神崎川からの神崎津の夜明け。
0
11/3 6:20
神崎川からの神崎津の夜明け。
神崎津は大坂からの街道や瀬戸内からの舟で来る人々にとって重要拠点でした。メインストリートには神社があり幅広の通りで昔の賑わいを想像できる町並みです。
0
11/3 6:28
神崎津は大坂からの街道や瀬戸内からの舟で来る人々にとって重要拠点でした。メインストリートには神社があり幅広の通りで昔の賑わいを想像できる町並みです。
工場の壁に描かれた往時の光景。
1
11/3 6:35
工場の壁に描かれた往時の光景。
今回の間道は直進。前回の本道(新道)は右に折れて伊丹を経由し再び安倉付近で合流します。
0
11/3 6:37
今回の間道は直進。前回の本道(新道)は右に折れて伊丹を経由し再び安倉付近で合流します。
角には道標があり明治初期のものです。「右 伊丹 中山 池田 能勢」「左 昆陽 小濱 有馬 三田」
1
11/3 6:37
角には道標があり明治初期のものです。「右 伊丹 中山 池田 能勢」「左 昆陽 小濱 有馬 三田」
直進。手前までの道は広くなっていますが右側を拡幅したものでしょうね。
1
11/3 6:42
直進。手前までの道は広くなっていますが右側を拡幅したものでしょうね。
郵便局の先にある松本五差路交差点を直進します。
0
11/3 6:43
郵便局の先にある松本五差路交差点を直進します。
次屋2丁目交差点では斜め方向に左に曲がります。
0
11/3 6:49
次屋2丁目交差点では斜め方向に左に曲がります。
ここには道標が移設保存されています。
2
11/3 6:49
ここには道標が移設保存されています。
安永8年のもので尼崎で最古の道標だそうです。「左ハ次屋村大辯財天女」弁財天とは近くにある伊邪那岐神社という説もありますが街道沿いにある下坂部集落内の常願寺の末社に弁財天があり明治時代に伊邪那岐神社に合祀とあるので道標の弁財天とは下坂部の常願寺を指してるのではと思います。
3
11/3 6:50
安永8年のもので尼崎で最古の道標だそうです。「左ハ次屋村大辯財天女」弁財天とは近くにある伊邪那岐神社という説もありますが街道沿いにある下坂部集落内の常願寺の末社に弁財天があり明治時代に伊邪那岐神社に合祀とあるので道標の弁財天とは下坂部の常願寺を指してるのではと思います。
道標の近くの民家の脇に馬橋旧跡の碑があります。この碑は馬橋の石材を使っているそうです。
1
11/3 6:51
道標の近くの民家の脇に馬橋旧跡の碑があります。この碑は馬橋の石材を使っているそうです。
下坂部小学校付近の旧道風情。
1
11/3 6:55
下坂部小学校付近の旧道風情。
この先で左に曲がります。資料によっては右というものもあるので注意です。
1
11/3 6:57
この先で左に曲がります。資料によっては右というものもあるので注意です。
左のルートには真新しい道標が置かれてます。
1
11/3 6:59
左のルートには真新しい道標が置かれてます。
突き当りに古い道標があり右方向へ。「右 中山有馬」、「左 尼崎」「左 神崎大坂道」。中山は中山寺のことですがこの付近から宝塚にかけて中山と書かれた道標が非常に多いです。
0
11/3 7:00
突き当りに古い道標があり右方向へ。「右 中山有馬」、「左 尼崎」「左 神崎大坂道」。中山は中山寺のことですがこの付近から宝塚にかけて中山と書かれた道標が非常に多いです。
下坂部の集落は古い風情が残っています。
2
11/3 7:01
下坂部の集落は古い風情が残っています。
常願寺跡、厳島神社跡(弁財天)。ここの集落は常願寺を中心とした寺内町を形成していたと思われます。
1
11/3 7:03
常願寺跡、厳島神社跡(弁財天)。ここの集落は常願寺を中心とした寺内町を形成していたと思われます。
集落の端には環濠の跡がありました。
1
11/3 7:05
