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ハイキング
奥秩父
両神山 ゴ・ドーハンの山旅 お帰りなさい!帝釈天様!
2020年07月05日(日) [日帰り]
- GPS
- --:--
- 距離
- 9.0km
- 登り
- 1,310m
- 下り
- 1,304m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:30
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 5:35
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
・昨夜来の雨の影響で、徒渉の水量が少し多めでした。また、岩場、鎖場は滑りやすかったです。 ・昨年の台風の影響により七滝コースは通行禁止、白藤の滝も控えるように案内がありました。 ・下り間違いやすかった荒沢不動近くのポイントはテープで遮断されていました。 |
その他周辺情報 | ・みどりの村入口から落葉松トンネル方面はまだ通行止めでした。 |
写真
撮影機器:
感想
・秩父の天気予報を見たら傘マークがなかったので久しぶりに秩父の山行にしました。目的地は両神山。今年はすでに1月、4月に登っていますが、消息不明だったあの帝釈天様がお戻りになったということで会いに行きました。
・本日は天気もましてや展望などは全然期待していませんでしたが、思ったよりもいい感じで、そこそこの展望と雲海を楽しむことができました。
・そして何と言っても帝釈天様。本当によくお戻りになりました。ありがとうございました。
・下山後時間があったので大日様つながりで、お気に入りの大日様に会いに行きました。みどりの村から千鹿谷方面に抜ける、今では殆ど人影のない山道の傍らに300年以上も佇んでおられます。みどりの村から1Kちょっとですので、石仏好きのお方は是非会いに行ってあげてください。もちろん晩秋から冬場が適期です。
<7.7追記>
・大日様の台座(を取り囲む石垣)には「當郡日尾村石工黒澤三重郎」とあります。(もしかしたら代違いがあるかもかもしれませんが)この方は札所三十一番にある日本一の石仁王像の一人です。ということはこの石は岩殿沢石の可能性もあるのかな?
・さらにネットの情報ですが、黒澤三重郎はかなり有名な石工の棟梁だったみたいで、放浪の石工藤森吉弥を雇って仁王像を完成させたようです。さらに「黒澤三重郎」は吉弥と組んでいた期間のみ名乗っていたそうです。だとすると大日様と仁王像の三重郎は同一人物と考えられ、さらに空想を飛躍させると吉弥の昨ということもあり得るということでしょうか。年代は江戸末から明治初ということになりますね。
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godohanさん、こんばんは。
早速、両神山に登られましたね。帝釈天様のみならず台座もご覧になられたのですね。
私も発見当時はよくわからなかったのですが、台座の銘文である「先達 極楽院 入山講」の入山講とは、群馬県安中市松井田町入山の講ということがわかりました。先達極楽院とは入山講を組織、統率した宗教者の名と解釈できます。また、入山講との直接的な関係は不明ですが、両神神社(観蔵院)は安中市天照寺の子院ということもあり、西毛地域にも一定の信仰圏を形成していたようです。
帝釈天様をはじめとした両神山中にある数々の石造物は信仰の対象としてはもちろんですが、両神山の貴重な歴史的資料でもあります。大切に後世に伝えたいですね。
montblanc55さん コメントありがとうございます。
さすが、よく御存知ですね。やはり観蔵院でしたか。ということは大日様も観蔵院系の講中の奉納でしょうか。台座の正面下部に講中名がありますが、私には判読できません。ただ「入山」ではないようです。石工は日尾村の方の名がありますが、年代も見つからないので、もし御存知なら教えてくださいませ。
産泰神社や日本武尊像も興味あったのですが、昨日はガスってきたので自重いたしました。
今更感はありますが、両神山がますます興味深くなりました。
godohan
まず、入山講=観蔵院系(当山派)とは断定できないようです。むしろ松井田(中山道沿い)という地理的な要因からは、木曽御岳系の金剛院(本山派)の影響も強いのかなとも思われますが、明言はできません。
さて、大日如来様の銘文については、確かに何かあったことは覚えていますが、記憶が曖昧なのと過去に撮った写真を見ても良くわからなかったです。今手元にある文献で調べますと、金剛院の住持、壽光の「八日見山奉納金請取帳」という史料に「金四両二歩 大日如来 和田山村(高崎市箕輪町和田山)松本定八郎」【慶應元年(1860)か】とあるようで、山頂の大日如来様は、この史料の大日如来を指している可能性があります。(孫引きの知識を駆使した机上の空論なのであくまでも参考までに。)
その辺りについては、いずれ検証しに行きたいと考えていました。
それから産泰神社も両神山修験において重要な場であったことが判り、安産の神様=修験道の擬死再生儀礼(胎内くぐり等)を行う宗教空間であることが指摘できるのかもしれません。
また清滝付近には、前回の探検の他にも一心誠講の聖地があることがわかりました。
調べれば調べるほど深淵なる両神山の信仰史に引き込まれてしまいますが、godohanさんもすでに片脚入ってますね(笑)
早速ありがとうございます。
そうなんですか。ほんと当山派と本山派等修験の世界もいろいろあったみたいでとても興味深いですね。私にはわずかな知識しかありませんので空想?するしかありませんが、それはそれで楽しいものがあります。すでに両脚入っているかも?
これからもいろいろと教えてくださいませ。ありがとうございました!
godohan
montblanc55さん こんばんは!
連日しつこくで申し訳ありません。
あの大日様の台座を囲む石垣?にある石工さんの銘が、札所三十一番の仁王像のお一人と同じなんですよ。石工さんが代々同名を名乗っていたら別人の可能性もありますが・・・
自分では大発見をしたような気分で、ついうれしくなり報告させていただきましたが、そんなこと周知の事実だったとしたら、ごめんなさい。では!
godohan
godohanさんこんばんは。
石工黒沢三重郎については初めて知りましたが、その足跡についてはインターネットでも調べることができ、西御荷鉾山の不動明王などにも三重郎の銘があるようですね。近世末〜明治にかけての人物のようなので、同一人物の可能性が高いと思われます。
それから、三十一番観音院の清浄の滝不動明王と両神山荒沢不動、兜岩石仏群にある行者像や大日如来像も両神山のそれとほぼ同形式なのかなと思いました。地域的に見ても黒沢の系譜と考えられるかも知れませんね。
非常に興味深い発見、ありがとうございました。
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