クマバチぶんぶんうるせえ(高尾山)


- GPS
- --:--
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 482m
- 下り
- 483m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
圏央道高尾山インター下りてすぐ。 |
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
靴
サブザック
飲料
保険証
携帯
タオル
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感想
令和元年6月某日。午前6時。
なるほど、これはいい。愛車サンバーを下りて納得した。
場所は高尾山祈祷所駐車場。自宅からここまでの所要時間、30分強。中央高速から圏央道を厚木方面に入り、ひとつ目のインターを下りれば目の前である。
この手軽さならば、「世界で最も登られている山」としてギネスブックに載るのも理解できるというものだ。
しかも、駐車場が安い。一日停めて500円。食事やお土産のことを考えなければ、実質的にかかる費用は交通費+500円だけである。
駐車場の事務所はまだ開いていないため、帰りに支払いをすることにして、さっそく高尾山に向かう。
甲州街道に沿って5分も歩けば表参道への入口が見えてくる。このあたりの甲州街道は比較的狭い道だが、スピードを出す車がかなり多いので渡る際には要注意だ。
表参道に入ると緩やかな傾斜が始まり、抑えようもなく「山登り感」が湧き上がってくる。左右にはお土産屋さんや食堂がずらりと並んでいる。が、この時間では開いてる店はひとつもない。
私の他に登山者の姿は二人か三人といったところか。
閑散とした中を進むと、やたらに小綺麗な駅が見えてきた。高尾山ケーブルカーの麓側、清滝駅である。
記憶にある限りでは、かつて二回ばかりここに来たことがあるはずだ。
最初ははるか昔、小学校の遠足。やたらスズメバチが多くて、そこらで買った精神注入棒で叩き落としまくった記憶がある。今になって思えば危険なことこの上ない。
その次は、おそらく高校生の頃か。初日の出を見ようと元旦の明け方に友人たちと山頂に登った。
この時はとんでもない数の人でごった返しており、景色どころではなかった。山頂広場(であろう場所)は文字通り芋の子を洗う有様で座る場所すらなく、「かろうじて日の出を見ることは出来た」という記憶しか残っていない。
つまるところ、ここに来るのはほとんど初めてというわけだ。
さて、高尾山についてはネットで色々と調べて来た。パンフレットも印刷してある。
山頂の標高は599メートル。麓の標高は193メートル。その差400メートル強。先にも述べたとおり、首都圏に近く交通の便が最高に良いためか、「世界で最も多くの人が登った山」としてギネスブックに載っている。
山頂近くまではケーブルカーも通っており、子供からお年寄りまで楽しめる。まさに至れり尽くせりと言ったところだ。
だが、もちろん私はケーブルカーは使わない。富士山の五合目から山頂までの標高差は実に1200メートルあるのだ。たかが400メートルでケーブルカーに頼っていては、先が思いやられる。
ケーブルカーを使わない登山道は大きく分けて三つ。一号路、六号路、稲荷山コースである。
一号路はいわゆる高尾山薬王院の表参道で、難易度は★★★。コンクリで舗装された、最も安全かつ歩きやすいルートだ。
六号路は対象的にまったく舗装されていない自然の山道を登るコースで、難易度は★★★★。沢の中を歩く場面があるので、濡れても平気な靴が最低限必要である。
稲荷山コースも同じく自然の山道で、難易度は★★★★。距離的には一番長く、それなりの体力を必要とする。