集落の端には環濠の跡がありました。
名神高速をくぐって先の旧道へ。
0
11/3 7:07
名神高速をくぐって先の旧道へ。
ここを左。
0
11/3 7:10
ここを左。
道なりに左へ。
0
11/3 7:11
道なりに左へ。
近松門左衛門にちなんだ公園があります。
1
11/3 7:12
近松門左衛門にちなんだ公園があります。
近松門左衛門と書かれた碑。
1
11/3 7:12
近松門左衛門と書かれた碑。
公園は池があり水面に反射した木々が美しかったです。東屋もあり休憩にぴったり。
1
11/3 7:15
公園は池があり水面に反射した木々が美しかったです。東屋もあり休憩にぴったり。
久々知山廣済寺。近松門左衛門の墓があります。
1
11/3 7:18
久々知山廣済寺。近松門左衛門の墓があります。
この祠の角を右へ。直進の道は江戸時代にはなかった道です。
0
11/3 7:20
この祠の角を右へ。直進の道は江戸時代にはなかった道です。
「右 中山有」、「左 尼崎西」ですが有馬の馬と西宮の宮が埋まっています。
1
11/3 7:20
「右 中山有」、「左 尼崎西」ですが有馬の馬と西宮の宮が埋まっています。
ここを右へ。
0
11/3 7:23
ここを右へ。
ここを左へ。
0
11/3 7:25
ここを左へ。
ここを右ですが左手に道標があります。
0
11/3 7:28
ここを右ですが左手に道標があります。
「すぐ あまが崎」、「左 かん崎大坂」。「右 小者゛ま中山有馬」。ここで小浜宿の名前が出てきました。
1
11/3 7:28
「すぐ あまが崎」、「左 かん崎大坂」。「右 小者゛ま中山有馬」。ここで小浜宿の名前が出てきました。
直進すると塚口駅前のマンション群が現れます。かつては森永製菓の工場があったのですが開発によって旧道もろとも消滅しています。
0
11/3 7:31
直進すると塚口駅前のマンション群が現れます。かつては森永製菓の工場があったのですが開発によって旧道もろとも消滅しています。
JR塚口駅前。
0
11/3 7:35
JR塚口駅前。
左に曲がってJRの踏切を渡ります。ここで旧道が復活します。
0
11/3 7:37
左に曲がってJRの踏切を渡ります。ここで旧道が復活します。
踏切横には比較的新しい道標があります。昭和5年のものでわかりやすい字体で書かれています。大阪の阪は坂でなく阪。西北は西宮北口のことを指してるのでしょうか。
1
11/3 7:37
踏切横には比較的新しい道標があります。昭和5年のものでわかりやすい字体で書かれています。大阪の阪は坂でなく阪。西北は西宮北口のことを指してるのでしょうか。
この辺りから伊丹台地上を進みます。
0
11/3 7:39
この辺りから伊丹台地上を進みます。
ここを右へ。4車線の大きな道です。
0
11/3 7:41
ここを右へ。4車線の大きな道です。
左斜めへの道を進みます。
0
11/3 7:44
左斜めへの道を進みます。
塚口城の東門跡。土塁と堀の跡が残っています。城は中世の城郭で江戸時代は寺内町として発展していきます。寺内町とは関西によくある形式の町ですね。
1
11/3 7:45
塚口城の東門跡。土塁と堀の跡が残っています。城は中世の城郭で江戸時代は寺内町として発展していきます。寺内町とは関西によくある形式の町ですね。
堀の痕跡。
0
11/3 7:46
堀の痕跡。
東門付近に案内地図がありました。資料(直進道)とは違う道筋(右折)が示されていますが当時としてはどちらも町中の道であったのでどちらが正解かはよくわかりません。
1
11/3 7:45
東門付近に案内地図がありました。資料(直進道)とは違う道筋(右折)が示されていますが当時としてはどちらも町中の道であったのでどちらが正解かはよくわかりません。
ただ、自然石の古い道標が角にあることからここで右折が正解かもしれません。「右 昆陽中」、「左 西宮」。中は中山寺で一部隠れてしまっているようです。
