金時山 1212.54m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2003年11月の天気図 |
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コース状況/ 危険箇所等 |
11/21(金) 羽田−小田原―仙石原―金時山―乙女峠―御殿場―富士―厚原(泊) 11/22(土)天城 11/23(日 予備日 11/24(月 福田屋―御岳―惣岳山―岩茸石山―高水山―戦畑―御岳―東京―羽田 |
写真
感想
11/21(金) 去年12月天城山縦走に失敗したので、再挑戦である。今回は裕三の所に泊めてもらい、序でに箱根の金時山、以前から登ってみたいと思っていた高水三山だ。
小田原から箱根へのバスも、ウイークデイのせいか順調に走り、途中大涌谷へ行く道と別れて仙石原へ。バスを降りて少し登った所に登山口がある。
矢倉沢を過ぎると、樹木が低くなり、ガスを含んだ風がまともに吹き付けてくる。
僕の外には誰もいない。頂上に着くと茶屋が2軒あり、近い方に入る。
客は1人もいない。テーブルが数個置かれ、軽食、飲み物のメニュウが張ってある。
売店には登山用の小物や此処の記念品が並んでいる。高年のさっぱりしたおばさんが、この悪天の中よく登って来た、と歓迎して、熱いお茶を出してくれた。
乙女峠からのバス時刻を確かめ、記念品を買って、出発。富士山が間近かに眺められる筈だが、今日はガスがかかっている。下るにつれ、風が弱まり、ガスも時々切れる。
峠の茶屋を覗く。薄暗い土間にテーブルが置かれ、怪しげな(?)男が屯している、という感じである。バス停に急ぐ。
バス停に着くと、富士山が目の前だ。写真を撮りたい。雲が流れて、頂上が姿を見せそうになるが、また厚い雲の塊に隠されてしまう。
富士に着いて裕三に、これからタクシーで行く、と電話する。「工業用水の方の教員団地の近く」、だと告げるが、運ちゃんも場所がはっきりとはわからない。車は、入り組んだ住宅街の緩やかな坂を登って行く。暗闇の中に人が立っている。迎えに出ているのだ。母の法事以来3年ぶりだ。
11/22(土) 裕三が、仕事が休みだから、登山口まで送り迎えすると言う。
百合代さん、絵美ちゃんも一緒だ。今日は晴れて富士山が素晴らしい。
途中淨蓮の滝に立ち寄る。これまで何回か、バスで素通りした所だ。
天城峠を越え、二階滝駐車場に着く。ここから八丁池の方へは定期バス以外は入れない。
天城高原ゴルフ場4時、と約束して別れる。
樹林の中の舗装道路を登って行く。外には高年のカップルだけだ。ツヅラ折の急な所を過ぎて八丁池バス停に着く。
すると張り紙がしてある。崖崩れのため縦走は出来ない、と。折角此処まで登って来たのに、何ということだ。どうしてこれを二階滝駐車場にも張ってくれないのだ。
こんな時こそ携帯が威力を発揮するのだが、仕方ない。引き返して、天城高原ゴルフ場へ4時までに行くしかない。
二階滝駐車場からバスで修善寺へ。適当なバスがなかったので、電車で回って伊東へ。
天城高原ゴルフ場へはタクシーで走る。既に4時を少し過ぎてしまった。
事務所前のバス停、それに隣接している駐車場に裕三はいない。日はとっぷりと暮れ寒くなってきた。事務所の玄関に入り、時々外を窺う。1時間も経ったろう、バス停に出てみると裕三が歩いてくる。これこそ地獄に仏という感じだ。少し下の登山口で待っていたのだ。山の中の、できたばかりという感じの道を一路厚原へ。途中レストランで夕食。
11/23(日) 今日は富士山を見せてくれるという。来たのは薩埵(さった)峠。源平時代の古戦場でもある。山が海岸までせり出し、平地はない。海岸線との間に山を削ったり、トンネルを掘ったりして東海道線、新幹線、東名高速が集中して通っている。此処がやられたら、東海道は分断される。東海道のネックである。これを通して見る富士が素晴らしい、と。
狭い旧道が崖の中腹に付いている。斜面のあちこち、みかん畑である。
残念ながら曇っていて、富士は見られなかった。
引き返して、御殿場まで走ったが、遂に富士は姿を現さなかった。
此処で別れ、電車で東京へ。
福田屋。広さは3畳、トイレ、洗面所は共同。山小屋のことを思えば十分だ。
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