黒磯駅から郡山駅へのり替えて黒田原駅へ移動する。駅には、金太郎の貨物列車を牽引する機関車が停車していた。
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8/8 9:26
黒磯駅から郡山駅へのり替えて黒田原駅へ移動する。駅には、金太郎の貨物列車を牽引する機関車が停車していた。
黒田原駅は、小さい駅で路線バスは、4本/日で8:10の次は14:00である。Taxを利用して芦野の里へ行くことた。Taxにはすぐ乗れた。
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8/8 9:49
黒田原駅は、小さい駅で路線バスは、4本/日で8:10の次は14:00である。Taxを利用して芦野の里へ行くことた。Taxにはすぐ乗れた。
芦野の里の上空は、夏空に白い雲が浮かんでいた。この地方の上空に冷たい空気が流れ込んでいて涼しい風が吹いていた。
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8/8 9:50
芦野の里の上空は、夏空に白い雲が浮かんでいた。この地方の上空に冷たい空気が流れ込んでいて涼しい風が吹いていた。
新町の大きなお地蔵さんがあるおだやかな感じがする風景である。享保2年芦屋宿へ疫病が入るのを防ぐために建てられた。
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8/8 10:06
新町の大きなお地蔵さんがあるおだやかな感じがする風景である。享保2年芦屋宿へ疫病が入るのを防ぐために建てられた。
遊行庵。農産物の直売所のような感じの場所でした。この近くに遊行柳があり朽ちた柳の精が老翁となって現われた伝説の場所です。
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8/8 10:08
遊行庵。農産物の直売所のような感じの場所でした。この近くに遊行柳があり朽ちた柳の精が老翁となって現われた伝説の場所です。
指導標で白河へ11km,伊王野へ約5kmの案内をしている。
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8/8 10:10
指導標で白河へ11km,伊王野へ約5kmの案内をしている。
遊行庵のある場所の道路標識である。芦野の里は、伊王野へ行く脇道のような存在である。
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8/8 10:11
遊行庵のある場所の道路標識である。芦野の里は、伊王野へ行く脇道のような存在である。
芦野氏の新墳墓がある、建中寺の山門の階段である。
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8/8 10:17
芦野氏の新墳墓がある、建中寺の山門の階段である。
建中寺の境内では、草取りが行われていた。今日は、比較的涼しくて良いですね御苦労さまと声掛けをした。
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8/8 10:19
建中寺の境内では、草取りが行われていた。今日は、比較的涼しくて良いですね御苦労さまと声掛けをした。
芦野氏の新墳墓の説明板である。
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8/8 10:29
芦野氏の新墳墓の説明板である。
芦野氏の新墳墓は、立派な木が植えてある石垣の上にある。
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8/8 10:29
芦野氏の新墳墓は、立派な木が植えてある石垣の上にある。
墓碑22基が建てられている。いずれも立派な墓碑である。
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8/8 10:30
墓碑22基が建てられている。いずれも立派な墓碑である。
このあたりの名所を歩く事ができる遊歩道が設けられている。約2時間で回ることが出来るようである。
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8/8 10:40
このあたりの名所を歩く事ができる遊歩道が設けられている。約2時間で回ることが出来るようである。
建中寺の先にあった那須歴史探訪館の立派な建屋である。見学者は、いなかった。
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8/8 10:37
建中寺の先にあった那須歴史探訪館の立派な建屋である。見学者は、いなかった。
三光寺の立派な五輪塔?である。建造してから日が経っていないようであった。
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8/8 10:45
三光寺の立派な五輪塔?である。建造してから日が経っていないようであった。
旧奥州街道沿いにある三光寺の本堂。
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8/8 10:47
旧奥州街道沿いにある三光寺の本堂。
旧奥州街道沿いのお店で車大工などは今時ない職業。ある。昔の職業を紹介している暖簾であろう。
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8/8 10:52
旧奥州街道沿いのお店で車大工などは今時ない職業。ある。昔の職業を紹介している暖簾であろう。
旧奥州街道沿いには歴史が感じられる家も残っている。