1
11/3 7:49
ただ、自然石の古い道標が角にあることからここで右折が正解かもしれません。「右 昆陽中」、「左 西宮」。中は中山寺で一部隠れてしまっているようです。
右折の道はこんな感じです。寺内町のど真ん中を突っ切るルートです。
1
11/3 7:51
右折の道はこんな感じです。寺内町のど真ん中を突っ切るルートです。
資料のルート(直進方向)の道沿いには正玄寺があります。いわゆる塚口御坊で塚口城の本丸跡に建てられています。
1
11/3 8:01
資料のルート(直進方向)の道沿いには正玄寺があります。いわゆる塚口御坊で塚口城の本丸跡に建てられています。
ここを右へ。
0
11/3 8:02
ここを右へ。
所々で住宅で狭くなっていますが昔は広かったと思われます。
1
11/3 8:08
所々で住宅で狭くなっていますが昔は広かったと思われます。
阪急伊丹線の踏切を渡ります。踏切横に少し街道の痕跡が残っています。
1
11/3 8:10
阪急伊丹線の踏切を渡ります。踏切横に少し街道の痕跡が残っています。
踏切を渡って旧道を進むと小高い丘にぶつかります。丘を左に迂回する道筋を取りますが丘自体は昔からあるもので墓もかなり古い時代からあったものと思われます。
1
11/3 8:14
踏切を渡って旧道を進むと小高い丘にぶつかります。丘を左に迂回する道筋を取りますが丘自体は昔からあるもので墓もかなり古い時代からあったものと思われます。
ここから先しばらくは企業の敷地になっていて消滅しています。左に曲がって迂回します。
0
11/3 8:15
ここから先しばらくは企業の敷地になっていて消滅しています。左に曲がって迂回します。
来来亭の角から旧道が復活します。左へ。
0
11/3 8:20
来来亭の角から旧道が復活します。左へ。
企業の社宅沿いに進みます。かつては田園風景が広がっていました。
0
11/3 8:21
企業の社宅沿いに進みます。かつては田園風景が広がっていました。
右斜め方向へ進み道なりに左に曲がります。
1
11/3 8:29
右斜め方向へ進み道なりに左に曲がります。
旧街道を横切ります。この辺りは南野集落。
1
11/3 8:31
旧街道を横切ります。この辺りは南野集落。
新幹線の高架をくぐります。
0
11/3 8:33
新幹線の高架をくぐります。
右に折れてすぐに左に折れます。
0
11/3 8:35
右に折れてすぐに左に折れます。
道路を渡って先にある旧道へ。右手のコンビニで少し休憩をしました。
1
11/3 8:37
道路を渡って先にある旧道へ。右手のコンビニで少し休憩をしました。
住宅街の中を進みます。この辺りもかつては田園風景が広がっていました。
1
11/3 8:42
住宅街の中を進みます。この辺りもかつては田園風景が広がっていました。
大きな道路を渡って先にある旧道へ。
1
11/3 8:47
大きな道路を渡って先にある旧道へ。
西国街道との交点が近づいてきました。
1
11/3 8:56
西国街道との交点が近づいてきました。
左右方向が西国街道です。昆陽は古代からあった宿場町で本陣もおかれていました。特にこの辺りは平安時代の貴族が好んで昆陽野、昆陽池と歌を詠んでいて古くから親しまれていた場所だったようです。
1
11/3 8:56
左右方向が西国街道です。昆陽は古代からあった宿場町で本陣もおかれていました。特にこの辺りは平安時代の貴族が好んで昆陽野、昆陽池と歌を詠んでいて古くから親しまれていた場所だったようです。
交差点には道路元標がありました。稲野村と書かれてあります。
1
11/3 8:56
交差点には道路元標がありました。稲野村と書かれてあります。
東天神社の鳥居前を左へ。
1
11/3 9:01
東天神社の鳥居前を左へ。
「左 中山 三田」「小濱 有馬」、「右 大坂 尼ヶ崎」
1
