ネパール プーンヒルからのダウラギリ眺望


コースタイム
天候 | 晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
タクシー
飛行機
|
写真
感想
ネパールのカトマンズからセスナでポカラに到着。
ここまでの観光なども含めて詳しくは、
http://www.asahi-net.or.jp/~nm3k-tgc/nepal/index.html
をご覧ください。
========================== 1日目 ==============================
【トレッキング・メンバー】
ガイド(サーダー):クマール(Kumar)
27歳。真偽の定かでないことの多い男だった。初めてポカラの空港で会ったときに、本で読んでいたガイドのイメージとあまりに違うので驚いた。以下は彼との会話。これらの内容がどこまで信憑性のあるものかは定かではない。
本人は自分のことをシェルパ族だと言っていたが、ヒマラヤン・ジャーニーの雇い主(パサンさん)が言うにはグルン族ということだった。
本人は自分を仏教徒だと言っていたが、パサンさんが彼はヒンドゥー教徒だと言っていた。
「ヒンドゥー教は毎日生け贄のために動物の首をはねるので世界中の人から嫌われている正しくない宗教だ」。彼には私たちが文化の違いの勉強として生け贄の儀式を見たいという気持ちはあまり理解できないようだった。
彼の妻はライ族(ライ・カースト)。2カ月前に結婚した。
初めてエベレストを登ったヒラリーがエベレスト街道沿いの様々な施設(病院とか)を作った。
ヒラリーがエベレストに登ってからトレッキングが始まった。
ネパールでは婚約をすると嫁を家に連れてきて、数年一緒に生活する。その後嫁として気に入れば結婚をし、たまに結婚をせずに帰してしまうことがある。
トレッキング・ガイドはシェルパ族だけがやっている。
エベレストをネパール以外から登るときもガイドはシェルパ族がその安さゆえに雇われる。
最近はシェルパ族はガイドだけをやる。他のポーターなどの役割は他のカーストがやる。
ポーターの日給は100Rs。食事は自分持ちで一食25Rsくらいかかるので一日30Rsくらいしか残らない。
オーストラリア人はうるさいから嫌いだ。
イスラエル人は嫌われている。
日本人、スイス人、アメリカ人はhelpfulでいい人達だ。
ネパールの国王は海外旅行ばかりしていて、金をいっぱい使っているので、ほとんどの国民から嫌われている。
一年のうちほとんどはどこかでトレッキングをしているので、自分の家よりもテントで寝ている日数の方が多い。
ネパールには36のカーストがある。
マカルーに登ったことがある。
チベット人は嘘つき。
コック(Cooking Boy):ジートゥバッハドゥー(JeetBahadur)
非常に無口。普通に話せたのは最後の日くらいだった。26歳で双子の子どもがいる。ソン・クーンブ地方に住んでいる。ヒンドゥー教徒。
キッチン・ボーイ(Kitchen Boy):ヒーラ(Hira)
23歳。奥さんは20歳。女の子が一人いる。
料理手伝い兼ポーター(helping Porter):カールー(Karu)
22歳。
ポーター(Porter):カンツァ(Khancha)
ガイドはサンタという名前だと言い張っていたが、本人はカンツァと言っていた。後の情報によるとカンツァとは末っ子のことらしいが、詳しいことは分からない。ゴラパニで先に帰ってしまった。ガイドにはチップをあげたいから帰る前に会わせてくれと何度か頼んでおいたが、結局会えなかった。こういう面ではあまりきちんと頼んだことをしないガイドだった。
ポーター(Porter):ラジュー(Raju)
25歳。中国系の顔をしている。非常に童顔。
ポーター(Porter):カンツァ(Khancha)
別のカンツァ。18歳。ゴルカ出身。妻はカンチンという名前。英語もしゃべれないがこっちの分からないネパール語を話しながら、にこやかに話しかけてくる明るい若者だった。
ポーターは50kgの荷物を持って山を登る。キッチン・ボーイは山積みの荷物を持つが食器がほとんどなので軽そうだった。ガイドとコックは自分用の荷物しか運ばない
