〈大田原マラソン〉過去データ
- GPS
- 04:27
- 距離
- 43.0km
- 登り
- 4m
- 下り
- 0m
コースタイム
- 山行
- 4:01
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:01
天候 | ☀ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年11月の天気図 |
アクセス | |
その他周辺情報 | ジョグノートより、記録移設 |
写真
感想
〈最終関門の先にあったもの〉 〜前半省略〜 後半の登り坂で、右の脹脛が攣りかかる。速度を落としだましながら30kmを通過する。 タイムは「2時間46分」3年前の大会とほぼ同タイムだった。 第3関門(33.3km)地点を関門閉鎖5分前に通過。ここから最終関門(38.3km)までが勝負どころとなる。 このあたりから気持ちの中で余裕がなくなり始めていた。 最終関門の閉鎖まであと何キロで、何分なのか?考えることが出来なくなっていた。 最期の登り坂で、沿道の人達が「はやく〜」と前方に目を向けながら叫んでいる。 周りのランナー達も腕時計と前方の関門を見比べながらスピードを上げている。 どうやら関門閉鎖まで時間が無いらしい。 毎年のことだから、この雰囲気には慣れていた。 自分もスピードを上げようとしたのですがダメでした。攣りそうになるのです。 となると今の自分にできる事は「関門手前に設置したスペシャルドリンクは取らない。」「脚が攣らないギリギリのところで走り、関門を突破できたら(関門で止められたら)その時に走るのを止めよう。」と決め、脚をすすめる。 「残り時間2分」の声が聞こえてきた。 「あの丘の上の最終関門を、今年こそ突破できるのか?」 「いや、もう関門で吸収されるのだけはごめんだ。絶対に突破したい。」 「この関門を突破しなければならないんだ。」と心の中で叫ぶ・・・ その時、我慢していた右脚が攣りだす。 止まりたい。いや止まったら今までと同じことの繰り返しになる・・ 左脚に重心を置き、右脚をかばいながら最終関門の交差点に到達した。 残り時間1分のところだった・・・ 関門を閉鎖するための黄色いロープを持ったスタッフの位置を確認し、脚を止めた・・・ 脚の筋を伸ばし、沿道のレスキューにスプレーを借り脹脛にかけていると、後方から悲鳴が聞こえてきた。 最終関門が閉鎖されたのである・・・ 関門を突破できなかったランナーと目が合った。 その目を見れば、何を言いたいのかはわかった。 走り出そうとしたが、脹脛が固まりジョグ、いや歩く速度でしか走れなくなっていた。 脚を擦ろうと後ろを見ると、見覚えのある後方監視車にぴったりと後ろにつかれているのに気付いた。 「最期のランナーです。スタッフのみなさんご苦労様。」と拡声器で選挙カーなみに沿道へ投げかけている。 前方に目を向けると、50mくらい先にランナーがふたりいた。 皆、脚もエネルギーも底をつき、ボロボロなランナーたち 何がそこまでして、僕らをゴールまで向わせるのだろう? 左側の沿道からはスタッフ、応援の方や一般市民の方々までが「あと少しだ、頑張れ。」のあたたかい声援を贈ってくれる。 右側の渋滞中の車窓からは、熱い視線を感じた。途中関門で収容された選手を乗せたバスだった。 40km地点から競技場まで20分以上掛かっている。 そんな戦いも終わりに近づいた。 トラックに入ると、宮城の仲間たちが「帰ってきた〜」と歓声を上げるのがわかった・・・ ゴールの白線を越え、振り返り、深々と「感謝」の礼で頭を垂れる。 頭を上げると、晩秋の清々しい那須連峰が目に入ってきた・・・ ----------------------------------------------------------- 〈記録&戦歴〉 ネットタイム 4時間11分31秒 (グロス 4時間12分33秒) 順位 2269位/2270人中 (男子参加者2931名 完走率77%) *被り物をしたランナーが失格したのが-1の理由だと思う。 2011,2012,2013年 3年連続関門突破できずリタイヤ ----------------------------------------------------------- 〈ひとこと〉 こんな市民ランナーがひとりくらい、いても良いだろう・・・
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する