この三つのうちどのルートを通るか? 実は最初から決めていた。
わざわざ登山しに来てコンクリを歩くのは御免こうむる。さりとて、体力は私が最も不安とする要素だ。消去法で六号路に決定である。
ケーブルカー駅の手前、右手にはやたらに立派な石碑と綺麗に舗装された坂道が伸びている。こちらは表参道の一号路。コンクリ坂にゃ用はないのさとばかりにスルーして、ケーブルカー駅左側の通路へ。
すぐそこに山道へと伸びる階段が見える。思わず「お、ここが六号路か」と入りそうになるが、パンフを見直すとこっちは稲荷山コースの入口だそうだ。危ない危ない。
少しばかり舗装道路が続いて、後ろから自動車が追い抜いていったりする。どうやらこの道路の先には高尾病院なる病院があって、元々はそのための道路であるらしい。
舗装道路ではあるが、右手に沢を見ながら歩くのでそれほど退屈しない。数分も歩くと、再び登山道への分岐が顔を出す。今度こそ六号路である。
時刻は6時20分。さあ、出発だ。
ちなみにこの日のいでたちは、買ったばかりの登山靴に化繊Tシャツ、ワークマンで買ったクライミングパンツ。それに、斜め掛けにしたウエストバッグ。中には買ったばかりのハイドレーション(900cc)を無理やり詰め込んである。
ハイドレーションとは、柔らかいソフトボトルに入った飲料と、そこから伸びたチューブで構成される「動きながら水を飲む」を目的としたスポーツ用水筒と思ってもらえれば良いだろう。ボトルはともかくチューブは常温に晒されるので、最初の一口はいつも生温くなるのがご愛嬌だが、こと登山においてはなかなか便利である。
まだ本格的な登山道具は揃えてはいない。もしかしたら本当に、「この身体では登山なんて無理でした」となる可能性もあるからだ。今ならまだ2万円弱の靴ひとつで済む。とりあえず、小学校の遠足で登るような山だ。この程度の装備でも死にはすまい。
大股でずんずんと歩き始めて数分。
……わかってはいた。わかってはいたが、早くも息が上がってきた。ふくらはぎもぴくぴくと痙攣を始めた。おそらくまだ10分の1も登っていない。つらい。
だが、いくらなんでも「高尾山すら無理でした」というのは情けなさ過ぎる。あるいは、六号路は実はものすごーく難易度の高い上級者コースだったとでも言うのか? いや、上級者もなにも、まだ緩やかな勾配の坂道しか歩いてないではないか。単純に肉体的問題だ。
とかなんとか不安とか苦痛とかを抱えながら登っていくと、物々しいお堂みたいなのが見えてきた。岩をくり抜いて、中に石像を安置してあるようだ。なかなか雰囲気があってよろしい。
パンフレットには岩屋大師と書かれている。由来とかはよくわからない。ふむふむなるほどなどと思いつつも、この地点でまだ1/3も進んでいないことを知り、絶望に打ちひしがれる。いや、本当に富士山とか現実の話になるのだろうか?
更に進むと、ほんの少し道をそれたところに小さな滝があった。琵琶滝だ。滝の周囲もお堂になっていて、どうやら修験道とかの修行場らしい。
実のところ、私は若い頃から滝というものに惹かれる質だ。バイクに乗っていた頃、一ヶ月ほどかけて東北を自由気ままに旅したのだが、その時もなんだかんだで滝ばかり見て回った記憶がある。
この滝も、もうちょい近くで見てみるとしよう……などと思って近づいたら、お堂の手前に門があって閉鎖されていた。どうやら営業(?)時間外には近づけないらしい。なんたることだ。
仕方ないので、登る。ただただ黙々と登る。
つらい。つらい。ふくらはぎがぴくぴくするのに加えて、股関節の両サイドあたりの筋肉が悲鳴を上げ始めた。痛い。つらい。苦しい。いったい俺はこんなところでなにやってんだ。考えるな。考えたら負けだ。
ベンチを見かけては座り込んで休憩。このままでは死ぬ。死んでしまう。