11/3 9:02
「左 中山 三田」「小濱 有馬」、「右 大坂 尼ヶ崎」
昆陽交差点を過ぎて伊丹病院の脇を進みます。
0
11/3 9:09
昆陽交差点を過ぎて伊丹病院の脇を進みます。
右手に旧道の痕跡が残っています。
1
11/3 9:12
右手に旧道の痕跡が残っています。
ここはわかりずらいですが右斜め方向に進んですぐに左折します。
0
11/3 9:13
ここはわかりずらいですが右斜め方向に進んですぐに左折します。
昆陽池の木々が見えてきました。
1
11/3 9:14
昆陽池の木々が見えてきました。
昆陽池西交差点。道路の向こう側に北向地蔵があり道が若干膨らんでいる感じがあります。おそらく旧道の痕跡だと思われます。
1
11/3 9:19
昆陽池西交差点。道路の向こう側に北向地蔵があり道が若干膨らんでいる感じがあります。おそらく旧道の痕跡だと思われます。
昆陽池。行基の指導によって農業用のため池として作られています。今は池の真ん中に日本地図の島があることで有名ですね。
1
11/3 9:22
昆陽池。行基の指導によって農業用のため池として作られています。今は池の真ん中に日本地図の島があることで有名ですね。
中野大橋南詰交差点。交差点付近は少し道筋が消滅しています。橋を渡って左に横断歩道を渡ります。
0
11/3 9:28
中野大橋南詰交差点。交差点付近は少し道筋が消滅しています。橋を渡って左に横断歩道を渡ります。
白い車が入っていく道へと進みます。
0
11/3 9:29
白い車が入っていく道へと進みます。
左方向から旧道が現れます。右へ。
0
11/3 9:30
左方向から旧道が現れます。右へ。
大きな木の先には少し前まで妙見山常夜灯と道標があったのですがなくなっていました。
0
11/3 9:32
大きな木の先には少し前まで妙見山常夜灯と道標があったのですがなくなっていました。
中野新田は江戸時代初期に作られたもので中野、西野、東野の三地区にまたがっています。
0
11/3 9:34
中野新田は江戸時代初期に作られたもので中野、西野、東野の三地区にまたがっています。
素盞鳴神社の鳥居前を左へ。どうも今回の街道では道の正面に神社があって神社を迂回するような道筋が多いですね。
0
11/3 9:41
素盞鳴神社の鳥居前を左へ。どうも今回の街道では道の正面に神社があって神社を迂回するような道筋が多いですね。
常夜灯型道標。「右 大坂」、「左 小濱」弘化年間のもの。
0
11/3 9:43
常夜灯型道標。「右 大坂」、「左 小濱」弘化年間のもの。
安倉追分。右方向から伊丹を経由してきた本道と合流します。
0
11/3 9:50
安倉追分。右方向から伊丹を経由してきた本道と合流します。
祠もあって追分風情がたまらんですね。この付近は姥ヶ茶屋という地名で茶屋があって休憩場所でもあったようです。
0
11/3 9:51
祠もあって追分風情がたまらんですね。この付近は姥ヶ茶屋という地名で茶屋があって休憩場所でもあったようです。
下の池公園の中に入ります。左手の遊歩道が旧道です。
0
11/3 9:55
下の池公園の中に入ります。左手の遊歩道が旧道です。
学校にぶつかって旧道は消滅。左に迂回します。
0
11/3 10:00
学校にぶつかって旧道は消滅。左に迂回します。
この付近から旧道が復活。
0
11/3 10:01
この付近から旧道が復活。
参考までに付近の旧道マップです。
0
11/3 10:02
参考までに付近の旧道マップです。
国道176号の少し手前で左折します。
0
11/3 10:06
国道176号の少し手前で左折します。
国道と交差した先の旧道へ。上安倉交差点。
0
11/3 10:08
国道と交差した先の旧道へ。上安倉交差点。
右手の公民館の下に道標が移設されています。
0
11/3 10:10
右手の公民館の下に道標が移設されています。
