墨俣バス停。前回は美濃路を垂井からここまで歩いたので、今回のスタートはここからです。
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4/7 7:25
墨俣バス停。前回は美濃路を垂井からここまで歩いたので、今回のスタートはここからです。
墨俣の桜並木。満開でした。奥に一夜城が見えます。
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墨俣の桜並木。満開でした。奥に一夜城が見えます。
長良川を渡ります。江戸期にはこの上流に「墨俣の渡し」がありましたが、今は無いので長良大橋を渡ります。昭和8年製の武骨なトラス橋。
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4/7 7:32
長良川を渡ります。江戸期にはこの上流に「墨俣の渡し」がありましたが、今は無いので長良大橋を渡ります。昭和8年製の武骨なトラス橋。
岐阜市へ入り、茶屋新田の大江川桜並木。
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4/7 7:46
岐阜市へ入り、茶屋新田の大江川桜並木。
境川を渡るとすぐに羽島市へ。昔はこの川が木曽川の本流で、美濃と尾張の「境川」でした。当時は「小熊の渡し」がありました。
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境川を渡るとすぐに羽島市へ。昔はこの川が木曽川の本流で、美濃と尾張の「境川」でした。当時は「小熊の渡し」がありました。
境川堤防沿いを東へ。桜並木が気持ちよかった。
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4/7 8:02
境川堤防沿いを東へ。桜並木が気持ちよかった。
小熊の一里塚跡を通過。
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4/7 8:03
小熊の一里塚跡を通過。
境川堤防を歩くこと30分弱で右の道を下ります。
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境川堤防を歩くこと30分弱で右の道を下ります。
分岐には「親鸞聖人後旧跡」の碑と石仏が二体。石仏には「右笠松 西方寺道」「すぐ墨俣 大垣道」。
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4/7 8:18
分岐には「親鸞聖人後旧跡」の碑と石仏が二体。石仏には「右笠松 西方寺道」「すぐ墨俣 大垣道」。
裏面には「寺田山渋谷院西方寺」「従是北六丁」
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4/7 8:19
裏面には「寺田山渋谷院西方寺」「従是北六丁」
阿遅加神社。このあたり足近地区の総社で日本武尊を祀ります。日本武尊が当地を訪れた際に飲んだ水が美味しく「味佳(あじか)」と言ったのが地名の由来だとか。
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4/7 8:24
阿遅加神社。このあたり足近地区の総社で日本武尊を祀ります。日本武尊が当地を訪れた際に飲んだ水が美味しく「味佳(あじか)」と言ったのが地名の由来だとか。
少し南へ進むと旧街道は途切れ、区画整理された農地になります。
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4/7 8:32
少し南へ進むと旧街道は途切れ、区画整理された農地になります。
足近小学校付近で街道復活。そこに道標あり。
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4/7 8:45
足近小学校付近で街道復活。そこに道標あり。
堤防でみたのと同じく西方寺への道標でした。
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4/7 8:45
堤防でみたのと同じく西方寺への道標でした。
このあたりは間の宿で休憩所だったようです
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4/7 8:45
このあたりは間の宿で休憩所だったようです
及が橋。何の変哲もない小さな橋ですが、鎌倉街道の頃から由緒ある橋だそうです。
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4/7 8:55
及が橋。何の変哲もない小さな橋ですが、鎌倉街道の頃から由緒ある橋だそうです。
及が橋灯篭。今では小さな川ですが、昔は大水が出ると渡船を出していたほど増幅しその安全祈願のものです。
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4/7 9:01
及が橋灯篭。今では小さな川ですが、昔は大水が出ると渡船を出していたほど増幅しその安全祈願のものです。
意味もなくカーブしてる道を見ると旧街道を歩いていると実感します。
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4/7 9:16
意味もなくカーブしてる道を見ると旧街道を歩いていると実感します。
不破一色の一里塚跡。 正木小学校の中に石碑のみあります。
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4/7 9:19
不破一色の一里塚跡。 正木小学校の中に石碑のみあります。
正木の追分地蔵。竹ヶ鼻町(羽島市)と美濃路の分岐にあり、横に道標があります。
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4/7 9:25
正木の追分地蔵。竹ヶ鼻町(羽島市)と美濃路の分岐にあり、横に道標があります。
「右 竹ヶ鼻道」
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4/7 9:24
「右 竹ヶ鼻道」
「左 笠松 墨俣道」「右 起道」
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4/7 9:25
「左 笠松 墨俣道」「右 起道」
大浦の民家門前にポツンと道標。近づきにくい…
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4/7 9:33
大浦の民家門前にポツンと道標。近づきにくい…
「右いせみち」「左おこし舟渡」
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4/7 9:33
「右いせみち」「左おこし舟渡」
木曽川の起渡船場跡には金毘羅神社が祀られています。
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4/7 9:36
木曽川の起渡船場跡には金毘羅神社が祀られています。
今は渡船が無いので下流の橋へ迂回。堤防の上は怖いので中段を歩きます。しっかり踏み跡あり。
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4/7 9:39
