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Yamareco

記録ID: 2210240 全員に公開 ハイキング東海

壬申の乱を歩く3(三重・播磨〜多度〜下野代)

日程 2020年02月08日(土) [日帰り]
メンバー
天候晴れ時々曇り
アクセス
利用交通機関
電車
往 桑名〜養老線〜播磨
復 下野代〜養老線〜桑名
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地図/標高グラフ


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コースタイム [注]

日帰り
山行
5時間34分
休憩
0分
合計
5時間34分
S養老線播磨駅09:2109:41縣神社10:29森大明神11:26御衣野・古霓声11:37御衣野・草薙神社11:54小山神社12:25多度大社駐車場12:30多度大社12:54大黒屋13:30岐阜・三重県境橋14:20小山・舟着社14:40野志里神社14:55養老線下野代駅G
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
コース状況/
危険箇所等
特になし
その他周辺情報参考資料
「写真探訪 桑名・いなべのたから」郷土出版社
「新 桑名歴史散歩」西羽晃著 新光堂書店

写真

<養老線・播磨駅>桑名駅~養老・大垣~揖斐駅までを揖斐川と平行し走る養老線。湊町・桑名と美濃や尾張を結んだ水運船が明治以降は鉄道・自動車と変遷した名残。
2020年02月08日 09:21撮影 by iPhone 7, Apple
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<養老線・播磨駅>桑名駅~養老・大垣~揖斐駅までを揖斐川と平行し走る養老線。湊町・桑名と美濃や尾張を結んだ水運船が明治以降は鉄道・自動車と変遷した名残。
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<桑名・蛎塚>西汰上(ゆりあげ)神明社と養老線。農家は春の準備。揖斐川源流には冠山・能郷白山や徳山ダム。大垣から樽見線で谷汲山や根尾谷など。
2020年02月08日 09:34撮影 by iPhone 7, Apple
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<桑名・蛎塚>西汰上(ゆりあげ)神明社と養老線。農家は春の準備。揖斐川源流には冠山・能郷白山や徳山ダム。大垣から樽見線で谷汲山や根尾谷など。
<桑名・蛎塚・縣神社>古代・桑名群家跡と推測される縣神社を北から見る。大海人皇子が不破・野上行宮(関ヶ原)で戦時指揮を執っている間、妃・讃良皇女(持統天皇)や草壁・忍壁皇子らはここに約2ヶ月滞在?
2020年02月08日 09:38撮影 by iPhone 7, Apple
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<桑名・蛎塚・縣神社>古代・桑名群家跡と推測される縣神社を北から見る。大海人皇子が不破・野上行宮(関ヶ原)で戦時指揮を執っている間、妃・讃良皇女(持統天皇)や草壁・忍壁皇子らはここに約2ヶ月滞在?
<蛎塚>6月26日「天皇、桑名郡家に宿りたまひ、即ち停りて進でまさず。是日、天皇宿于桑名郡家、即停以不進。」大津京に「大海人皇子の東国入」伝わり、朝廷側に不安や動揺。大友皇子はで全国諸国に兵招集動員をかけるが動きは不良。
2020年02月08日 09:42撮影 by iPhone 7, Apple
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<蛎塚>6月26日「天皇、桑名郡家に宿りたまひ、即ち停りて進でまさず。是日、天皇宿于桑名郡家、即停以不進。」大津京に「大海人皇子の東国入」伝わり、朝廷側に不安や動揺。大友皇子はで全国諸国に兵招集動員をかけるが動きは不良。
<蛎塚>先行して不破(野上行宮)にいる高市皇子から「本宮が遠くて不便なので御所を不破へ」と桑名郡家への使い。6月27日大海人皇子は美濃湯沐邑〜南宮山〜不破へ出立。皇子私領地・湯沐邑は大垣・安八郡・養老郡辺りで好都合。
2020年02月08日 09:44撮影 by iPhone 7, Apple
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<蛎塚>先行して不破(野上行宮)にいる高市皇子から「本宮が遠くて不便なので御所を不破へ」と桑名郡家への使い。6月27日大海人皇子は美濃湯沐邑〜南宮山〜不破へ出立。皇子私領地・湯沐邑は大垣・安八郡・養老郡辺りで好都合。
<桑名北高校と農地を耕すトラクター>蛎塚辺りの遺跡からは古墳時代の土師器、須恵器、牡蛎殻などが出土。山王遺跡。現在海抜約10丹焚爾療效呂蓮古代は水面下で主要遺跡は丘陵上。
2020年02月08日 09:48撮影 by iPhone 7, Apple
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<桑名北高校と農地を耕すトラクター>蛎塚辺りの遺跡からは古墳時代の土師器、須恵器、牡蛎殻などが出土。山王遺跡。現在海抜約10丹焚爾療效呂蓮古代は水面下で主要遺跡は丘陵上。
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<下深谷駅西角にある飛鳥寺道の石標>「あすか」と読まず「ひちょう」と読む。霊鳥飛来して伝・弘法大師創建。
2020年02月08日 09:52撮影 by iPhone 7, Apple
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<下深谷駅西角にある飛鳥寺道の石標>「あすか」と読まず「ひちょう」と読む。霊鳥飛来して伝・弘法大師創建。
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<飛鳥寺下の石仏群>『勢陽雑記』「雨の尾の嵐の風はしげゝれど雲井はるかに鳥ぞ飛来る」下深谷坊ヶ谷の飛鳥廃寺との関係?
2020年02月08日 09:55撮影 by iPhone 7, Apple
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<飛鳥寺下の石仏群>『勢陽雑記』「雨の尾の嵐の風はしげゝれど雲井はるかに鳥ぞ飛来る」下深谷坊ヶ谷の飛鳥廃寺との関係?
