秋の京都、紅葉めぐり
- GPS
- 02:54
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 117m
- 下り
- 93m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー 自家用車
都ホテル八条駐車場:1泊 2,000円 |
写真
感想
□■□■秋の紅葉鑑賞『東寺』『東福寺』『清水寺』
『東寺』
東寺は、唯一残る平安京の遺構です。
創建からおよそ、1200年。
平成6年、1994年に世界遺産として
登録されました。
平安遷都とともに建立された東寺は
官寺かんじ、つまり国立の寺院。
その寺院を桓武天皇のあとに
即位した嵯峨天皇は、
唐で新しい仏教、密教を学んで帰国した
弘法大師空海に託しました。
ここに、日本ではじめての密教寺院が
誕生します。
東寺を託された弘法大師空海は、
密教の主尊しゅそんである
大日如来を境内の中心にすえ、
広大な寺域に曼荼羅まんだらを
表現しようとしたのかもしれません。
『東福寺』
摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,
また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,
「東」と「福」の字を取り,
京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。
嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
工事半ばの寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,
まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,
元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と
相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。
延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,
貞和3年(1346年)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ
,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。
建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,
再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,
新大仏寺の名で喧伝され,
足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,
東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,
兵火を受けることなく明治に至りました。
明治14年12月に,
惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。
その後,大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,
昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈,
同43(1910)年に庫裡も再建され,
鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,
現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。
また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,
鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。
『清水寺』
音羽山清水寺の開創は778年。現代から遡ること約1200年前です。
大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、
古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれてきました。
古い史書や文学のなかには、
多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれています。
京都の東、音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内には、
国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍や碑が建ち並びます。
創建以来、10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失しましたが、
篤い信仰によって何度も再建されました。
現在の伽藍はそのほとんどが1633年に再建されたものです。
1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。
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