記録ID: 220850
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
富士・御坂
富士山
1951年08月24日 〜
1951年08月25日


- GPS
- 32:00
- 距離
- 71.1km
- 登り
- 3,360m
- 下り
- 3,291m
コースタイム
(時刻・不明)中央線大月
富士急行大月発〜富士山
五合目までバス 富士吉田登山口から七合目まで登山
七合目山荘で仮眠 翌日早朝に頂上を目指す 下山
富士急行大月発〜富士山
五合目までバス 富士吉田登山口から七合目まで登山
七合目山荘で仮眠 翌日早朝に頂上を目指す 下山
天候 | 曇りのち、山上晴れ、下山時著しい雷雨 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
富士急行大月発〜富士山 五合目までバス 富士吉田登山口から登山 |
コース状況/ 危険箇所等 |
(回想)約60年前の登山なので記憶をたどって記します。映像は1枚のみです。 山梨県の富士吉田口から夜のうちに七合目まで登り山小屋で仮眠し夜明け前に登頂しご来光を拝むことが出来ました。 さすが最後の9合目からはきつかったですね。 顔が黄色くなったようです。 富士山測候所で記念撮影し、山頂の噴火口を一周しました。 怖かったのはそれから下山するときです。夏の富士。すごい雷雨・豪雨でもう駄目かと、思わず林業関係のトラックに助けを求めました。今云う土石流の感じ。下山のおりに「砂走り」と云って一気にすべり台のように降りるんです。ところが降りたところで道に迷い、ふもとの林道に入ってしまいました。豪雨に見舞われ林道が川のようになりもうだめかと思いました。偶然降りてきた作業用のトラックの荷台に乗せてもらって命びろいしました。 今思うと貴重な経験、良い経験だったよ! |
予約できる山小屋 |
|
写真
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:1491人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
flute-jijiさま、「あこがれの山探検隊」の隊長です。
最古記録のゲットおめでとうございます
しかも、日本一の山
ところで、当時は学生服で登られたのでしょうか?
e-sansakuさま、 コメントいただき 有難うございます。
服装は当時は物資不足でしたので今のような洒落た登山服は持っていませんでした。真夏ですから学生ズボンに白のワイシャツとカーデガン(防水・防寒)だけで寒い時間帯、特に早朝の御来光登山は寒冷のため毛糸の普段着を何枚も重ね着をして寒冷をしのいだと記憶しています。
もっと測候所や噴火口の写真があったのですが行方不明です
flute-jijiさんこんにちは
僕の父と同年代です。地図の赤線は少々大まかですが、吉田口を登って精進口を降りられたのでしょうか。当時はスバルライン、まだありませんから。地図で見る様子ですと精進湖の道のほうへ降りられたのでしょうか。60年前のことで、しかも高校生では、定かではないですよね。僕も高校生は30年前ですが、人に連れられて行った山ではどこを歩いたかなど思い出せません。
yoneyama様 はじめまして。富士登山の回想記録を見て頂き有難うございます。
ご指摘の通り地図の赤線は怪しいものです。頂上から一直線に下へ引っ張っていますが、記憶が無い部分なのです。
「砂走り」と記した理由は一般に知られている東登山口の「須走り」でなかったことは確かですが「砂の上をすべり下りた」のを記憶していたからです。
記事の後半に触れたように林道に迷いこみ道を間違えた可能性があるのです。未開拓の道を下りたからトラックに助けられたのだと思います。
今で言う139号線でトラックから降ろしてもらい、本栖湖や西湖を見ながら富士吉田経由(バス?)で帰路に着いた記憶ははっきり残っています。
今はパノラマラインとか、スパルラインとか整備されていますが、若さのエネルギー(?)で登山道を無視し樹海に迷い込み北西部の本栖の三叉路まで行ったのだと思います。無茶ですよね!
当時の写真ネガを探しているのですが見つかりません。2年年上の兄がリーダーでまだ健在ですのでもう少し当時の記録を正確にしようと思っています。
60年前の記憶を思い出すのも楽しいですよ(^0^)
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する