自然石のもので「右 大坂ミち」「左 京ミち」
0
11/3 10:10
自然石のもので「右 大坂ミち」「左 京ミち」
中国自動車道とぶつかります。右にある地下道を通って向こう側へ。
0
11/3 10:14
中国自動車道とぶつかります。右にある地下道を通って向こう側へ。
この付近は宝塚インターになっていて外周道路沿いに進みますが意外と痕跡は残っています。この右側の膨らみがそれです。かつて大きな池があったのですが中国自動車道を作る際に埋め立てられています。
0
11/3 10:18
この付近は宝塚インターになっていて外周道路沿いに進みますが意外と痕跡は残っています。この右側の膨らみがそれです。かつて大きな池があったのですが中国自動車道を作る際に埋め立てられています。
ここで旧道が復活します。
0
11/3 10:20
ここで旧道が復活します。
左へ。ここで京伏見街道と合流します。
0
11/3 10:21
左へ。ここで京伏見街道と合流します。
ここには道路元標があります。
1
11/3 10:22
ここには道路元標があります。
インターの取り付け道路を潜れば小浜宿です。
1
11/3 10:22
インターの取り付け道路を潜れば小浜宿です。
小浜宿の東門跡。石積みにかつての雰囲気が残ります。宿場町の入口に愛宕さんを祀るのは他でもよくあることで火災除けのためでした。
1
11/3 10:24
小浜宿の東門跡。石積みにかつての雰囲気が残ります。宿場町の入口に愛宕さんを祀るのは他でもよくあることで火災除けのためでした。
小浜宿のマップ。以前、ブラタモリで小浜宿が紹介されてからの2か月ほどはフィーバーで凄い人で賑わったそうです。
0
11/3 10:24
小浜宿のマップ。以前、ブラタモリで小浜宿が紹介されてからの2か月ほどはフィーバーで凄い人で賑わったそうです。
小浜宿は宿場町でもあり寺内町でもあります。宿場内は他の寺内町と同様に屈曲した道筋になっています。
0
11/3 10:25
小浜宿は宿場町でもあり寺内町でもあります。宿場内は他の寺内町と同様に屈曲した道筋になっています。
その角々には丁寧に道標が置かれありがたいものです。元禄年間のもので地中に埋まっていたものを偶然発掘されたものなんだとか。「従是右 崑陽寺行」、「きやうきゟ尼崎江」。
0
11/3 10:26
その角々には丁寧に道標が置かれありがたいものです。元禄年間のもので地中に埋まっていたものを偶然発掘されたものなんだとか。「従是右 崑陽寺行」、「きやうきゟ尼崎江」。
ここを左へ。
0
11/3 10:26
ここを左へ。
「右 中山 大坂」、「左 三田有馬」。嘉永年間のものです。
0
11/3 10:27
「右 中山 大坂」、「左 三田有馬」。嘉永年間のものです。
小浜宿がんばってますね。関西では数多くの古い町がありますが観光開発は寺内町が多いので宿場町を全面に押し出したものは少なくうれしい限りです。
0
11/3 10:28
小浜宿がんばってますね。関西では数多くの古い町がありますが観光開発は寺内町が多いので宿場町を全面に押し出したものは少なくうれしい限りです。
小浜宿のメインストリート。角には資料館があって無料で見学することができます。
0
11/3 10:29
小浜宿のメインストリート。角には資料館があって無料で見学することができます。
ここを右へ。
0
11/3 10:30
ここを右へ。
豪摂寺。小浜御坊です。小浜宿の中心となる寺で豊臣秀吉が有馬湯治の際に千利休を伴って宿泊しています。
0
11/3 10:35
豪摂寺。小浜御坊です。小浜宿の中心となる寺で豊臣秀吉が有馬湯治の際に千利休を伴って宿泊しています。
資料館は元は山中家の敷地に建つのですが敷地内に玉ノ井という井戸があり今も水が湧き出ています。千利休もこの水を使ったそうです。
0
11/3 10:59