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【チャンドラコット】
チャンドラコットまでの道は平坦な道。途中牛がいたので近づこうとしたところあの重たい体とは思えない早さで逃げていった。しかし、彼の逃げる方向が偶然こちらの行きたい方向と同じだったため、しばらくの間牛がこちらを見つけてはすばやく逃げる繰り返しという申し訳ない事態となった。
17:00チャンドラコットの村につき鶏がいたので写真を撮る。この後、毎日のように鶏の写真を撮ることになる。ベンチに座るとおもむろにチャー(お茶)とビスケットがでてきた。これも毎日でるものなのだが、最初だったのでちょっと感動した。
チベット人のお土産商人につかまり、アンモナイトとネックレスを買う。
雨が降り始め、雷まで鳴り出した。初日から降るとはついていないが、結局この後毎日夕方からは雨に降られることになる。この季節はこういう天気が普通らしい。
夕食のメニューはカレー、ご飯、スープ(インスタントラーメンみたいな味)、キャベツトマトサラダ、モモ(餃子のようなもの)。ガイドと山の話などをする。この付近は道路から近い(とは言っても1時間歩くところ)ので山賊がでるらしい。カメラなどの貴重品はシュラフの中にいれておくようにと指示された。シュラフの中まで探されたら殺されちゃうじゃないかとも思ったが指示に従った。このとき、次の日にメンバー全員の紹介をしてくれるように約束をしたが、結局この約束は守られなかった。
20:45夕食終わり。就寝。
========================== 2日目 ==============================
【チャンドラコット出発】
5:30起床。モーニング・ティーはテントに運ばれる物らしいが、私たちは外で写真を撮っていたのでどこに置くのか迷っていた。 6:30朝食。シンプルなお粥、平らな伸びた玉子焼き、トースト。
7:10に出発。モディコーラまで一度下り、少し登ったところでジュース(25Rs)を飲む。値段を聞き直したところ値切ったと思ったらしく、店員が「ここら辺の地域一帯は均一料金だよ」と教えてくれた。値切らなくてもよいと思うと非常に気楽だった。山の中の、それも歩いて運ぶしかない(日本の山小屋はヘリコプターで運んでいることが多い)場所のジュースがこれしかしないというのはうれしいかぎりである。しかし、この後で自分たちが店に着くと店の奥からジュースを机の上に用意する(この中から選んで買うことになる)ということが続いたので、「ネパール人はほとんどジュースを買わないのだなぁ」とジュースの贅沢さを実感した。
昼食(シャウル・バッディ?)は10:10-11:10。気温は31.2度。メニューはオレンジジュース、玉子サンド、ミート、サラダ(マヨネーズ、きゅうり、にんじん、玉ねぎ)、チャー。
11:30出発。
しばらく登り、谷の反対側にランドルンが見えた。本当にのどかな道が続く。バッディで休憩(ジュース2本)。私たちが出発した後もガイドは一人で休憩を続けていた。本で読んだガイドとはずいぶん違う印象だ。
ゆっくりとした登り。土砂崩れの後を通り過ぎるとバッディがありジュースを1本飲む。谷の反対側のランドルンから谷に下って再びガンドルンに登り返す道が見える。
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【ガンドルン到着】
15:15ガンドルン到着。チャーとシナモンビスケットが出された。宿のおばさんはやけに不機嫌でジュースを一つだけ頼んだところ 50Rsに対して20Rsのおつりしかくれなかった。今まで25Rsだったので怒っているのかと思っていたが、結局次の日の茶屋でも30Rsだったのでこの地域は30Rsなのだと納得した。
18:30夕食。メニューは焼きそば、ご飯、スープ(にんにく入り)、お肉、まめ(枝豆に似ている)。
20:00就寝。外がさわがしいと思ったらポーター達はみんな外に寝ていた。テントで寝れるのはガイドだけらしい。
========================== 3日目 ==============================
【ガンドルン出発】
5:00起床。晴れておりマチャプチャレ、アンナプルナ・サウス 、ヒウンチュリが美しい。