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<雨尾山飛鳥寺・下深谷>寺域一里半、寺領千石、十二坊舎で繁栄。1571年信長・長島一向一揆攻略で全山灰燼。1635年桑名藩松平定綱が眼病平癒祈願寄付。雨尾は止雨、降雨の意味。
2020年02月08日 09:56撮影 by iPhone 7, Apple
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<雨尾山飛鳥寺・下深谷>寺域一里半、寺領千石、十二坊舎で繁栄。1571年信長・長島一向一揆攻略で全山灰燼。1635年桑名藩松平定綱が眼病平癒祈願寄付。雨尾は止雨、降雨の意味。
<飛鳥寺>本堂前より東方向。名古屋駅や津島・佐屋などと木曽三川(揖斐・長良・木曽川)展望よい。古代では大河川の中に島が点在状態。桑名が舞台のNHKドラマ「マチ工場のオンナ」のロケ撮影場所。
2020年02月08日 09:56撮影 by iPhone 7, Apple
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<飛鳥寺>本堂前より東方向。名古屋駅や津島・佐屋などと木曽三川(揖斐・長良・木曽川)展望よい。古代では大河川の中に島が点在状態。桑名が舞台のNHKドラマ「マチ工場のオンナ」のロケ撮影場所。
<梅の花も今年は早い>
2020年02月08日 10:03撮影 by iPhone 7, Apple
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<梅の花も今年は早い>
<美濃街道・下深谷>桑名・三崎見附から多度・海津・養老・関ヶ原と続く「美濃街道」。西濃や南濃では「伊勢東街道」と呼ぶ。「伊勢西街道」は関ヶ原・上石津・藤原・員弁と結び北勢巡見道や濃州道に繋がる。
2020年02月08日 10:06撮影 by iPhone 7, Apple
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<美濃街道・下深谷>桑名・三崎見附から多度・海津・養老・関ヶ原と続く「美濃街道」。西濃や南濃では「伊勢東街道」と呼ぶ。「伊勢西街道」は関ヶ原・上石津・藤原・員弁と結び北勢巡見道や濃州道に繋がる。
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<養老鉄道と深江神社(左)と西林寺(右奥)>往古は神社と寺は一体となった神宮寺で神仏習合関係?「深江」は深い入り江だったのか。
2020年02月08日 10:09撮影 by iPhone 7, Apple
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<養老鉄道と深江神社(左)と西林寺(右奥)>往古は神社と寺は一体となった神宮寺で神仏習合関係?「深江」は深い入り江だったのか。
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<深江神社>905年『延喜式神名帳』「深江神社(桑名郡)」に比定。通称「県大明神」信長兵災で全て焼失。江戸初期1622年松平信濃守が再興。
2020年02月08日 10:10撮影 by iPhone 7, Apple
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<深江神社>905年『延喜式神名帳』「深江神社(桑名郡)」に比定。通称「県大明神」信長兵災で全て焼失。江戸初期1622年松平信濃守が再興。
<西林寺>北廻(きたはざま)城主・近藤氏・子孫が開創。北勢48家の1家。藤原鎌足末裔?
2020年02月08日 10:12撮影 by iPhone 7, Apple
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<西林寺>北廻(きたはざま)城主・近藤氏・子孫が開創。北勢48家の1家。藤原鎌足末裔?
<西林寺古墳と北廻城跡>後の尾根。円墳。県主を葬る?古墳時代で須恵器平瓶や高杯など出土。「深谷」地名は桑名・益田荘から鎌倉期に分離した「深矢部郷」起源。
2020年02月08日 10:14撮影 by iPhone 7, Apple
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<西林寺古墳と北廻城跡>後の尾根。円墳。県主を葬る?古墳時代で須恵器平瓶や高杯など出土。「深谷」地名は桑名・益田荘から鎌倉期に分離した「深矢部郷」起源。
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<下深谷外れの地蔵祠> 室町時代末期、上深谷部「堺城・三砂城」、下深谷部「北廻城・柳ヶ島城・山ノ城城」あり。信長侵攻で滅亡後、北廻城主・近藤氏子孫は西林寺(下深谷部)と祐泉寺(今島)、柳ヶ島城主・安藤氏子孫は安養寺(下深谷部)住職となった。
2020年02月08日 10:17撮影 by iPhone 7, Apple
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<下深谷外れの地蔵祠> 室町時代末期、上深谷部「堺城・三砂城」、下深谷部「北廻城・柳ヶ島城・山ノ城城」あり。信長侵攻で滅亡後、北廻城主・近藤氏子孫は西林寺(下深谷部)と祐泉寺(今島)、柳ヶ島城主・安藤氏子孫は安養寺(下深谷部)住職となった。
<深谷小学校>奥に多度山と石津御岳の尾根。ここより東に1劼罵斐川沿いの今島集落。今島地域は平安期頃は中州島を形成。当時はこの付近まで河川域。
2020年02月08日 10:19撮影 by iPhone 7, Apple
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<深谷小学校>奥に多度山と石津御岳の尾根。ここより東に1劼罵斐川沿いの今島集落。今島地域は平安期頃は中州島を形成。当時はこの付近まで河川域。
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<森大明神参道から北を見て明光寺>「北伊勢小島大森大明神」と呼ばれる。往古は揖斐川沿岸にあって数十町境内。「大森」とか「長官」と呼ぶ。寺が川沿いだったのか?川が丘陵の寺まで来てたのか?
2020年02月08日 10:29撮影 by iPhone 7, Apple
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<森大明神参道から北を見て明光寺>「北伊勢小島大森大明神」と呼ばれる。往古は揖斐川沿岸にあって数十町境内。「大森」とか「長官」と呼ぶ。寺が川沿いだったのか?川が丘陵の寺まで来てたのか?
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<森大明神への階段>背後の森は「堺城跡」。郭・土塁が残存。片岡掃部頭?
2020年02月08日 10:29撮影 by iPhone 7, Apple
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<森大明神への階段>背後の森は「堺城跡」。郭・土塁が残存。片岡掃部頭?