息を整えて、更に上る。木の橋を渡った先で、再びベンチを発見。躊躇なく座る。なんだか山登りというよりも、座れる場所を求めて徘徊してる気分になってくる。いやこれ、マジで富士山とか無理じゃね? いや、富士山は忘れるんだ。その前にこの山を攻略しなければ。
汗がやばい。エアロバイクとか比じゃない。かつて体験したことがないくらいの汗がドバドバ流れている。
パンフで確認すると、今の地点は大山橋。全体の2/3と言ったところだ。
あまりの過酷さに頭がくらくらするが、もうここまで来たら引き返すほうが距離が長くなる。つらくとも進むしかない。
ほとんど苦行の様相を呈していたが、その先で飛び込んできた光景で、いきなり気力が蘇った。
水の中を歩けと言わんばかりに、道が小川の中へと入っていってる。
飛び石と呼ばれる沢ルートだ。「沢の中を歩く場面があるので、濡れても平気な靴が最低限必要である」という例のアレである。
これはいい。ぐっときた。水の量は多くはなく、深くても10センチにもならない。「飛び石」という名前の通り、沢には歩くための石が飛び飛びに置かれているが、浅い場所を選べば水の中をチャプチャプと歩いていける。むしろ、そのほうが足元が安定するので安全に歩ける。
ともあれ、この非日常感は素晴らしい。「これだよ。こういうのをやりたくて山に来たんだよ」……いや、そんなことこれっぽっちも考えちゃいなかったが、本当にそういう気分にさせられる。
うん。気に入った。とても気に入りました。高尾山いいですねぇ。
パンフによれば残りはあと僅か。この調子で一気に山頂まで登っちまおう。
階段だ。ここを登ればクリアなのか? よし、もう終わったようなものだ。足取りも軽く登り始めた。
…………いや、マジでこの階段なんなの? いつまで続くわけ?
先がまったく見えないのに加えて、一段ごとの間隔がバラバラなもんで、歩くペースが乱れに乱されて、しかも一歩ごとに足を持ち上げる必要があるもんだから、太ももが超ピクピクする。
それにこの階段、丸太で土をせき止める形で作られているのだが、肝心の土がどっかに流れてしまったのか、丸太だけが障害物競走のハードルのように鎮座してる箇所が多数ある。階段、意味なくね? そもそも、この程度の勾配なら階段いらなくね?
もう心臓ばっくんばっくん。呼吸も、もうこのままぶっ倒れるんじゃないかってくらい荒くなってて、筋肉に至っては考えたくもない。
さっきの大山橋を過ぎてから、座る場所もほとんどない。仕方なくその場で立ち止まって休憩するが、もう何回立ち止まったか数える気すら起きない。多分20回は下るまい。酷いときなんて3段登っただけで立ち止まってしまう。
階段という存在に対する感情がヘイト一色で塗りつぶされそうになった頃、いきなり開けた場所に出て、「さあ、お座りなさい」と言わんばかりにベンチが出現した。
ええ、座りますとも。ええ。
この辺でハイドレーションのスポーツドリンクが枯渇。ピンチである。だが、山頂はもうすぐのはず。引き返したところで水が飲めるわけでもなし。さあ、ゴリラよ。立ち上がるのです。
よろよろと休憩エリアを抜けると、舗装された坂道と合流。
案内看板を見ると、どうやら六号路はここで五号路(山頂の周りをぐるりと一周コース)と合流しているらしい。
なんだか久々の舗装道路。勾配はあるがメチャクチャ歩きやすい。正面に改装中のトイレが見えて、表参道の一号路と合流。
左手を見ると、どどーんと開けた様子が。なんと、山頂ではありませんか。
いやもう、大変結構でございます。なにが結構なのかわかんねーと思うけど、私にもわかんねーです。今はもうとにかく座りたい。座って呆けたい。
そこいらのベンチに腰掛けて、ザックとか下ろして、身体をダーと投げ出す。もうどうにでもなれ。知らん。クマバチぶんぶんうるせえ。
