記録ID: 1894346
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ハイキング
近畿
古墳巡り(17)初代神武天皇陵及びそのルーツを訪ねて
2019年06月16日(日) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:38
- 距離
- 3.7km
- 登り
- 6m
- 下り
- 8m
コースタイム
橿原考古学研究所で「友史会」主催の講演会があった
途中で抜けて、神武天皇陵の原型の絵図とかが解る神武天皇陵を歩いた
途中で抜けて、神武天皇陵の原型の絵図とかが解る神武天皇陵を歩いた
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
文久の修復後の絵図
上の土まんじゅうがこの絵図のような立派な神武天皇陵に改変された。考古学者の本では当時のお金で天皇陵の修復に平均555両かかったが、神武天皇陵は15、062両も改修にかかったという。
如何に江戸幕府は当時の朝廷に「忖度」しかたが解る
上の土まんじゅうがこの絵図のような立派な神武天皇陵に改変された。考古学者の本では当時のお金で天皇陵の修復に平均555両かかったが、神武天皇陵は15、062両も改修にかかったという。
如何に江戸幕府は当時の朝廷に「忖度」しかたが解る
神武天皇陵は明治以降も順次拡張、整備され、皇紀2600年事業において現在のような実に静かな威厳を持つ「神域」に整備された。昔から神武天皇陵はこのような形ではなく、小さな塚が天皇主権の下で大きく変形された。
感想
神武天皇は日本の国の初代天皇。
神武天皇は古事記、日本書記などの神話上の人物であり、歴史学者や考古学者の大半は現実に存在した天皇とは理解していない。
考古学者の文献を読むと神武天皇陵の治定は難航したという。
江戸末期の修複前は小さな土まんじゅうのような二つの塚であった。(写真参照)江戸時代の文献には「糞田」でもあったとも記載されている。(元読売新聞記者・矢澤高太郎著「天皇陵の謎」 33頁文春新書)
その為か、当時は神武天皇陵は四条塚古墳(現在のすいぜい天皇陵)と定められていた。
そのような小さい塚が王政復古の流れに迎合した江戸幕府は初代天皇陵として平均の天皇陵の修理費用が555両であったが,神武天皇陵の修復には金1万5062両と莫大な金を投下した。文久の修復で立派な陵に改造したのである。
その後も、明治、大正、昭和にかけて、天皇の権威づけなどの国策により橿原神宮とともに付近の街も大きく拡大され、現在のような「聖域」になったという。
その歴史はおおくぼまちつくり舘(橿原市設置)に行けば解るというネットに案内があったので、そのルーツを求めて歩いた。
http://www.mmjp.or.jp/hannan-union/torikumi20100213.htm
洞村以外にも畝傍山の頂上にあった神社も神武天皇陵を上から見下ろすのは不敬とかで昭和19年に畝傍山の麓に移転させられたという歴史も紹介されている。
昔からの神社の神さんより、天皇の方が偉いという時代風潮の異常さを恐ろしいと感じた古墳巡りであった
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