<明光寺>14C中期、奥州国司・北畠顕家の子孫が奥州姥原(えびはら)に建立。後年に北畠家が伊勢国司になり、寺も当地に移設。
2020年02月08日 10:33撮影 by iPhone 7, Apple
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<明光寺>14C中期、奥州国司・北畠顕家の子孫が奥州姥原(えびはら)に建立。後年に北畠家が伊勢国司になり、寺も当地に移設。
<上深谷>古い土蔵と美濃街道
2020年02月08日 10:35撮影 by iPhone 7, Apple
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<上深谷>古い土蔵と美濃街道
<阿弥陀堂>隣のミカン畑で作業していたおじさんと話す。芽の手入れがたいへん。今は「八朔(はっさく)」が実る。阿弥陀立像は上品下生の印で舟型光背の石仏。
2020年02月08日 10:38撮影 by iPhone 7, Apple
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<阿弥陀堂>隣のミカン畑で作業していたおじさんと話す。芽の手入れがたいへん。今は「八朔(はっさく)」が実る。阿弥陀立像は上品下生の印で舟型光背の石仏。
<下野代>地蔵堂。明治4年。地蔵は僧形で左手に宝珠、右手に錫杖。「三界万霊」
2020年02月08日 10:43撮影 by iPhone 7, Apple
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<下野代>地蔵堂。明治4年。地蔵は僧形で左手に宝珠、右手に錫杖。「三界万霊」
<岩井戸・大淀の松株跡・下野代>地蔵堂背後の養老線の向こう。明治31年。岩井戸。井戸の近くに巨大な松があった伝説より村人建立。弘法大師像や石仏も並ぶ。
2020年02月08日 10:43撮影 by iPhone 7, Apple
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<岩井戸・大淀の松株跡・下野代>地蔵堂背後の養老線の向こう。明治31年。岩井戸。井戸の近くに巨大な松があった伝説より村人建立。弘法大師像や石仏も並ぶ。
<徳蓮寺への裏参道>「虚空蔵寺」「コクゾッサン」と呼ばれる。伝・弘法大師作の虚空蔵菩薩が本尊。7年に一度御開帳。他に県指定文化財「紺紙金泥阿惟越致遮経巻下一巻」や「釈迦涅槃図」。
2020年02月08日 10:45撮影 by iPhone 7, Apple
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<徳蓮寺への裏参道>「虚空蔵寺」「コクゾッサン」と呼ばれる。伝・弘法大師作の虚空蔵菩薩が本尊。7年に一度御開帳。他に県指定文化財「紺紙金泥阿惟越致遮経巻下一巻」や「釈迦涅槃図」。
<徳蓮寺本堂横の不動明王>珍しい二百枚を超えるナマズとウナギなどの奉納絵馬あり。
2020年02月08日 10:48撮影 by iPhone 7, Apple
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<徳蓮寺本堂横の不動明王>珍しい二百枚を超えるナマズとウナギなどの奉納絵馬あり。
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<徳蓮寺鐘楼>安政4年(1775)桑名・広瀬与左衛門鋳造。伊坂茂兵衛保寛銘刻。戦争中供出。戦後に住職らが四日市・石原産業に全国より集められた鐘の中から探し出して持ち帰る。
2020年02月08日 10:49撮影 by iPhone 7, Apple
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<徳蓮寺鐘楼>安政4年(1775)桑名・広瀬与左衛門鋳造。伊坂茂兵衛保寛銘刻。戦争中供出。戦後に住職らが四日市・石原産業に全国より集められた鐘の中から探し出して持ち帰る。
<徳蓮寺百段階段>参道石段は百段。上面や側面に「なむあみだ仏」の文字。徳蓮寺以前は「中蓮寺」存在か?壬申の乱の時に焼失の言い伝え?この場所で戦があったかどうか興味が湧く。
2020年02月08日 10:51撮影 by iPhone 7, Apple
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<徳蓮寺百段階段>参道石段は百段。上面や側面に「なむあみだ仏」の文字。徳蓮寺以前は「中蓮寺」存在か?壬申の乱の時に焼失の言い伝え?この場所で戦があったかどうか興味が湧く。
<徳蓮寺・なまず絵馬について解説>鯰(なまず)絵馬は地震や自然災害除けらしい。
2020年02月08日 10:52撮影 by iPhone 7, Apple
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<徳蓮寺・なまず絵馬について解説>鯰(なまず)絵馬は地震や自然災害除けらしい。
<御衣野(みぞの)へ>美濃街道をそのまま進めば野志里神社から多度へ通じるが、帰りに多度から野代に戻る予定なので、ここからは西の丘陵を御衣野へ抜ける。149号線の坂を上がる。道路狭くトラック猛スピード。
2020年02月08日 10:58撮影 by iPhone 7, Apple
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<御衣野(みぞの)へ>美濃街道をそのまま進めば野志里神社から多度へ通じるが、帰りに多度から野代に戻る予定なので、ここからは西の丘陵を御衣野へ抜ける。149号線の坂を上がる。道路狭くトラック猛スピード。
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<工業団地より北を見て多度山>最近ローソンができた。一昔前は何もない山中で夜間に通過すると怖いぐらい。この先の御衣野西交差点を左へ行くと「草競馬」が開催の「アイリスパークみぞの」から大山田団地や星川、右の北へ行くと小山から多度神社。
2020年02月08日 11:06撮影 by iPhone 7, Apple
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<工業団地より北を見て多度山>最近ローソンができた。一昔前は何もない山中で夜間に通過すると怖いぐらい。この先の御衣野西交差点を左へ行くと「草競馬」が開催の「アイリスパークみぞの」から大山田団地や星川、右の北へ行くと小山から多度神社。
<御衣野西交差点>古代の道は、一説には、大矢知の久留倍官衙遺跡から県道26号で真北に向かい、伊坂・広古墳遺跡〜伊坂団地〜星川・額田廃寺〜大山田そしてここというルート説がある。
2020年02月08日 11:13撮影 by iPhone 7, Apple
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<御衣野西交差点>古代の道は、一説には、大矢知の久留倍官衙遺跡から県道26号で真北に向かい、伊坂・広古墳遺跡〜伊坂団地〜星川・額田廃寺〜大山田そしてここというルート説がある。
<古霓声辧篝雲遏奮枦椎兒)からは、26号で桑名カントリー西横を周り、力尾より多度、或いは星川から今の大山田団地を縦貫して直線でここ、の2通り考えられる。確かに久留倍から多度を最短距離で結ぶルート。
2020年02月08日 11:26撮影 by iPhone 7, Apple
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<古霓声辧篝雲遏奮枦椎兒)からは、26号で桑名カントリー西横を周り、力尾より多度、或いは星川から今の大山田団地を縦貫して直線でここ、の2通り考えられる。確かに久留倍から多度を最短距離で結ぶルート。
<古霓声辧Ω羂疚遏筝鮑掬惜明召垢亜8塗諭文答陝砲量松里蓮太古に海岸縁だったことから?低い丘陵が点在するこの辺りはリアス式海岸のようだったかも?
2020年02月08日 11:26撮影 by iPhone 7, Apple
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<古霓声辧Ω羂疚遏筝鮑掬惜明召垢亜8塗諭文答陝砲量松里蓮太古に海岸縁だったことから?低い丘陵が点在するこの辺りはリアス式海岸のようだったかも?
