GWの記録6 越後の高田城を中心に巡る。 お城と軍都。


- GPS
- 02:59
- 距離
- 8.7km
- 登り
- 6m
- 下り
- 6m
コースタイム
天候 | 曇り時々雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
朝、富山県の道の駅で目覚める。また雨だ、まあいい。今日も三百名山や花の百名山・新・花の百名山などのリストの中では登れる山はないのだ。青海黒姫山辺りはどうかとも考えていたが最近の参考記録を見るといずれも雪だ。となると話は速い、どこか野町を傘をさして歩くのだ。
色々検索すると上越市の高田公園の歴史記念館が昨年リニューアルオープンしたという情報にたどり着いた。富山から運転してきて結構時間も押してきているため、そろそろ決断しなければならない。そこで私は国道8号から進路を右にとった。
高田公園には第8まで駐車場があり桜や蓮のシーズンでなければ混むこともなく止めることができた。
高田城は100名城ではなく続・日本百名城に選ばれている。以前来たことはあるのだがそれはもう15年近く前であるように感じている。
さて、昨年リニューアルオープンした博物館は非常に面白かった。戦国時代は春日山城が使われていたのだが、なぜここに政庁としてのお城を作る必要があったのか。しかも徳川家康の実子が最初の大名として赴任している。その後も基本親藩大名や譜代大名がここを治めるが、子供がいなく断絶したり、不祥事を起こして改易されたりした。1600年代後半になりここに赴任した榊原氏による治世は、江戸時代最後まで続くこととなった。
榊原家の治世では災害があったりし幕府に借金をしたこともあったが、幕府の中でも要職についた人もいたそうだ。
幕末では幕府軍として長州戦争に赴いたが、その後は新政府軍として幕府軍と戦った。しかし江戸詰めの藩士は上越側の態度がわからぬうちに上野戦争に幕府軍として参加してしまう。この中には結局五稜郭まで行ってしまった人もいたそうだ。また、一部の藩士は会津若松城の戦いに参加しなくなった藩士もいたそうである。
歴史博物館を見たあとは高田公園を色々見て歩く。もう桜の時期は過ぎているようだが、まだ名残のヤエザクラが残っていた。スポーツセンターとしても整備されているので陸上競技場や野球場などもあった。
その後は町の顔となるような駅に行くこととします。北陸新幹線の開業で信越線は第3セクターとして「越後トキめき鉄道」となった。それでも結構人は乗っているようだ。まだ昼食をとっていないがお腹もすいていない。駅前ラーメン屋にちょっと惹かれるが何とか次の目標を見いだし、また歩きだした。
高田は明治時代に第13師団が置かれた。日露戦争時日本に10あった師団はすべてそちらに行ってしまい、日本を守る部隊がいなくなったのである。そこで急遽師団増強を決断しここに第13師団が置かれた。ここに師団が来たことで人が集まりさまざまな産業が生まれた。
そして明治時代に作られた師団長官舎が残っているというのだそうだ。これは行ってみたい。ということで行ってみると、非常に面白かった。1階は洋室で2階は和室なのだ。しかも外観は間違いなく洋館だ。
あとは車に戻るだけ。次の日は晴れるのか。予報では昼頃から晴れるとのことだそうだ。それでは朝ゆっくりして昼頃から1座登ろうか。それとも、ううむ。
たどり着いた道の駅は温泉を併設しているので、温泉後に生ビールが飲める。もう今日は運転しなくてよいのだ。車の中で前の日の記録を作り疲れでそのまま寝てしまった。
コメント
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aiさん
5/1は雨だったのですね。
こっち5/1は八王子も午前中は雷なっていた日ですね。
日にちの間隔が無くなったきました。
だいぶaiさんのレコ読みに追いついて来ました。(現在あと1つ)
では、これからGW最後の山へ行ってきまぁす
帰ってくるとまたaiさんのレコ増えているかもね
hamburg
HBさん、こんにちは。コメントありがとうございました。
雨の日は仕方がないのでこういうレコになります。歩かないという手はよっぽど疲れているときぐらいしかありません。まあ、旅の後半は少々疲れが出てくるんですけど。
でも、その土地土地の歴史に触れて行くのもなかなか楽しいんですよ。
aideiei@栃木県でした。
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