時計を見ると、7時半。標準コースタイムを見ると六号路は一時間半とある。
登り始めが6時20分。つまり、1時間と10分で登ってきたわけだ。標準コースタイムよりも20分短い。
すげえ。俺すげえ頑張った。初めての高尾山で標準コースタイムを切っちゃうなんて、実は登山の才能あるんじゃない?(この浮かれポンチ野郎が現実を思い知るのは、もう何日か先のことであった)
ようやく心臓のバクバクが治まってきたので、山頂広場を散策。天気は上々、富士山も見える。この調子でホントにあんなとこまで登れるのかねぇ……などと考えながらボーッと眺める。
さーて、充分に休憩も取ってスポーツドリンクも補充したことだし、帰るとするかね。
どうせ帰りは下りだからラクショーラクショー。だけど、もう脚が限界っぽいので、帰りは舗装された一号路を選ぶことに。ついでに薬王院とか観光っぽいこともしてみよう。
さっきの改装中トイレの前を通り過ぎて、今度は舗装道路に従ってずんずん下りていく。
おっと階段。さっきの丸太階段と違って綺麗な石造り。これならスムーズにずんずん下りれる。ずんずん下りて……ずんずん……いや、ちょっと、この階段いつまで続くの? 脚いてえ。超いてえ。
かつて初日の出を見たとき、おそらくこの階段を登ってるはずなんだけど、こんな階段あったっけ?
一号路から登ってきたおばちゃんも心が折れそうになってるらしく「ねえ……、この階段、いつまで続くの……?」と弱々しく聞いてくる。さもありなん。下りでもこんなにきついのに、登りとなったら、その辛さたるや絶望的なものであろう。
「あそこに見える角を曲がったら強烈なのは終わりっすよ」「あら良かった。元気出てきたわー。ありがとねー」「いえいえー」などと挨拶を交わしつつ、こっちは元気なんぞどこ絞っても出てこねえやとか思いながら下りていく。
薬王院。おおー、すごい昔に見たような気がする……。さすがに疲れ過ぎでテンション上がらない。
さらに下りていくと、ようやく階段終わり。助かった……。あとはひたすら坂道を下りるのみ。
なだらかな坂道を下り、蛸杉発見。根っこがウニョウニョで確かにタコっぽい。さっきの薬王院のおみやげコーナーでやたらタコの置物やキーホルダーやらタコ推ししてて「なぜ山にタコが?」と思ってたのだが、これか。
今度は動物園の入口みたいなのが見えてくる。猿園。サル野郎に用はねえ。
ケーブルカー駅発見。最初に見た麓のが清滝駅、こっちは終点の高尾山駅。
ケーブルカーに乗るという選択肢が頭をかすめるが、今回の高尾山は「果たして富士山に登れるのだろうか」という、いわば自分に対する挑戦でもあるのだ。
ここでケーブルカーに乗るということは、イコール「富士山は無理ですね」と認めることになるのではないか。などという謎理論が頭の中で展開され、このまま歩いて下るという選択をしてしまう。
ま、階段でもないただの坂道だから、今度こそラクショーラクショー。
なんか……勾配きつくなってきたけど……楽勝……まだ大丈夫……。
勾配……すごいッスね……。いや……マジで……洒落ならん……。
つか、脚……なんかおかしくね? 膝やばくね? 坂道をずんずん歩くと、一歩ごとに右膝に鈍い痛みがじわりじわりと。
まるで捻挫でもしたかのような……かつて地獄を見た変形性膝関節症が再来したかのような……ここまでの筋肉痛とはわけが違う、明らかに「こいつはやばい」とわかるレベルの異質な痛みが右膝に襲いかかってきたのである。
もはやケーブルカー駅ははるか頭上の彼方。今更登って引き返すなどという選択ができようはずもない。
苦行を通り越してほとんど拷問と化した坂道を、脂汗を滲ませながら下る。……そう、下るしかないのだ。
こうなると、精神的にクる。視覚的にもクる。