<多度山に続く道>また先程のルートだが、伊坂・広ヶ野遺跡や星川・額田廃寺、多度・小山遺跡・天王平遺跡・柚井遺跡など主要遺跡満載。だが、それでは桑名郡家とされる大成小〜縣神社が通過できず。そこで「桑名郡家は額田廃寺、あるいは多度・小山天王平・柚井遺跡」とするとほぼ解決するのだ。
2020年02月08日 11:32撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度山に続く道>また先程のルートだが、伊坂・広ヶ野遺跡や星川・額田廃寺、多度・小山遺跡・天王平遺跡・柚井遺跡など主要遺跡満載。だが、それでは桑名郡家とされる大成小〜縣神社が通過できず。そこで「桑名郡家は額田廃寺、あるいは多度・小山天王平・柚井遺跡」とするとほぼ解決するのだ。
<御衣野遺跡付近を見る>付近にいくつかの小山が点在。「御衣野遺跡」や室町期「御衣野城跡」辺り。結局、「多度=桑名」で桑名郡家・石占頓宮などは多度にあったのかも。すぐ東前の川向こうが尾張なのだし、南宮山・垂井・関ヶ原から東山道・鎌倉街道にも便利。
2020年02月08日 11:33撮影 by iPhone 7, Apple
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<御衣野遺跡付近を見る>付近にいくつかの小山が点在。「御衣野遺跡」や室町期「御衣野城跡」辺り。結局、「多度=桑名」で桑名郡家・石占頓宮などは多度にあったのかも。すぐ東前の川向こうが尾張なのだし、南宮山・垂井・関ヶ原から東山道・鎌倉街道にも便利。
<尾津前遺跡の尾津(草薙)神社から北>多度山が明確になり、その手前に丘陵。左手が北小山廃寺遺跡で古墳〜室町期の土師器、須恵器、灰釉陶器、瓦、瀬戸美濃陶器など出土。右手に小山神社〜北小山遺跡。 下を肱江川が流れ、往古はこの辺りも全て海か海浜。
2020年02月08日 11:36撮影 by iPhone 7, Apple
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<尾津前遺跡の尾津(草薙)神社から北>多度山が明確になり、その手前に丘陵。左手が北小山廃寺遺跡で古墳〜室町期の土師器、須恵器、灰釉陶器、瓦、瀬戸美濃陶器など出土。右手に小山神社〜北小山遺跡。 下を肱江川が流れ、往古はこの辺りも全て海か海浜。
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<日本武尊尾津前遺跡・尾津(草薙)神社>延喜式内社。「八剣社」の名称。明治末期までは「草薙神社」。神社守は草薙姓の12軒の家。御衣野は野代郷に属する。こことは別に、尾津神社は多度の小山と戸津に2社存在。
2020年02月08日 11:36撮影 by iPhone 7, Apple
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<日本武尊尾津前遺跡・尾津(草薙)神社>延喜式内社。「八剣社」の名称。明治末期までは「草薙神社」。神社守は草薙姓の12軒の家。御衣野は野代郷に属する。こことは別に、尾津神社は多度の小山と戸津に2社存在。
神社前、史跡「日本武尊尾津前御遺跡」明治16年とある。小山になっていて、坂を上ると不思議な雰囲気の社がある。社は東向き。
2020年02月08日 11:37撮影 by iPhone 7, Apple
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神社前、史跡「日本武尊尾津前御遺跡」明治16年とある。小山になっていて、坂を上ると不思議な雰囲気の社がある。社は東向き。
<尾津(草薙)神社>日本武尊太刀掛松伝説。「大和から東征の際、尾津岬の当地に立ち寄り、太刀を置いたまま旅立つ。帰途にここへ戻ると、松の木にかけた太刀が残っていて感激」
2020年02月08日 11:38撮影 by iPhone 7, Apple
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<尾津(草薙)神社>日本武尊太刀掛松伝説。「大和から東征の際、尾津岬の当地に立ち寄り、太刀を置いたまま旅立つ。帰途にここへ戻ると、松の木にかけた太刀が残っていて感激」
<祠内に古い枯れた松の幹が保存>4C〜5C頃とすると千五百年も前か!本堂南は小山になっていて踏み跡がある。松は一番上に生えていたのか?2等水準点(海抜9.87m)あり。
2020年02月08日 11:38撮影 by iPhone 7, Apple
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<祠内に古い枯れた松の幹が保存>4C〜5C頃とすると千五百年も前か!本堂南は小山になっていて踏み跡がある。松は一番上に生えていたのか?2等水準点(海抜9.87m)あり。
古事記「尾張にただに向かへる尾津の前なる一つ松 吾兄をひとつ松 人にありせば太刀佩けましを 衣著せましを 一つ松吾兄を」松を讃えると同時に、この地に住む人の気持ちを讃えた?大和政権の勢力下に?
2020年02月08日 11:40撮影 by iPhone 7, Apple
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古事記「尾張にただに向かへる尾津の前なる一つ松 吾兄をひとつ松 人にありせば太刀佩けましを 衣著せましを 一つ松吾兄を」松を讃えると同時に、この地に住む人の気持ちを讃えた?大和政権の勢力下に?
「尾津崎」の文字。尾津浜は尾張に向かう港。北勢地方の交通拠点。尾津=渡津=戸津、江津=榎撫(えなつ)駅?川向こう尾張の津島・佐屋=馬津(まつ)駅
2020年02月08日 11:41撮影 by iPhone 7, Apple
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「尾津崎」の文字。尾津浜は尾張に向かう港。北勢地方の交通拠点。尾津=渡津=戸津、江津=榎撫(えなつ)駅?川向こう尾張の津島・佐屋=馬津(まつ)駅
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<パノラマ・尾津神社より北>多度山手前の丘陵が小山廃寺など遺跡。右手奥が約4劼罵斐川。8世紀に交通制度「駅制」確立。道整備で駅路沿いに30里毎に駅家(うまや)設置。政府支給の駅鈴持参者のみ使用可能。
2020年02月08日 11:41撮影 by iPhone 7, Apple
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<パノラマ・尾津神社より北>多度山手前の丘陵が小山廃寺など遺跡。右手奥が約4劼罵斐川。8世紀に交通制度「駅制」確立。道整備で駅路沿いに30里毎に駅家(うまや)設置。政府支給の駅鈴持参者のみ使用可能。
<肱江川左岸より尾津(草薙)神社の小丘森>小丘左手辺りが室町期の御衣野城跡。
2020年02月08日 11:49撮影 by iPhone 7, Apple
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<肱江川左岸より尾津(草薙)神社の小丘森>小丘左手辺りが室町期の御衣野城跡。
<正面の丘陵=小山廃寺遺跡>飛鳥期。肱江川左岸。南小山廃寺・北小山廃寺。昭和60(1985)年発掘調査で多くの奈良時代丸瓦、平瓦出土。力のある地方豪族関係。
2020年02月08日 11:49撮影 by iPhone 7, Apple
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<正面の丘陵=小山廃寺遺跡>飛鳥期。肱江川左岸。南小山廃寺・北小山廃寺。昭和60(1985)年発掘調査で多くの奈良時代丸瓦、平瓦出土。力のある地方豪族関係。
