古墳巡り(40)奈良時代の疫病の発掘展示会〜不退寺(不退寺裏山古墳)〜大山守命古墳


- GPS
- 03:42
- 距離
- 8.6km
- 登り
- 37m
- 下り
- 27m
コースタイム
- 山行
- 3:53
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:53
新聞記事に平城宮趾資料館で「古代のいのりー奈良時代の疫病退散ー」と題する展示が開催されていることを知った。
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2020/05/20200515.html
そのついでに、平城京から近くのお寺と古墳を歩いた
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
近鉄新大宮ゴール |
写真
感想
平城京趾資料館の展示会で、奈良時代に疫病が何回も発生していることに驚いた。当時は祟りということで、まじないをしたり、お坊さんに読経をしてもらうだけかと思ったが、当時でも疫病にかかった患者の使った皿なども埋めていることから、大皿などの使用は感染拡大を防ぐことになるという事を知っていたのかと古代人の知恵に関心した。
平城京趾を対角線に歩き「東院庭園」を初めて訪問した
当時の貴族らの庭園を再現した姿を見ることが出来、しばし感動。
平城京の「東院霊園」→不退寺(同時に裏山古墳)に向かって歩く
不退寺は平安初期の在原業平が建立したというお寺。
静かな佇まいは当時の「隠居」した平城天皇の「別荘」とか。
奈良を訪問する人は一度は訪問する価値あるお寺と言える。
裏山古墳は現状墓になっていて古墳の形はない.
不退寺裏山古墳→仁徳天皇の異母兄の「大山守命皇子の墓」も有名ではないが、歩いた。
大山守命皇子は15代の応神天皇の長男であるが、皇太子になれず、謀反をしたが仁徳天皇等に破れ、「ナラ山」に葬られたと記紀にあるらしい。
実在した人物かどうかは不明だが、幕末から明治初期に万世一系の天皇の墓の探索から始まり、天皇の皇后らの墓、皇子の墓を探せという大号令の中で明治10年に治定された墓である。
宮内庁が今も管理しているが考古学的、歴史的な裏付けが出来るのであろうか。
最期にウワナベ古墳(墳丘長270m)は一度訪問したが、きれいな古墳であったので近くまで来たので再度訪問した。
暑かったが新しい知識が入り、老人ボケの勉強になった史蹟と古墳巡りであった。
帰りにプールに行き、傷んだ脚、腰などを約50分ストレッチして、久しぶりに冷酒を300mm飲んだ。美味いこと。この楽しみの為に暑い中を歩いていると家族から言われる。
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