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8/8 10:53
旧奥州街道沿いには歴史が感じられる家も残っている。
石の美術館の風景である。この地方で取れる芦屋石?で美術館が造られているようである。
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8/8 10:56
石の美術館の風景である。この地方で取れる芦屋石?で美術館が造られているようである。
石の美術館の前に飾られていた蛙の置物である。睨まれているような感じがした。
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8/8 10:59
石の美術館の前に飾られていた蛙の置物である。睨まれているような感じがした。
旧奥州街道の芦野宿の様子である。
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8/8 11:01
旧奥州街道の芦野宿の様子である。
街道沿いの最勝院を参道から眺めた様子である。16羅漢像や6地蔵が飾られていた。
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8/8 11:09
街道沿いの最勝院を参道から眺めた様子である。16羅漢像や6地蔵が飾られていた。
16羅漢像でそれぞれ思い思いの表情をしている。
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8/8 11:09
16羅漢像でそれぞれ思い思いの表情をしている。
芦屋氏陣屋裏門を説明している板である。ふれあいのみちのCPになっている。CPでなければ通りすぎそうである。
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8/8 11:17
芦屋氏陣屋裏門を説明している板である。ふれあいのみちのCPになっている。CPでなければ通りすぎそうである。
芦屋氏陣屋裏門を門の内側から撮影して見た。
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8/8 11:18
芦屋氏陣屋裏門を門の内側から撮影して見た。
芦屋氏陣屋裏門の入り口に車が駐車していたのでそれを避けて門の片側を撮影してみた。
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8/8 11:18
芦屋氏陣屋裏門の入り口に車が駐車していたのでそれを避けて門の片側を撮影してみた。
館山城址の説明板である。地方豪族の居所のようである。街道から目立っている。
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8/8 11:23
館山城址の説明板である。地方豪族の居所のようである。街道から目立っている。
街道沿いから山の中腹に館山城址を確認できる。西坂の南方にある二つの岩山を利用した山城である。
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8/8 11:22
街道沿いから山の中腹に館山城址を確認できる。西坂の南方にある二つの岩山を利用した山城である。
芦野宿を示す道案内柱である。ここで街道と294号の国道が一本に合流する。
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8/8 11:24
芦野宿を示す道案内柱である。ここで街道と294号の国道が一本に合流する。
街道合流地点にある、旧芦野氏の墓所である。小高い岡の上に墓が、6,7塔の墓石で保存されている。
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8/8 11:27
街道合流地点にある、旧芦野氏の墓所である。小高い岡の上に墓が、6,7塔の墓石で保存されている。
それぞれの墓石は、苔むしていて形に味わいを感じることができる。
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8/8 11:28
それぞれの墓石は、苔むしていて形に味わいを感じることができる。
芦屋氏の旧墳墓を示す柱と案内板である。ここから階段を上がった広場に墳墓がある。
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8/8 11:29
芦屋氏の旧墳墓を示す柱と案内板である。ここから階段を上がった広場に墳墓がある。
伊王野へ行く道から撮った街道の様子である。夏雲が青空に浮かんでいる。
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8/8 11:40
伊王野へ行く道から撮った街道の様子である。夏雲が青空に浮かんでいる。
山側の写真である。街道脇には、草花が植えられていて癒してくれる。
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8/8 11:47
山側の写真である。街道脇には、草花が植えられていて癒してくれる。
堂の下岩観音の説明板である。そびえたつ芦野石に彫られた摩崖の像が彫られている。
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8/8 11:52
堂の下岩観音の説明板である。そびえたつ芦野石に彫られた摩崖の像が彫られている。
小学校の道路を隔てて反対側の山にある堂の下岩観音である。岩肌にお経のような文字が彫られている。
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8/8 11:52
小学校の道路を隔てて反対側の山にある堂の下岩観音である。岩肌にお経のような文字が彫られている。