ただでさえ肉体的にきついというのに、急勾配の坂道は日光のいろは坂よろしくグニャグニャと曲がりくねっているのだ。横の崖を直線でズザザーと滑り落ちればほんの数メートルなのに、あえて数十メートルも遠回りをさせられている。下り坂、すなわち上方向からだと、それが見えてしまう。これがもう、本当に、精神的にクる。
精も魂も尽き果てて「もういっそ殺せ」みたいな精神状態で、痛む右足を引きずって歩く。
ひたすら黙々と、声ひとつ発することなく下りていく。
ところで、ここまで省いていたが、登山での暗黙のルールというか、マナーと言うか、登山道で人とすれ違った際には「こんちはー」「おはようございま−す」とか声を掛け合うものだ。
中には挨拶嫌いなシャイボーイもいるようだが、私は何を隠そう挨拶魔である。「挨拶をしても不自然でない状況」となれば片っ端から挨拶をする。シャイなボーイには無視されることもあるが、そんなことで私の挨拶は止められない。
……が、さすがに今回ばかりはこたえた。膝の痛さと先の見えない坂道の辛さ。加えて、この舗装道路。
なんというか、一号路は「登山してる感」がゼロなのである。まるっきり、家の近所の坂道を歩いてるのと変わらない感覚である。
考えても見てほしい。家の近所の坂道で、すれ違う人に片っ端から挨拶するだろうか? 変質者である。今度こそ通報されてしまう。
つまり、この坂道は「登山してる感=挨拶感」がゼロなのだ。実際、舗装道路になった途端、めっきり挨拶されなくなっている。
そんな感じで、口を開くこともなく黙々と、ただ黙々と苦痛に耐えていた。
そのときである。正面から登ってくる可愛らしいお嬢さんの一団、今どきの言葉では山ガールというのだろうか? 10人ほどからなるお嬢様がたが、この疲労困憊ゴリラに向かって「こんにちはー」などと一斉に声をかけてきたのだ。
Q.天使を見たことがありますか?
A.高尾山で見た
突然の事態に「ここっこ、こんにちは!」などと思春期の少年の如き返事をしてしまった。そして、気づいた。
疲労が吹っ飛んだのである。「よし、頑張ろう!」という気力が腹の底から湧き上がってきたのである。
ただの挨拶ゴリラでしかなかった私が、この瞬間、挨拶というものの真の効力に気づいた。
これは発見である。
なぜ山では挨拶を交わすのか? それは、単に「同好の士だから」ではないのだ。人間とは、極限状態に追い込まれたとしても、たった一言の挨拶によって気力を湧き上がらせることができる生き物なのだ。(※ただし、若い女性に限る)
言うまでもなく、山とは危険な場所である。登山とは常にリスクを伴う行為である。最後の最後では気力こそが命を救う。それが山という世界だ。そんな山だからこそ、お互いに挨拶を交わすのだ。
しかしまあ、なんというか、私はどうやら、私が思っていた以上に単純な性格だったらしい。これも発見である。
まさか、綺麗なお嬢さんの挨拶ひとつで、こんなにまで気力が蘇るとは予想だにしなかった。単純であることゴリラの如し。
まあ、こんな有様で、どうにか人生初とも言える登山を終えた次第である。
ほうほうのていといった様相だが、不思議と敗北感はない。まあ、高尾山とはいえ自分の足で登って、ケーブルカーなどにも頼らずに下りてきたのだ。
いや、それ以前に、ここまで「全力を振り絞る」という経験をしたのは何年ぶりだろうか? そりゃあ、気分もいいわけだ。
その足で近所の温泉に向かい、まだ明るいうちから茹でダコになる。人のいない露天風呂で身体を思いっきり伸ばして、パンパンになったふくらはぎをほぐしていく。
富士山に登れるかどうか、いまだ見当もつかない。今の時点では単に「まだ諦めてない」というだけである。
だが、とりあえず今はそれで充分だ。
身体だ。もっと身体を作るのだ。
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