6:20モーニング・ティーが運ばれる。
6:30朝食。キャベツ入りのお粥とトースト3枚、目玉焼き、茶。
7:00出発。ガンドルンの村を通過する。学校の横を通り過ぎてからジャングルの中に入る。ジャングルは山賊が出るためにかなり危険らしい。途中の茶屋で休憩をとる。その後ひたすら登り。
9:00に昼食場所に到着。粉末をとかしたと思われるオレンジジュースをすぐに出してくれた。気温は24.5度。茶、ポテト、チャパティ、ミート、チーズ、サラダ(キャベツ)。11:30出発。
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【タラパニ】
12:30に到着。山小屋の名前はマウンテン・ビュー・ホテル。昼には着いてしまったので午後はまるまる暇になってしまったが、次の村は危険な村なのでここに泊まることになった。
【変なオーストラリア人】
ソプラノ・サックスフォンを吹く、謎のミュージシャンのオーストラリア人と話をした。変な髪型をしていたので私たちのガイドは「ああいう髪型は好かん。そもそも俺はオーストラリア人が嫌いだ」と話していた。
こちらがカメラで猫の写真を撮っていると彼の方から「それはズームレンズか?」と尋ねてきた。「違うよ」というと「じゃぁ、広角レンズか?」と聞くので「ズームも広角もあっちにあるけど、これは違うよ」と答えた。さらには焦点距離を尋ねてくるので「70-210mmと50mmと24mmだよ」というと自分のカメラのズームレンズについて長々と説明してくれた。彼にはズームの方が写りが良くないのでわざわざ単焦点を使っているこちらの事情は理解できないようだった。
オーストラリアでの登山やスキーの話などをした。彼はSHARP製の海外向けZAURUSのようなものを持っていて、日本人の私に手書き入力の機能を見せびらかしてくれたが、漢字を入力しない彼らにはそれほどメリットが無いようにも見えた。彼はその機械で日記のような物をつけている様だった。また、ネパール語の会話集は自分で整理しているようだった。旅行記を日本に帰ってから書くよりも便利かもしれないと思った。
しばらくどこかに行っていたかと思うと、彼は自分の部屋から外国語会話用のICカードを持ってきて日本語の会話を表示し始めた。初めは挨拶などの真面目な内容であったが、しばらくするとDating(彼らはダイティングと読む)の項目を読み始めた。
SHARP製のはずなのだが、「See You Later」を「後で会いましょう」としていたりなど直訳で変な感じの表現が多かった。デート用の会話なので「Why are you laughing at me?」という文章がありその訳が「なぜあなたは私のことを笑うのですか?」と書いてあったときにはさすがに笑ってしまった。するとそのオーストラリア人が「おまえそんなに笑うなんて、この日本語間違ってるんじゃないか?俺は日本に行ったときにこれ使うんだから本当のこと教えてくれ」と言ってきたので、「訳としてはあってるけど、これでうまくいくかどうかは保証しかねる」と答えたら、「そこは俺のサックスフォンでなんとかするさ」と答えていた。おもしろい男だ。
彼の他にもドイツ人の一行などもいたが、基本的に欧米人に見える多くはオーストラリア人のようだった。やはり地理的に欧米よりもネパールに近いからだろう。
【山小屋の女の子】
山小屋に到着すると女の子が手を合わせて「ナマステェー」と声をかけてくれた。こちらも「ナマステェー」と答えるが町中やトレッキング中のお金を求める子ども達と同じかもしれないと思い、そばを素通りした。この後彼女と話をすることになるが、初めにこのような誤解をした自分を後悔し、これがネパールと日本の貧富の差が原因なのだと思うと誰が悪いとも言えず考えてしまった。。。
彼女の名前はアニタ・クマリ・チェトゥリーという。この山小屋で働いているという。年齢は10歳。ガンドルンの学校(4年生)まで通っている。ガイドが言うには一ヶ月200Rsで皿洗いなどをして働いているらしい。この値段を聞くとカトマンドゥの押し売りポーターの子どもに 40Rsを払ったことを後悔してしまう。ガイドブックには「子ども達の自立心を育てるためにお金や物をあげないように」と書いてあるが、他の外人はおやつなどを好きなだけあげていた。自分達のようにお金を湯水のように使う人間を見ても自立心が育つのだろうか。「何も考えないでのんびりする」ことがネパールを楽しむために必要だともガイドブックは言っているが、親しくなった彼女におやつをあげる、という自然なことが本当にいけないことなのだろうか。
