熊野古道紀伊路4(紀伊内原〜紀州鉄道西御坊駅)


- GPS
- 04:25
- 距離
- 17.5km
- 登り
- 55m
- 下り
- 49m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路 紀州鉄道西御坊まで |
コース状況/ 危険箇所等 |
アスファルト舗装の道ばかり 善童子王子から愛徳山王子までの間と岩内王子から塩屋王子までの間の道標がわかりづらく、迷った。 結局グーグルマップに頼った |
その他周辺情報 | 紀伊内原駅と紀州鉄道西御坊駅、JR御坊駅のそばのいずれにもコンビニあり |
写真
感想
平坦な道だと聞いていたが、緩やかな坂道が多く、結構疲れた。
この道も数多くの伝承が残されていた。
▽吉田八幡神社は、神功皇后が朝鮮半島での戦いの帰りに、この地に船を留めて仮の御所を造った。皇后は出立するにあたり、9人のお供に船を贈り、そのお供たちは漁業を営み、農業を始め、この地に八幡神社を祀ったという。
▽奈良時代になると、九海仕の里に子供が生まれない夫婦がいて、八幡神社にお願いしたところ、子供を授かり、宮子と名付けた。
ところが、宮子に髪は生えず、さらに、魚は獲れなくなった。
魚が獲れない原因は海の底からさす不思議な光だった。
宮子の母渚は「私の前世の報い」と海に飛び込み光るものを手に取ると黄金の観音様で、持ち帰って祀ったという。
この後、大漁となり、渚の夢の中に観音様が現れ、宮子の髪のことを訴えたところ、一晩で美しい髪が生えていたという。
年頃になった宮子は「かみなが姫」と呼ばれるようになり、その長く美しい髪をツバメがくわえて、時の権力者の藤原不比等の屋敷に運んだ。それを見た不比等は都を養女に迎えた。
宮子はその後、文武天皇の妻となり、聖武天皇を産んだという。
宮子は奈良にいても、故郷の観音様を忘れられず、それを知った天皇が九海仕の里に寺を建てるように命じ、そのお寺が「安鎮清姫」で有名な道成寺だという。
▽道成寺のそばに「蛇塚」がある。伝承では、安珍が隠れた鐘に大蛇となって巻きつき、安珍を焼き殺した清姫は、自らもその火で焼け死んだという。それとは別に、清姫は安珍を殺してしまった罪と、蛇になってしまった自分の醜い姿に絶望し、日高川に身を投げて死んだという。この遺骸を引き揚げて埋葬したのが蛇塚だ。
▽岩内王子の近くに、岩内1号古墳がある。戦後になって見つかった古墳だ。
被葬者は、木棺に棺飾金具や全国的にも数少ない漆塗の装飾がされていること、副葬品(銀装大刀)・造営の技法(版築)などから大変身分の高い人物であったと考えられている。
その候補の一人として、658年蘇我赤兄の謀略あるいは中大兄皇子(のちの天智天皇)の陰謀によって、紀伊の牟婁温湯(今の白浜温泉)に滞在中の中大兄皇子のもとに謀反の罪で連行され、処刑された悲劇の皇子「有間皇子」(640〜658年)があげられている。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する