<小山神社辺り>「6世紀頃の地方豪族墓等の小さな群集墳が散在」「壬申の乱の時、大海人皇子が小山にとどまった?」伝承。小山・天王平の名称起源?「小山」の名は、「小山連」氏族名から?南小山廃寺跡とされる。昭和60年発掘調査。
2020年02月08日 11:53撮影 by iPhone 7, Apple
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<小山神社辺り>「6世紀頃の地方豪族墓等の小さな群集墳が散在」「壬申の乱の時、大海人皇子が小山にとどまった?」伝承。小山・天王平の名称起源?「小山」の名は、「小山連」氏族名から?南小山廃寺跡とされる。昭和60年発掘調査。
<旧多度町役場と多度町図書館>近年丘陵上にできた小山にある新興住宅地横の坂道を上がる。やがて三叉路で桑名市役所多度支所とふるさと多度文学館
2020年02月08日 12:11撮影 by iPhone 7, Apple
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<旧多度町役場と多度町図書館>近年丘陵上にできた小山にある新興住宅地横の坂道を上がる。やがて三叉路で桑名市役所多度支所とふるさと多度文学館
<多度支所北より多度集落と多度山を見る>多度山中腹あたりが中世墓地跡。五輪塔や石仏が山の中に沢山ある。愛宕社あり。多度山へに南からの登山道口。多度川によって削られた細長い盆地状の河川流域。
2020年02月08日 12:13撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度支所北より多度集落と多度山を見る>多度山中腹あたりが中世墓地跡。五輪塔や石仏が山の中に沢山ある。愛宕社あり。多度山へに南からの登山道口。多度川によって削られた細長い盆地状の河川流域。
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<多度川>東向きで柚井方面。
2020年02月08日 12:20撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度川>東向きで柚井方面。
<多度神社参詣道>雄略天皇の5世紀後半創建?社殿背後の多度山が神体山。古代豪族・桑名首=天津彦根命(天照大御神第3子。多度大社祭神。産業開発神。大和朝廷との強い繋がり。神宮寺。神仏習合。
2020年02月08日 12:26撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度神社参詣道>雄略天皇の5世紀後半創建?社殿背後の多度山が神体山。古代豪族・桑名首=天津彦根命(天照大御神第3子。多度大社祭神。産業開発神。大和朝廷との強い繋がり。神宮寺。神仏習合。
<多度神宮寺・宝雲寺>763年。満願禅師が堂建立。郡主・水取氏や美濃県主が造営関与。領地=桑名郡・三重群と尾張国海部郡に跨がる。柚井=有井で井戸や清水に関係か?1553年「多度山の衆僧宝雲寺以下寺院70余。寺内僧侶は300余」
2020年02月08日 12:27撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度神宮寺・宝雲寺>763年。満願禅師が堂建立。郡主・水取氏や美濃県主が造営関与。領地=桑名郡・三重群と尾張国海部郡に跨がる。柚井=有井で井戸や清水に関係か?1553年「多度山の衆僧宝雲寺以下寺院70余。寺内僧侶は300余」
<紅葉館>多度土産。八壺豆(多度豆)。紅梅焼。柚砂糖漬。多度大社西にある多度峡・八壺渓谷。禊場。夏は天然の冷たいプール。そこからも多度山に登れる。
2020年02月08日 12:27撮影 by iPhone 7, Apple
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<紅葉館>多度土産。八壺豆(多度豆)。紅梅焼。柚砂糖漬。多度大社西にある多度峡・八壺渓谷。禊場。夏は天然の冷たいプール。そこからも多度山に登れる。
<多度神社>上げ馬神事の急坂を見る。坂にあるのは神事見物のための建物。最近は動物愛護と神事の関係が難しいよう。
2020年02月08日 12:28撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度神社>上げ馬神事の急坂を見る。坂にあるのは神事見物のための建物。最近は動物愛護と神事の関係が難しいよう。
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<多度神社・白馬>多度大社に千五百年前から棲む白馬伝説。神は馬に乗り降臨。「馬の行動は神意のあらわれ」と判断。豊作、凶作を占う。毎年5月4日5日多度祭。
2020年02月08日 12:29撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度神社・白馬>多度大社に千五百年前から棲む白馬伝説。神は馬に乗り降臨。「馬の行動は神意のあらわれ」と判断。豊作、凶作を占う。毎年5月4日5日多度祭。
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<多度神社本殿>2社が隣り合う。左が天津彦根命(あまつひこねのみこと)=天照大御神の第三子。右が一目連(いちもくれん)=鍛冶・金属工業と気象の神。一目連信仰は美濃南宮社や桑名との関係が密接。
2020年02月08日 12:31撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度神社本殿>2社が隣り合う。左が天津彦根命(あまつひこねのみこと)=天照大御神の第三子。右が一目連(いちもくれん)=鍛冶・金属工業と気象の神。一目連信仰は美濃南宮社や桑名との関係が密接。
<芭蕉句碑>本殿前「宮人よ 我が名を散らせ 落葉川」芭蕉元禄2年(1689)
2020年02月08日 12:35撮影 by iPhone 7, Apple
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<芭蕉句碑>本殿前「宮人よ 我が名を散らせ 落葉川」芭蕉元禄2年(1689)
<多度観音堂><多度神宮寺><宝雲寺>国重要文化財。「多度神宮寺伽藍縁起並資材帳(801)」「金銅五鈷鈴」「銅鏡30面」(平安期)905年。「宝雲寺を以て伊勢国准国分寺に」
2020年02月08日 12:38撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度観音堂><多度神宮寺><宝雲寺>国重要文化財。「多度神宮寺伽藍縁起並資材帳(801)」「金銅五鈷鈴」「銅鏡30面」(平安期)905年。「宝雲寺を以て伊勢国准国分寺に」
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<梵鐘>宝永2年(1705)に加賀の鋳造師・平井与兵衛製作。
2020年02月08日 12:39撮影 by iPhone 7, Apple
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<梵鐘>宝永2年(1705)に加賀の鋳造師・平井与兵衛製作。
<多度観音堂>十一面観世音(寄木造)と千手観世音。平安前期の作。桑名有形文化財。観音堂で祀る。洪水などにあうが再建。富田善教寺「作善日記」に参拝記述?
2020年02月08日 12:39撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度観音堂>十一面観世音(寄木造)と千手観世音。平安前期の作。桑名有形文化財。観音堂で祀る。洪水などにあうが再建。富田善教寺「作善日記」に参拝記述?