摩崖の像の前にお堂のような建物が立っている。写真が貼ってあり、桜の花、モミジが映っている写真もある。
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8/8 11:54
摩崖の像の前にお堂のような建物が立っている。写真が貼ってあり、桜の花、モミジが映っている写真もある。
堂の下岩観音から下りてくる階段から空と山を撮影してみた。
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8/8 11:55
堂の下岩観音から下りてくる階段から空と山を撮影してみた。
伊王野近くへ来ると霞ヶ城跡の看板が現われる。小高い山の上に階段が設けられていて城址へ導いてくれるようである。
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8/8 12:19
伊王野近くへ来ると霞ヶ城跡の看板が現われる。小高い山の上に階段が設けられていて城址へ導いてくれるようである。
伊王野のふれあいのみちコース35-1,-2の分岐直前の道標である。その先の信号に伊王野の文字を確認できる。
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8/8 12:24
伊王野のふれあいのみちコース35-1,-2の分岐直前の道標である。その先の信号に伊王野の文字を確認できる。
道の駅 東山道伊王野へ寄ってみることにした。休憩して昼食を食べて、35-2を歩く準備をした。
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8/8 12:28
道の駅 東山道伊王野へ寄ってみることにした。休憩して昼食を食べて、35-2を歩く準備をした。
旧東山道(義経街道)の様子である。
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8/8 13:02
旧東山道(義経街道)の様子である。
伊王野温泉神社の参道は、鳥居の先に立派な杉並木を確認できる。
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8/8 13:06
伊王野温泉神社の参道は、鳥居の先に立派な杉並木を確認できる。
伊王野温泉神社の杉並木である。
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8/8 13:06
伊王野温泉神社の杉並木である。
本堂の前に2本の大きな杉が立っている。
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8/8 13:08
本堂の前に2本の大きな杉が立っている。
温泉神社の先にある薬師寺でお祭りが、昨日と今日の2日間で行われたようである。幟旗が、立っていた。
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8/8 13:18
温泉神社の先にある薬師寺でお祭りが、昨日と今日の2日間で行われたようである。幟旗が、立っていた。
旧東山道(義経街道)から眺めた空と山の様子で、雲が、多く出てきた。
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8/8 13:26
旧東山道(義経街道)から眺めた空と山の様子で、雲が、多く出てきた。
旧東山道(義経街道)の沿道には、このような立派な門構への家が数軒ある。
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8/8 13:34
旧東山道(義経街道)の沿道には、このような立派な門構への家が数軒ある。
門の中には、三森家住宅の説明板が設置されている。
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8/8 13:46
門の中には、三森家住宅の説明板が設置されている。
立派な門構の家の一つ三森家住宅の門である。
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8/8 13:43
立派な門構の家の一つ三森家住宅の門である。
ここは、ふれあいのみちのCPになっている。那須町の町営バスの下平バス停が近くにある。
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8/8 13:45
ここは、ふれあいのみちのCPになっている。那須町の町営バスの下平バス停が近くにある。
中の母屋は、写真のように立派な建物であり、歴史を感じる事ができる。
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8/8 13:47
中の母屋は、写真のように立派な建物であり、歴史を感じる事ができる。
お庭には、草花や手入れされた植木があり桔梗の花も咲いていた。秋の気配も感じられた。
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8/8 13:48
お庭には、草花や手入れされた植木があり桔梗の花も咲いていた。秋の気配も感じられた。
旧東山道(義経街道)を三森家住宅から伊王野方面へ戻ってくる途中の様子である。
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8/8 13:55
旧東山道(義経街道)を三森家住宅から伊王野方面へ戻ってくる途中の様子である。
旧東山道(義経街道)から空を眺めると雲でそらが覆われてきた。
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8/8 14:00