犬を呼ぶときには「クティクティ」というらしい。アニタはこれ以外にもいろいろと呼んでいたので、真似していたら「ジャウジャウ」を真似したところで大笑いされた。「ジャウ」がどこかで聞いた単語だと思い、会話の本を見たところ「あっちへ行け」という意味だった。その後この犬に噛まれるというアクシデントも発生した。
英語が十分に話せない彼女との会話でネパール語がだいぶ進歩した。子どもなのでくだらない質問にも楽しく答えてくれるし、聞いても親切に教えてくれるので、本当にいい先生だ。
全然ネパール語を話す気のないオーストラリア人女性がいた。彼女はアニタに英語のみで話しかけ、ただただくすぐるという行為のみで接しようとしていたが、アニタは適当に相手をしていた。
========================== 4日目 ==============================
5:30起床。マチャプチャレ、ヒウンチュリがきれいに見える。
6:30朝食。メニューは人参のお粥、チャー、ナシ。おいしいがお腹が痛くなったので半分残す。この後徐々にお腹の調子は悪くなり、残すことが多くなった。
7:30出発。バンタンティで休憩(鶏撮影)。
川沿いの小さな村で休憩(チャーとファンタ)。
川上で休憩(マンゴー、スプライト)。
シャクナゲの大木の中をデウラリまでひたすら登る。
【デウラリ】
11:20デウラリ到着。昼食をとる。メニューはモモ(餃子)、魚、チーズ、カリフラワーカレー味、キャベツ人参サラダ、オレンジ。
歩いている途中の道ばたにきれいな花があったので、草むらに手をついて花のアップの写真を撮った。
すると手にいくつか動く物がついている。「蛭だ!」。無理に取ると皮ごとはがれる、というようなことがガイドブックに書いてあったが、無理に振り払ったらどこかに行ったようだ。
ガイドに聞いてみると、季節(たぶん雨期だろう)や場所によってはたくさんでるらしい。英語は「リーチ」。
上に木があったりすると先頭の人の体温を感知して、後ろの人の上に落ちてきたりするらしい。
========================== 5日目 ==============================
【プーンヒル】
日の出前にプーンヒルに登り始める。こちらとしては日の出前の写真を撮りたかったので早くでるようにガイドには言ってあったのだが、のんびりとモーニング・ティーが出てきた。「これで間に合うのかな?」と思いながら、出発すると同じ目的の人たちで登山道は大渋滞していた。先頭の子どもがゆっくりと登っているのはしょうがないのだが、その周りを大人達が壁となって並んでいるのが原因だった。ガイドに指示されるままショートカットなどをして登り続けたが、他の人たちに嫌な顔を何度もされて、この旅行中最も不快な出来事だった。
プーンヒルからは向かって左側から以下の山々が見える。
Manapathe
Dhaulagiri
Dhaulagiri 1
Putali Himal
Nilgiri
Annapurna, Fanb
Annapurna 1
Annapurna South
Hiunchuli
Machapuchare (Fish Tail)
Lamtung
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【ゴラパニ滞在】
ホットシャワーを30Rsで浴びた。水は太陽熱で暖めているらしく、午後に浴びることができた。水ではないという程度で、かなりぬるかった。シャワー室の扉からはすきま風が吹き込んだ。テントに戻った後は極度の寒気におそわれ慌ててフリースを来てシュラフに潜ったが数時間高熱にうなされた。