元亀2年(1571)美濃街道より信長軍・柴田勝家・氏家常陸介侵攻・全焼。桑名藩主。本多忠勝は多度神社復興。松平定勝藩主1653年大修理。
2020年02月08日 12:42撮影 by iPhone 7, Apple
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元亀2年(1571)美濃街道より信長軍・柴田勝家・氏家常陸介侵攻・全焼。桑名藩主。本多忠勝は多度神社復興。松平定勝藩主1653年大修理。
<道路元標石柱>津市まで15里14町。
2020年02月08日 12:43撮影 by iPhone 7, Apple
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<道路元標石柱>津市まで15里14町。
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<法雲寺>多度大社別当。良心法師が宝雲寺を再興。観音堂東に「浄土真宗法雲寺」。多度山中腹の愛宕神社東「別当法雲寺跡」など。多度神宮寺・宝雲寺を継承。
2020年02月08日 12:45撮影 by iPhone 7, Apple
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<法雲寺>多度大社別当。良心法師が宝雲寺を再興。観音堂東に「浄土真宗法雲寺」。多度山中腹の愛宕神社東「別当法雲寺跡」など。多度神宮寺・宝雲寺を継承。
<みかんあちこちで売ってます>柚井城跡。多度山南斜面。土塁一部残る。標高80m。梶田左馬助・刑部丞から西松要人居城。信長配下の柴田勝家らに攻撃され滅亡。
2020年02月08日 12:47撮影 by iPhone 7, Apple
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<みかんあちこちで売ってます>柚井城跡。多度山南斜面。土塁一部残る。標高80m。梶田左馬助・刑部丞から西松要人居城。信長配下の柴田勝家らに攻撃され滅亡。
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<地蔵堂>室町末期〜江戸初期に都で製作された地蔵。片足を組んだ半跏像。江戸時代から柚井の地で延命地蔵として信仰を集める。
2020年02月08日 12:50撮影 by iPhone 7, Apple
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<地蔵堂>室町末期〜江戸初期に都で製作された地蔵。片足を組んだ半跏像。江戸時代から柚井の地で延命地蔵として信仰を集める。
<多度参詣道にて>桓武平氏・平貞盛子・維衡を祖とする伊勢平氏。多度神宮寺を氏寺にして、交通要衝地を拠点に伊賀・尾張に勢力拡大。やがて朝廷諸衛官人・検非違使・院北面・近臣として京で活躍。安濃津の平忠盛(清盛父)などを生む。
2020年02月08日 12:52撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度参詣道にて>桓武平氏・平貞盛子・維衡を祖とする伊勢平氏。多度神宮寺を氏寺にして、交通要衝地を拠点に伊賀・尾張に勢力拡大。やがて朝廷諸衛官人・検非違使・院北面・近臣として京で活躍。安濃津の平忠盛(清盛父)などを生む。
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<土産物屋・桔梗屋>趣のある建物だったが、もう営業はしていないようだ。伊勢平氏。平清綱=富津二郎は戸津に住み、子孫は桑名に住居。後に12C後期には発展した揖斐川沿いの香取湊は源氏家来・大井兵三次郎支配。
2020年02月08日 12:52撮影 by iPhone 7, Apple
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<土産物屋・桔梗屋>趣のある建物だったが、もう営業はしていないようだ。伊勢平氏。平清綱=富津二郎は戸津に住み、子孫は桑名に住居。後に12C後期には発展した揖斐川沿いの香取湊は源氏家来・大井兵三次郎支配。
<桔梗屋横にある鳥居>多度山南山麓を上ると中腹の愛宕社に出て、そこから多度山山頂へのハイキングコースに繋がる。
2020年02月08日 12:53撮影 by iPhone 7, Apple
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<桔梗屋横にある鳥居>多度山南山麓を上ると中腹の愛宕社に出て、そこから多度山山頂へのハイキングコースに繋がる。
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<宮川清め池>多度川伏流水が湧く。江戸期はここで禊ぎを行い、手を洗い、口を濯いだよう。
2020年02月08日 12:54撮影 by iPhone 7, Apple
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<宮川清め池>多度川伏流水が湧く。江戸期はここで禊ぎを行い、手を洗い、口を濯いだよう。
<宮川清め池常夜灯と火の見櫓>多度山中腹・愛宕神社「愛宕の火祭り」火の神。松明担いで山に上がる。火祭り〜虫送り。
2020年02月08日 12:54撮影 by iPhone 7, Apple
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<宮川清め池常夜灯と火の見櫓>多度山中腹・愛宕神社「愛宕の火祭り」火の神。松明担いで山に上がる。火祭り〜虫送り。
<大黒屋>江戸時代中期。多度大社参詣者の旅籠として創業。幕末に木曽三川で獲れる天然鯉使用の鯉料理専門店。鯉料理は好き嫌いが激しいが江戸期はご馳走。
2020年02月08日 12:54撮影 by iPhone 7, Apple
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<大黒屋>江戸時代中期。多度大社参詣者の旅籠として創業。幕末に木曽三川で獲れる天然鯉使用の鯉料理専門店。鯉料理は好き嫌いが激しいが江戸期はご馳走。
<大黒屋>店舗は江戸時代当時の旅館建物使用。古い広く美しい日本庭園や趣のある和室で、多度山を見ながらのんびり食事できる。鯉は清流で数か月間、餌を与えず飼育。特有の臭み消す。
2020年02月08日 12:55撮影 by iPhone 7, Apple
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<大黒屋>店舗は江戸時代当時の旅館建物使用。古い広く美しい日本庭園や趣のある和室で、多度山を見ながらのんびり食事できる。鯉は清流で数か月間、餌を与えず飼育。特有の臭み消す。
<大黒屋>秋篠宮ほか明治期より今に到るまで有名人・政治家・スポーツマン・俳優など多数来店。テレビロケ地として活用。鯉濃や鯉の洗いなどコース料理。3度ほど訪問して食べたが、大名になった気分だった。
2020年02月08日 12:55撮影 by iPhone 7, Apple
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<大黒屋>秋篠宮ほか明治期より今に到るまで有名人・政治家・スポーツマン・俳優など多数来店。テレビロケ地として活用。鯉濃や鯉の洗いなどコース料理。3度ほど訪問して食べたが、大名になった気分だった。
<多度山東尾根・柚井を見る>古生層第三期地質。ミカンや柿栽培にあう。明治より作付け栽培増加。多度ミカンは晩生。
2020年02月08日 12:58撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度山東尾根・柚井を見る>古生層第三期地質。ミカンや柿栽培にあう。明治より作付け栽培増加。多度ミカンは晩生。
<大久保古墳群1号〜16号>小さな円墳(直径約10m)が点在。多度山東尾根先端のこの辺りから柚井辺りまでと南の多度駅・多度中小学校周辺が古墳時代の交易や街道の中心地か?榎撫駅?桑名郡家?石占頓宮?の可能性も?
2020年02月08日 13:07撮影 by iPhone 7, Apple
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<大久保古墳群1号〜16号>小さな円墳(直径約10m)が点在。多度山東尾根先端のこの辺りから柚井辺りまでと南の多度駅・多度中小学校周辺が古墳時代の交易や街道の中心地か?榎撫駅?桑名郡家?石占頓宮?の可能性も?
<宇賀神社>「多度東宮」宇賀稲荷神、山の神、海神、火神、薬神などを祀る。濃尾平野を見下ろす場所。多くの古墳や遺跡。「シイの宮」樹齢三百年以上のコジイなどの巨木あり。
2020年02月08日 13:08撮影 by iPhone 7, Apple
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<宇賀神社>「多度東宮」宇賀稲荷神、山の神、海神、火神、薬神などを祀る。濃尾平野を見下ろす場所。多くの古墳や遺跡。「シイの宮」樹齢三百年以上のコジイなどの巨木あり。
<宇賀神社>宇賀神社古墳1号〜3号。1号墳は前方後円墳で後円直径が約17m。神社は多度山登山口に。
2020年02月08日 13:10撮影 by iPhone 7, Apple
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<宇賀神社>宇賀神社古墳1号〜3号。1号墳は前方後円墳で後円直径が約17m。神社は多度山登山口に。
<三重・岐阜県境へ上り坂続く美濃街道と柚井集落>「湯沐邑」場所は?美濃?伊勢?多品治、田中足麻呂?