今は渡船が無いので下流の橋へ迂回。堤防の上は怖いので中段を歩きます。しっかり踏み跡あり。
濃尾大橋の手前の堤防上に「起渡船場石灯籠」があります。道路中央にあるので要注意。
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4/7 9:46
濃尾大橋の手前の堤防上に「起渡船場石灯籠」があります。道路中央にあるので要注意。
濃尾大橋で木曽川を渡り愛知県一宮市へ。床の鉄板がペラペラで怖い。
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4/7 9:56
濃尾大橋で木曽川を渡り愛知県一宮市へ。床の鉄板がペラペラで怖い。
起渡船場跡にある金刀比羅社。濃尾大橋の上流にあり、橋が架橋される昭和31年まで運用されていました。
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4/7 10:06
起渡船場跡にある金刀比羅社。濃尾大橋の上流にあり、橋が架橋される昭和31年まで運用されていました。
起渡船場のすぐ前にある「湊屋」。古民家を利用したカフェ。
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4/7 10:05
起渡船場のすぐ前にある「湊屋」。古民家を利用したカフェ。
江戸初期に木曽川堤防を築く難工事の際に人柱となった与三兵衛を弔う観音様。濃尾大橋建設の際に犠牲となった方も祀られています。
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4/7 10:16
江戸初期に木曽川堤防を築く難工事の際に人柱となった与三兵衛を弔う観音様。濃尾大橋建設の際に犠牲となった方も祀られています。
起宿には旧家が結構残っています。
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4/7 10:26
起宿には旧家が結構残っています。
起宿脇本陣林家。 尾西歴史民俗資料館でもありますが現在は改修工事中で見学はできませんでした。
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4/7 10:33
起宿脇本陣林家。 尾西歴史民俗資料館でもありますが現在は改修工事中で見学はできませんでした。
一宮市は繊維の街なので「のこぎり屋根」の繊維工場が見られます。
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4/7 10:41
一宮市は繊維の街なので「のこぎり屋根」の繊維工場が見られます。
長い黒壁の大きな邸宅
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4/7 10:43
長い黒壁の大きな邸宅
駒塚道への分岐。左へ進むと木曽川を渡り、対岸にある羽島市駒塚へ向かいます。
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4/7 10:49
駒塚道への分岐。左へ進むと木曽川を渡り、対岸にある羽島市駒塚へ向かいます。
「左駒塚道」(慶應三年)
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4/7 10:49
「左駒塚道」(慶應三年)
富田の道標(一里塚横に移設)。 案内板によると右の道標は「左 おこし道」「右 つしま道」(弘化三年) 左の道標は「是より左 こまつか渡船場」と書かれているそう。風化して読めません。
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4/7 10:51
富田の道標(一里塚横に移設)。 案内板によると右の道標は「左 おこし道」「右 つしま道」(弘化三年) 左の道標は「是より左 こまつか渡船場」と書かれているそう。風化して読めません。
富田の一里塚(西塚)。 美濃路で唯一両塚が残る一里塚。大変立派です。
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4/7 10:53
富田の一里塚(西塚)。 美濃路で唯一両塚が残る一里塚。大変立派です。
富田の一里塚(東塚)。 こちらのものは小さくなってしまいました。
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4/7 10:53
富田の一里塚(東塚)。 こちらのものは小さくなってしまいました。
不自然な歩道があるので廃線路かと思いましたが、用水路の暗渠でした。
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4/7 10:55
不自然な歩道があるので廃線路かと思いましたが、用水路の暗渠でした。
天神の渡し跡。今では流路が変わり面影もありませんが、昔は400mほどの渡船場だったそうです。
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4/7 11:06
天神の渡し跡。今では流路が変わり面影もありませんが、昔は400mほどの渡船場だったそうです。
孝子佐吾平の碑。 暴れ馬を抑えようとして誤って大名行列を塞ぎ無礼打ちされた佐吾平を祀る。
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4/7 11:16
孝子佐吾平の碑。 暴れ馬を抑えようとして誤って大名行列を塞ぎ無礼打ちされた佐吾平を祀る。
萩原橋で日光川を渡ると萩原宿に入ります。
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4/7 11:21
萩原橋で日光川を渡ると萩原宿に入ります。
萩原宿本陣跡は碑のみ。
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4/7 11:25
萩原宿本陣跡は碑のみ。
萩原宿の現在は商店街となっていました。
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4/7 11:25
萩原宿の現在は商店街となっていました。
正瑞寺の前を左折。
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4/7 11:27
正瑞寺の前を左折。
昭和の雰囲気が色濃く残る萩原商店街。
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4/7 11:29
昭和の雰囲気が色濃く残る萩原商店街。
萩原下町の交差点。ここで巡見街道との交差をします。
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4/7 11:31
萩原下町の交差点。ここで巡見街道との交差をします。
面白い地名の「串作」。 工人の集落があったのが由来だそう。
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4/7 11:38
面白い地名の「串作」。 工人の集落があったのが由来だそう。
高木一里塚跡の碑。
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4/7 11:49
高木一里塚跡の碑。
一里塚の前は萩原八景にも選ばれた松並木があったそうです。今は面影もありません。