旧東山道(義経街道)から空を眺めると雲でそらが覆われてきた。
薬師堂正慶寺の説明板である。昔は、祭りのとき境内で奉納相撲が行われていたようである。
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8/8 14:14
薬師堂正慶寺の説明板である。昔は、祭りのとき境内で奉納相撲が行われていたようである。
薬師堂正慶寺へ再度寄ってみた。祭り用に幕が張られている。堂内に薬師如来像と十二神将が、安置されているようである。
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8/8 14:14
薬師堂正慶寺へ再度寄ってみた。祭り用に幕が張られている。堂内に薬師如来像と十二神将が、安置されているようである。
伊王野の上空を長源寺付近から撮影してみた。雲の多い空は相変わらずである。
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8/8 14:16
伊王野の上空を長源寺付近から撮影してみた。雲の多い空は相変わらずである。
伊王野氏の新墳墓に関する説明板である。長源寺は、伊王野城主資直が、開基した伊王野家の菩提寺である。
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8/8 14:31
伊王野氏の新墳墓に関する説明板である。長源寺は、伊王野城主資直が、開基した伊王野家の菩提寺である。
長源寺境内には、16羅漢の像が設置されている。その説明板である。
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8/8 14:32
長源寺境内には、16羅漢の像が設置されている。その説明板である。
16羅漢は、それぞれに異なった味わい深い表情がある。
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8/8 14:32
16羅漢は、それぞれに異なった味わい深い表情がある。
長源寺の本堂である。
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8/8 14:34
長源寺の本堂である。
伊王野小学校は、伊王野氏の居館跡である。道路を隔てた小高い丘にこの伊王野山城址がある。
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8/8 14:42
伊王野小学校は、伊王野氏の居館跡である。道路を隔てた小高い丘にこの伊王野山城址がある。
馬頭観音堂は、義経の愛馬が、病気になった時にこの堂の前で病気が治るように祈祷して治ったという伝説があるようである。
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8/8 14:42
馬頭観音堂は、義経の愛馬が、病気になった時にこの堂の前で病気が治るように祈祷して治ったという伝説があるようである。
伊王野城址説明板である。那須7騎の一家である伊王野家の中期から末期までの居城で霞ヶ城と呼ばれているようである。
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8/8 14:42
伊王野城址説明板である。那須7騎の一家である伊王野家の中期から末期までの居城で霞ヶ城と呼ばれているようである。
道の駅東山道伊王野へ戻ってきた。そば粉をついている水車と蕎麦屋の建物の写真である。
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8/8 15:21
道の駅東山道伊王野へ戻ってきた。そば粉をついている水車と蕎麦屋の建物の写真である。
道の駅東山道伊王野の前景である。農産物などが直売されており、食堂、トイレ神輿が納められている建物。
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8/8 15:23
道の駅東山道伊王野の前景である。農産物などが直売されており、食堂、トイレ神輿が納められている建物。
道の駅東山道伊王野から眺めた付近の情景である。のどかな雰囲気がある。
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8/8 15:30
道の駅東山道伊王野から眺めた付近の情景である。のどかな雰囲気がある。
北向き地蔵像である。大きなお地蔵さんで旅の親子連れが行き倒れになりその霊を慰めるため米沢や釈迦堂山を眺めているそうである。
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8/8 16:02
北向き地蔵像である。大きなお地蔵さんで旅の親子連れが行き倒れになりその霊を慰めるため米沢や釈迦堂山を眺めているそうである。
伊王野から黒磯駅へ行く那珂町町営バスは、ここを通る。16:23分発で北向き地蔵があるこの場所で待つ。
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8/8 16:04
伊王野から黒磯駅へ行く那珂町町営バスは、ここを通る。16:23分発で北向き地蔵があるこの場所で待つ。
黒磯駅へ到着した、那珂町町営バスである。300円であった。伊王野から黒磯駅へいろいろの道を経由して到着した。
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8/8 16:59
黒磯駅へ到着した、那珂町町営バスである。300円であった。伊王野から黒磯駅へいろいろの道を経由して到着した。
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