2020年02月08日 13:16撮影 by iPhone 7, Apple
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<三重・岐阜県境へ上り坂続く美濃街道と柚井集落>「湯沐邑」場所は?美濃?伊勢?多品治、田中足麻呂?
<三重・岐阜県境>美濃国安八麿郡(あはちまぐん)=岐阜県安八郡・大垣市・揖斐郡・池田。大海人皇子の私領地で「湯沐邑」。皇子に米や農産品を供給。食糧だけでなく、大海人皇子を支援する地域集団?
2020年02月08日 13:20撮影 by iPhone 7, Apple
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<三重・岐阜県境>美濃国安八麿郡(あはちまぐん)=岐阜県安八郡・大垣市・揖斐郡・池田。大海人皇子の私領地で「湯沐邑」。皇子に米や農産品を供給。食糧だけでなく、大海人皇子を支援する地域集団?
<境橋にて「柚井泥炭層遺跡>。伊東富太郎発見。「長年大宝」(848年鋳造貨幣)。墨書「大富」「大善」須恵器。「桜樹郷」墨書木簡。桜樹郷は美濃国石津郡?日本で最初に発見された木簡。県有形文化財。
2020年02月08日 13:33撮影 by iPhone 7, Apple
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<境橋にて「柚井泥炭層遺跡>。伊東富太郎発見。「長年大宝」(848年鋳造貨幣)。墨書「大富」「大善」須恵器。「桜樹郷」墨書木簡。桜樹郷は美濃国石津郡?日本で最初に発見された木簡。県有形文化財。
<岐阜県南濃町境集落・養老線と258号線西より>多度山を北東より眺める。尾根左裾野が一の谷遺跡。尾根右奥は石津御岳。見る方向により多度山雰囲気変化。東からの多度は急傾斜で雄々しい。
2020年02月08日 13:35撮影 by iPhone 7, Apple
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<岐阜県南濃町境集落・養老線と258号線西より>多度山を北東より眺める。尾根左裾野が一の谷遺跡。尾根右奥は石津御岳。見る方向により多度山雰囲気変化。東からの多度は急傾斜で雄々しい。
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<柚井・一の谷遺跡・古墳群方面>多度山東斜面の山麓辺り。縄文〜古墳〜鎌倉期遺跡・須恵器、灰釉陶器、山茶碗など出土。下の大地は往古は海で、多度山山麓の柚井は岬状の場所?
2020年02月08日 13:38撮影 by iPhone 7, Apple
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<柚井・一の谷遺跡・古墳群方面>多度山東斜面の山麓辺り。縄文〜古墳〜鎌倉期遺跡・須恵器、灰釉陶器、山茶碗など出土。下の大地は往古は海で、多度山山麓の柚井は岬状の場所?
県境となっている山除川支流。上は258号線。
2020年02月08日 13:42撮影 by iPhone 7, Apple
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県境となっている山除川支流。上は258号線。
<養老線横での県境と桑名市柚井標識>線路右がNTN工場。
2020年02月08日 13:42撮影 by iPhone 7, Apple
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<養老線横での県境と桑名市柚井標識>線路右がNTN工場。
<中央奥に木曽三川公園の展望塔を見る>ここから揖斐川まで直線で約2辧6欧蕕往古はここまで河川。
2020年02月08日 13:46撮影 by iPhone 7, Apple
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<中央奥に木曽三川公園の展望塔を見る>ここから揖斐川まで直線で約2辧6欧蕕往古はここまで河川。
<美濃街道・多度川上の小橋より多度山と山麓の柚井>多度山は三輪山のような神体山で神社信仰の本体?しかしながら登山は変化なくやや味気ない。まあ尾張・美濃・木曽三川の眺めはよいが・・。
2020年02月08日 13:58撮影 by iPhone 7, Apple
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<美濃街道・多度川上の小橋より多度山と山麓の柚井>多度山は三輪山のような神体山で神社信仰の本体?しかしながら登山は変化なくやや味気ない。まあ尾張・美濃・木曽三川の眺めはよいが・・。
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<小橋より東を見て多度川>右森は戸津・尾津神社。約3匆爾襪藩斐川。揖斐川と長良川間の中堤に宝暦治水記念碑。平田靱負ほか薩摩義士の墓24基は桑名・北寺町・海蔵寺。「住み馴れし里もいまさら名残りにて立ちぞわづらふ美濃の大牧」
2020年02月08日 13:58撮影 by iPhone 7, Apple
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<小橋より東を見て多度川>右森は戸津・尾津神社。約3匆爾襪藩斐川。揖斐川と長良川間の中堤に宝暦治水記念碑。平田靱負ほか薩摩義士の墓24基は桑名・北寺町・海蔵寺。「住み馴れし里もいまさら名残りにて立ちぞわづらふ美濃の大牧」
<戸津・尾津神社>道は多度川と共に右(南)折れして湊町だった多度町香取集落を進み、肱江川と合流して揖斐川へ落ちる。
2020年02月08日 14:00撮影 by iPhone 7, Apple
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<戸津・尾津神社>道は多度川と共に右(南)折れして湊町だった多度町香取集落を進み、肱江川と合流して揖斐川へ落ちる。
<戸津・尾津神社>元は「八幡社」。50年前に小社を造り尾津神社として合祀?
2020年02月08日 14:01撮影 by iPhone 7, Apple
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<戸津・尾津神社>元は「八幡社」。50年前に小社を造り尾津神社として合祀?