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4/7 11:49
一里塚の前は萩原八景にも選ばれた松並木があったそうです。今は面影もありません。
中島宮の鳥居。 ずいぶん先に社殿が見えます。
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4/7 12:08
中島宮の鳥居。 ずいぶん先に社殿が見えます。
稲沢市へ。
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4/7 12:14
稲沢市へ。
三宅川を渡り稲葉宿へ入ります。
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4/7 12:48
三宅川を渡り稲葉宿へ入ります。
この橋は「はえのはし」と読むそうです。魚に少ないで「はえ」というのかぁ。
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4/7 12:49
この橋は「はえのはし」と読むそうです。魚に少ないで「はえ」というのかぁ。
稲葉宿は旧街道らしいナチュラルカーブで両側には旧家も多いです。
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4/7 12:51
稲葉宿は旧街道らしいナチュラルカーブで両側には旧家も多いです。
稲葉宿にある禅源寺。明治初期に「稲葉騒動」と呼ばれる農民一揆衆が集結した所。
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4/7 12:58
稲葉宿にある禅源寺。明治初期に「稲葉騒動」と呼ばれる農民一揆衆が集結した所。
砂が噴出して堂宇が大破…液状化現象でもあったのかな。
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4/7 12:59
砂が噴出して堂宇が大破…液状化現象でもあったのかな。
商店の脇に津島道標と説明板があります。となりの商店の方から街道のことを説明して頂きました。ありがとうございました。
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4/7 13:07
商店の脇に津島道標と説明板があります。となりの商店の方から街道のことを説明して頂きました。ありがとうございました。
「右つしま道 三里」
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4/7 13:09
「右つしま道 三里」
稲葉宿問屋場跡。家の前に説明石碑が立ちます。
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4/7 13:09
稲葉宿問屋場跡。家の前に説明石碑が立ちます。
「瑞豊」という造り酒屋さん。
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4/7 13:10
「瑞豊」という造り酒屋さん。
旧・中部電力稲沢支店のレンガ建築。
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4/7 13:11
旧・中部電力稲沢支店のレンガ建築。
小沢一里塚跡。看板のみです。 「稲葉」と「小沢」を一文字ずつ取って「稲沢」となりました。
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4/7 13:19
小沢一里塚跡。看板のみです。 「稲葉」と「小沢」を一文字ずつ取って「稲沢」となりました。
蓮御山吉祥寺。この付近は「高御堂」という地名で、往古は多くの寺院が立ち並んでいたそうです。今ではこのお寺のみが残っています。
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4/7 13:50
蓮御山吉祥寺。この付近は「高御堂」という地名で、往古は多くの寺院が立ち並んでいたそうです。今ではこのお寺のみが残っています。
国府宮の一ノ鳥居。この先600mほどに裸祭りで有名な国府宮神社があります。
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4/7 13:58
国府宮の一ノ鳥居。この先600mほどに裸祭りで有名な国府宮神社があります。
周りに建物がなくなると三菱電機のエレベーター実験塔が良く目立ちます。
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4/7 14:05
周りに建物がなくなると三菱電機のエレベーター実験塔が良く目立ちます。
長束付近。現在はタワーマンションが多くあります。以前は松並木があって、その雰囲気を残そうと若い松が植えられているようです。
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4/7 14:06
長束付近。現在はタワーマンションが多くあります。以前は松並木があって、その雰囲気を残そうと若い松が植えられているようです。
長束正家(豊臣家の五奉行の一人)邸跡の碑。
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4/7 14:21
長束正家(豊臣家の五奉行の一人)邸跡の碑。
井之口と聞くと岐阜の古名を思い出します。この辺りは排水が悪い土地だったので、ここから排水路を掘ったのが由来だそうです。
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4/7 14:34
井之口と聞くと岐阜の古名を思い出します。この辺りは排水が悪い土地だったので、ここから排水路を掘ったのが由来だそうです。
東海道本線の踏切を越えたところが「四ツ家追分」。左からくる岐阜街道(御鮨街道)との合流点になります。
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4/7 14:48
東海道本線の踏切を越えたところが「四ツ家追分」。左からくる岐阜街道(御鮨街道)との合流点になります。
少し南にある長光寺に「四ツ家追分の道標」が移築されています。
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少し南にある長光寺に「四ツ家追分の道標」が移築されています。
北市場美濃路公園。「美濃路」の名前を残してくれるのはうれしい。
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4/7 14:58
北市場美濃路公園。「美濃路」の名前を残してくれるのはうれしい。
清洲古城跡。花見の客が多くいました。
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4/7 15:26
清洲古城跡。花見の客が多くいました。
名鉄 丸ノ内駅に到着。今回はここで終了です。
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4/7 15:51
名鉄 丸ノ内駅に到着。今回はここで終了です。
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