていい感じに走っていたら木製の橋に足を滑らせて思いっきりスッ転んだ。
その後のゴルフ場を回避するコースは、2年前に通った時は腰まで水に浸かるほどの超危険なジャングル地帯だったが、今回は足首くらいまでしか泥にはまらなかったので思ったよりはすんなり進めた。
その後のエイドでもひじから流血していることを知ったが、面倒なので流水で流してもらう程度にしてもらった。
スキー場の緩い登りは最初こそジョギングペースで走っていたが、そのうち徐々に歩きが入りその後はスキー場を横切りながら送電線の下を下るルートになる。
尻別岳の時点ですでに太ももに違和感というか痛みを感じていたので、得意の下りもやや慎重になってはいたが数人を抜いているうちに順位は8番になっていたようだ。
その後も山の中や林道を登ったり下ったりしながら進み、32キロ地点のエイドではボランティの方にも流血のことを言われた。
余程気になったようで、冷たい水で洗ったり大きな絆創膏を張ってくれた。
この後は一般の林道を地味に登る道のりが15キロも続くので、この区間をどれだけ我慢して走れるかが、このレースでの分かれ道になると言ってもいいだろう。
時間的にもお昼前後になるので、日差しは容赦なくランナーを苦しめることになる。
前後のランナーはほとんど見えなくなり、登りがきつくて歩きが入ると、後ろのランナーの熊鈴の音が聞こえる。
すると、ようやく「マズい、走らなきゃ」という思いに駆られて再び走り出す。
そして42キロのエイド辺りで前を走っていた80キロクラスのランナーに追いつき、しばらく一緒に走っていろんな話をした。
そのランナーは背が高く凛々しい体形で、来年UTMFを目指すと言うので私が昨年挑戦した時の話を色々しました。
ただ、この時点でこの辺りを走っているということは、レース前にキーポイントとしていた59キロの関門に間に合わないということが分かっていました。
80キロクラスではこの59キロを10時間半以内に通過出来なかった選手は、そのまま60キロクラスのコースを走りゴールタイムを計測するというルールになっている。
という訳で、もうすでに80キロを完走することが出来ないことが分かりながら走るのは非常にモチベーションを上げにくい心理状態である。
しかし私は最後までしっかり走りたいと思い、彼を道連れで走れるところはしっかり走って前に進んだ。結局、そのランナーとは10キロくらい一緒に走った。
49キロのエイドの後はスキー場の山頂まで一気に登るので、しっかり英気を養い水分と補給を摂った。
この後のスキー場への登りでは彼と離れ、完走できないと分かっていながらも私はその時点で残っている力を振り絞って登り切った。
山頂からは早朝に登ってきた尻別岳がきれいに見えた。
平らな場所に急峻にそびえ立つ尻別岳が見えると、あんな急な山を登ってきたのかと感慨深く思った。
その山頂からは3キロを一気に下るルートなので、例年狂ったように猛スピードで下るのだが、この時ばかりはさすがに太ももがヤラれていたので慎重に下るしかなかった。
そんな慎重に下っていると、先ほどのスキー場の登りで離れた彼とまた一緒になった。彼は一緒に下りながらもう足がボロボロなので、次のエイドでリタイアすると言った。
そして次の54キロエイドで彼とガッチリ握手をして別れ、彼のUTMF当選と私自身のこの後の検討を誓い合った。
この54キロのエイドは2015年の大雨と雷で避難した場所だ。
あの時はすぐ近くで雷が鳴っていたので本当に怖くて、10分くらいゴンドラ乗り場で収まるのを待ってリスタートしたらコースが川のようになっていた。
そんなことを思い出しながら再び地味な登りをヒタヒタと走り出すが、この後は高低差400mを一気に登る心臓破りの坂がある。
とにかく休む場所もないほどの登り一辺倒で、周りのランナー達の息遣いだけが聞こえる地獄絵図のようだった。
高低差400m、距離にすれば3キロの急登をゼィハァ言いながら登り続けるには、今年の私の体は鈍りすぎていた。
最後の登りだと分かってはいても、足が心臓が言うことを聞いてくれない。そんな時間が続いた。
そんな3キロの登りをたっぷり50分かけて登りきると、私は山頂でそのまま倒れるように横になった。
前回は雨の中を40分で登り切っていたようだが、今回はさすがにそのまま10分ほど横になってしまった。完全に無理して登ったようで心臓が壊れそうだった。
ゆっくり休んでしまったのは、すでに80キロクラスの完走が無理だと分かっていたこともあるが、最後の補給と給水をしっかりしておきたかったのもある。
登りや下りが長い時間続くとついつい補給のタイミングを逸してしまうことがよくある。
下り基調とは言え、60キロコースで帰るならまだ5キロ以上走らなくてはならないので、しっかり補給して再び下りに入った。
59キロの関門まで2キロではあったが、この時点で関門時間の10時間半になっていた。その後の下りを複雑な思いを抱えたまま走り、59キロ関門に着いたのは10時間55分。
80キロクラスへそのまま進める目安の10時間半を25分過ぎてしまったので、この後は60キロクラスへの変更が可能となる。
とはいえ、80キロにエントリーしていたのにその先に進まないのだから、80キロをリタイアしたと同じである。
当初の目標ではここを9時間半には通過していたかったが、今年の練習量を考えれば無理なことは解っていたので「よく頑張ったで賞」ということにしておこう。
という訳で私は60キロクラスに変更したことになり、そのままゴール地点に向かった。
あとはゴールまで確実に帰れば60キロクラスを走ったものとしてタイムが計測されるらしいが、順位の対象外となるので正直言ってどうでもよかった。
80キロクラスはリタイアだし、60キロクラスは順位の対象外なので正直言ってモチベーションはゼロだった。
エントリーしたことを後悔はしていないが、エントリーすべきでなかったことは確かだった。
全体の制限時間が延びたのに、途中の関門が昨年と全く同じだったことも正直言って不満だった。
私の早とちりと言われればそれまでだが、いずれにしてもダマされた感は残る。
足元はドロドロだし、気持ちは凹んでいるし…とにかく今日という一日が早く終わってほしかった。
そんな思いを抱えたまま泥沼コースは終了し、ようやく国道を渡り遊園地のゴールゲートをくぐった。
80キロクラスランナーがこんな時間に戻ってくるのは意外だったのか、MCのアナウンスも微妙だった。
どうやら80から60キロへ変更した二番目のゴールだったらしく、なんとも中途半端なレースは終わった。
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