<美濃街道と多度神社道>左折れすると美濃街道。直進すると養老線を潜り、多度神社参詣道へ。
2020年02月08日 14:03撮影 by iPhone 7, Apple
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<美濃街道と多度神社道>左折れすると美濃街道。直進すると養老線を潜り、多度神社参詣道へ。
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<小山・尾津神社>多度駅から東に折れ、養老線を潜ったすぐ右(南)。尾津神社は3つあるが、この神社は延喜式内社で、あとの2つは論社(式内社の候補社)。
2020年02月08日 14:05撮影 by iPhone 7, Apple
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<小山・尾津神社>多度駅から東に折れ、養老線を潜ったすぐ右(南)。尾津神社は3つあるが、この神社は延喜式内社で、あとの2つは論社(式内社の候補社)。
<小山・尾津神社境内>多度駅から養老線を挟んですぐ東。天王平。尾張への交通要衝。日本武尊子「足鏡別王」との関係?しかし、何もないさっぱりした社。
2020年02月08日 14:05撮影 by iPhone 7, Apple
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<小山・尾津神社境内>多度駅から養老線を挟んですぐ東。天王平。尾張への交通要衝。日本武尊子「足鏡別王」との関係?しかし、何もないさっぱりした社。
<長屋門のある屋敷>旧戸津村庄屋の旧宅。近くに「かしらこ塚」あり。前述の伊勢平氏、平清衡=富津二郎は戸津に住み、水軍の将として有名。
2020年02月08日 14:10撮影 by iPhone 7, Apple
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<長屋門のある屋敷>旧戸津村庄屋の旧宅。近くに「かしらこ塚」あり。前述の伊勢平氏、平清衡=富津二郎は戸津に住み、水軍の将として有名。
<戸津集落より多度神社大鳥居を見る>天王平遺跡は多度中小学校がから大鳥居周辺まで南北約八百叩東西三百辰糧鷯錣帽い遺跡。竪穴建物跡63棟、堀立建物跡21棟。
2020年02月08日 14:14撮影 by iPhone 7, Apple
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<戸津集落より多度神社大鳥居を見る>天王平遺跡は多度中小学校がから大鳥居周辺まで南北約八百叩東西三百辰糧鷯錣帽い遺跡。竪穴建物跡63棟、堀立建物跡21棟。
<街道から左(東)は往古は海>右奥の森が「舟着社」街道の左までが川で街道は古代堤防の役割を果たしていた。
2020年02月08日 14:17撮影 by iPhone 7, Apple
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<街道から左(東)は往古は海>右奥の森が「舟着社」街道の左までが川で街道は古代堤防の役割を果たしていた。
<舟着社>この神社のすぐ東が昔は海浜か河原。5月多度大社上げ馬神事で3基の神輿が祀られる御旅所となる。海神を祀る?
2020年02月08日 14:20撮影 by iPhone 7, Apple
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<舟着社>この神社のすぐ東が昔は海浜か河原。5月多度大社上げ馬神事で3基の神輿が祀られる御旅所となる。海神を祀る?
<小山・舟着社より天王平・尾津平方面>古墳〜鎌倉期。土師器、須恵器、灰釉陶器、山茶碗、青磁、土馬等出土。
2020年02月08日 14:20撮影 by iPhone 7, Apple
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<小山・舟着社より天王平・尾津平方面>古墳〜鎌倉期。土師器、須恵器、灰釉陶器、山茶碗、青磁、土馬等出土。
<小山・船着社>日本武尊がこの地から尾張に向け船出した伝説。一目連大神が度会郡山田郷から舟で到着?小字、尾津浜、尾津崎。
2020年02月08日 14:21撮影 by iPhone 7, Apple
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<小山・船着社>日本武尊がこの地から尾張に向け船出した伝説。一目連大神が度会郡山田郷から舟で到着?小字、尾津浜、尾津崎。
<菜の花と多度山>山頂から右(東)に落ちる尾根の山麓が小山・天王平。
2020年02月08日 14:27撮影 by iPhone 7, Apple
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<菜の花と多度山>山頂から右(東)に落ちる尾根の山麓が小山・天王平。
1
<肱江川と野代集落>集落から高い川堤防に上る。急坂で苦労。
2020年02月08日 14:34撮影 by iPhone 7, Apple
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<肱江川と野代集落>集落から高い川堤防に上る。急坂で苦労。
<揖斐川に向かって東に流れる肱江川>やがて中須集落で多度川と合流して揖斐川に。
2020年02月08日 14:35撮影 by iPhone 7, Apple
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<揖斐川に向かって東に流れる肱江川>やがて中須集落で多度川と合流して揖斐川に。
1
<多度マンホール>梅に鶯。
2020年02月08日 14:38撮影 by iPhone 7, Apple
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<多度マンホール>梅に鶯。
2
<野志里(のしり)神社>祭神=天照大御神。大和王権影響力が増大、伊勢神宮との関連。皇大神宮が伊勢に鎮座する以前、天照大神を一時的に祀っていた野代宮伝承地の一つ。
2020年02月08日 14:41撮影 by iPhone 7, Apple
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<野志里(のしり)神社>祭神=天照大御神。大和王権影響力が増大、伊勢神宮との関連。皇大神宮が伊勢に鎮座する以前、天照大神を一時的に祀っていた野代宮伝承地の一つ。
<野志里神社>倭姫命。近江〜美濃尾張〜伊勢の神宮探す旅。美濃伊久良〜尾張中島宮。舟で野代宮到着。ここで4年。太田命が「五十鈴の川上に霊地あり」の言葉で伊勢に移動。
2020年02月08日 14:42撮影 by iPhone 7, Apple
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<野志里神社>倭姫命。近江〜美濃尾張〜伊勢の神宮探す旅。美濃伊久良〜尾張中島宮。舟で野代宮到着。ここで4年。太田命が「五十鈴の川上に霊地あり」の言葉で伊勢に移動。
<千人塚>本殿北西。長島一向一揆の戦死者や関ヶ原合戦で美濃街道を敗走してこの付近で亡くなった戦死者を葬る。
2020年02月08日 14:42撮影 by iPhone 7, Apple
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<千人塚>本殿北西。長島一向一揆の戦死者や関ヶ原合戦で美濃街道を敗走してこの付近で亡くなった戦死者を葬る。
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<野志里(のしり)神社>常夜灯と大楠木。幹周=5. 5m、樹高=22m。神社は美濃街道を挟むように建っている。「いもち祭」7月25日。神輿・大太鼓・鉦・松明。
2020年02月08日 14:42撮影 by iPhone 7, Apple
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<野志里(のしり)神社>常夜灯と大楠木。幹周=5. 5m、樹高=22m。神社は美濃街道を挟むように建っている。「いもち祭」7月25日。神輿・大太鼓・鉦・松明。
<道標・御衣野・員弁街道>延柳寺横を西の御衣野に養老線を越えて向かう旧街道。再び下野代に来た。駅到着3分前に桑名行き養老線通過。寒空に30分待ち桑名に戻る。本日はこれまで。
2020年02月08日 14:46撮影 by iPhone 7, Apple
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<道標・御衣野・員弁街道>延柳寺横を西の御衣野に養老線を越えて向かう旧街道。再び下野代に来た。駅到着3分前に桑名行き養老線通過。寒空に30分待ち桑名に戻る。本日はこれまで。
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撮影機材:

感想/記録

大矢知から多度のルートを考えると、桑名郡家の縣神社説が邪魔。その時々で街道ルートは変化したのかもしれないが、当時は思ったより海の水位は高く、内陸部丘陵を通過したのかも。そして、壬申の乱の桑名郡家や聖武帝の石占頓宮は「桑名」じゃなくて「多度周辺」だったのかも。まあ、桑名も多度も古代から湊町なんだが、尾張や関ヶ原に向かうのは多度が近いし、多度山は海と川と陸を旅するためのランドマークでもあったはず。
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