資料館は元は山中家の敷地に建つのですが敷地内に玉ノ井という井戸があり今も水が湧き出ています。千利休もこの水を使ったそうです。
突き当りを左へ。
0
11/3 11:32
突き当りを左へ。
右へ。
0
11/3 11:33
右へ。
左下の坂道へ。いわし坂です。ここは北門跡で愛宕さんが祀られています。
0
11/3 11:34
左下の坂道へ。いわし坂です。ここは北門跡で愛宕さんが祀られています。
この付近も伊丹台地上にあって横を流れる川は人工的に防衛の意味で作られたという話です。
0
11/3 11:36
この付近も伊丹台地上にあって横を流れる川は人工的に防衛の意味で作られたという話です。
橋を渡って向こう側へ。そもそも内陸なのに浜という名前が付いているのは太古の昔はすぐ近くまで海だったという話があります。街道と街道が交わる場所で大変な賑わいがあって宝塚の原点は小浜といっても過言ではありません。
0
11/3 11:37
橋を渡って向こう側へ。そもそも内陸なのに浜という名前が付いているのは太古の昔はすぐ近くまで海だったという話があります。街道と街道が交わる場所で大変な賑わいがあって宝塚の原点は小浜といっても過言ではありません。
狭い坂道を抜けて車道に出ます。
0
11/3 11:38
狭い坂道を抜けて車道に出ます。
旧和田邸。無料で見学することができます。
0
11/3 11:41
旧和田邸。無料で見学することができます。
邸内には道標が保管されています。弘化年間のものです。元々は中国自動車の場所にあったそうです。
0
11/3 11:44
邸内には道標が保管されています。弘化年間のものです。元々は中国自動車の場所にあったそうです。
街道は少し高台を進んでいます。宝塚のマンション群と甲山が見えます。
0
11/3 11:54
街道は少し高台を進んでいます。宝塚のマンション群と甲山が見えます。
JR福知山線の踏切を渡ります。
0
11/3 11:55
JR福知山線の踏切を渡ります。
国道176号線の先にある旧道へ。
0
11/3 11:56
国道176号線の先にある旧道へ。
清荒神駅横の踏切を渡ります。
0
11/3 11:57
清荒神駅横の踏切を渡ります。
旧の国道176号線ですが交通量は少なく快適に歩けます。
0
11/3 12:00
旧の国道176号線ですが交通量は少なく快適に歩けます。
清荒神参道を横切ります。清荒神は関西で有名な台所の神様。正月はかなりの人で賑わいます。
0
11/3 12:02
清荒神参道を横切ります。清荒神は関西で有名な台所の神様。正月はかなりの人で賑わいます。
その賑わいは町石に「日本第一」と刻まれていることからもわかりますね。「清荒神霊社 従是八丁」
0
11/3 12:01
その賑わいは町石に「日本第一」と刻まれていることからもわかりますね。「清荒神霊社 従是八丁」
六甲山の東の端が見えてきました。
0
11/3 12:03
六甲山の東の端が見えてきました。
静かな住宅街の中を進みます。
0
11/3 12:16
静かな住宅街の中を進みます。
今回のゴール。宝塚駅はすぐ近く。
0
11/3 12:17
今回のゴール。宝塚駅はすぐ近く。
yaonyaosuke2さん、久し振りの街道歩き、お疲れ様でした。
春の『本道』に続いての『間道』ですか
地元だけに、それなりに古い道筋が残っているのは解っているものの、一本に繋げるのが難しいといいますか
あらためて見ますと、伊丹〜宝塚辺りの道筋は、県道指定されつつも迷走気味の区間と似た道筋を辿ってますね
勉強になりますφ(..)メモメモ
八尾から大阪市内へと引っ越してきたのですが
兵庫県の街道がめっぽう近くなったので
これからどんどん歩いていこう思ってます。
京伏見街道、西宮街道などなど
兵庫も歴史が深くて面白いですね(*´ω`*)
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する