ガイドブックには「シャワーを浴びるという行為は非常に贅沢な行為で地元の人には信じがたい。1週間くらいシャワーを浴びずにいられない人はトレッキングに向いていない」などと書いてあったが、これは違う。彼らはトレッキング中も観光ではなく、生活をしている。彼らは毎日水で頭をしっかり洗っており、こちらよりもよっぽど清潔だ。1週間もシャワーを浴びない、という行為自体が観光だと割り切った贅沢だとも言える。
20時頃からヒョウが降り始める。5月によく降る物らしい。ヒョウがトタン屋根に当たる音をガイドはポップコーンを作るときの音だと言って楽しんでいた。
夕立は毎日すさまじいが必ずしばらくするとやむ。雷がだんだん移動していくのが音で分かる。遠くではまだ雷が鳴り続け、雨が降っていても山がきれいに見えたりする。
ポーター達が夕食後に小屋に入ってきた。いろいろと話をしたが、彼らは非常に照れ屋であった。その中でも特に彼らの奥さんの話をすると笑い続けてしまい、満足に名前さえも答えてくれない。よく分からないがこちらもつられて笑ってしまった。
トレッキング・メンバー達へのチップはガイドにまとめて渡すことも考えたが、結局それぞれに渡すことにした。金額を決めて、必要なお札を計算した。金額はガイド800Rs、コック800Rs、キッチンボーイ450Rs、ヘルピングポーター400Rs、ポーター350Rs×3人とした。ポーターにはチップを払わない物だということは後で知ったことだが、彼らの日給が本当に100Rs/day だとすると払って間違いではなかったと思う。
不当に高い料金はまじめに働く意欲を失わせる、とガイドブックには書いてあったが私たちのお金の使い方を見せておいていまさらという気がする。自然にこちらの気持ちを表現すればよいのでは。
========================== 6日目 ==============================
【ゴラパニ出発】
6:00起床。天気は晴れ。毎日夕方以外は晴れてくれて、なかなかついている。しかし、昨日の朝の方が良かった気がする。テントサイトからもダウラギリは見えるので、早起きして写真を撮っても良かったかもしれない。
朝食はお粥とホットケーキ。料理を指さして「体調が悪いから昼食もこれと同じお粥にしてくれ」とガイドに頼んで「OK」ということであったが、結局いつもと同じ昼食だった。
7:00出発。ゴラパニなどのポリスではトレッキング許可証を見せなければいけないが、私たちのガイドが許可証を見せるだけで私たちは先に歩いていってしまって構わない。いったい何をチェックしているのだが、、、
ウレリまではゆるやかな下り。途中ちょっとだけあった登りの直後に休憩をすることになった。全然疲れてもいないし、何も飲みたい気分でもないのだが、店員もガイドもこちらが何かを買うのを前提にしているのでなんとも言えない感じだった。
【ナヤサング】
ウレリを経てナヤサングに到着。バスがナヤサング付近にいる乗客を待つために警笛を延々と何度も鳴らしていた。この国らしいやり方だ。
========================== 7日目 ==============================
【トレッキング終了】
早朝、みんなの写真を撮らせもらった。今まで恥ずかしがって私たちと目を合わせようとしなかったジートゥバッハドゥーも快く撮らせてくれた。ガイドとコック以外はバスで帰るのでナヤサングで別れとなった。非常にあっけない別れであったが、この程度がよいのだろう。
ガイドに体調が良くないことを前日に告げてあったので、11時の予定だったタクシーを7時半にしてもらった。結局タクシーとは言ってもパサンさん(ヒマラヤン・ジャーニーのポカラ事務所で一番偉いと思われる日本語をしゃべれるおじさん)が迎えに来た。おかげでホテルに9時にはついたので、その日を有効に過ごすことができた。
ガイドは明日の(彼が案内する)ポカラ観光を勧めてきたが、結局再び$80という高額を要求され、考えた末に断った。親しくなるほどふっかけてくる、というのは分かってはいてもいい気持ちではない。それほど良いガイドではなかったが、こんな嫌な形で別れなくても良かった。彼は私たちがキャンセルしたので明日カトマンドゥに帰されるらしかった。この件のあわただしさのせいで、パサンさんにチップを渡しそこねた。
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