記録ID: 2277283
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ハイキング
近畿
古墳巡り(36)南山城遺跡の恭仁京と椿井大塚古墳
2020年03月25日(水) [日帰り]
体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 00:58
- 距離
- 2.1km
- 登り
- 20m
- 下り
- 20m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 1:37
- 休憩
- 0:02
- 合計
- 1:39
山城の遺跡や古墳はたくさんあるが、歩いて散策するには実に不便なところ。家族に車で案内を頼んだ。
千両岩古墳群は山城郷土資料館の背後にある古墳群。そこへは車。
恭仁京跡地へも木津川添いに車で移動。
最後は椿井大塚古墳へも車で移動
GPSの距離表示は正確ではない
千両岩古墳群は山城郷土資料館の背後にある古墳群。そこへは車。
恭仁京跡地へも木津川添いに車で移動。
最後は椿井大塚古墳へも車で移動
GPSの距離表示は正確ではない
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
天平12年(740年)聖武天皇は平城京から恭仁京に遷都した。天平16年(744年)には難波宮に遷都することになった。恭仁京はわずか3年余の都でしかなかった。天平17年(745年)には平城京に戻った.
恭仁京はわずか3年余の都であったので幻の都と言われていたが戦後発掘され平城京の3分の1の広さの都があったことが明らかとなった。
それにしても、聖武天皇の気まぐれには周りの家臣たちも困り、当時の人民が疲弊したこともあきらかであろう。大仏を建立するほどの信仰心厚い天皇と中学の歴史で学んだが、真実は気まぐれ為政者だったのかも知れない。
椿井大塚古墳は全長175m、後円部直径110m高さ20mの3世紀後半築造の前方後円墳。箸墓古墳より少し後の山城地域のリーダーの王の古墳と思われる。1953年のJRの法面工事で竪穴式石棺内から33面の三角神獣鏡が出土したことで全国的にも有名になった古墳である。
しかし、民家が古墳の上に建っており、更に後円墳の真ん中をJR奈良線が通行している悲しい、ずたずたの古墳である。
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