街道歩き 掛川(日坂)から見付


- GPS
- 32:00
- 距離
- 29.8km
- 登り
- 71m
- 下り
- 126m
天候 | 晴れ/風強し |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
1日目:葛川一里塚=掛川城=将門十九首塚=原川 2日目:同心橋=袋井松並木=木原畷=阿多古山一里塚=見付宿=遠江国分寺跡=府八幡宮 |
写真
感想
★晴天に恵まれた今回の旅。が・・・風、いと強し!!このところの寒気団による冷え込みに追い打ちをかけた強風!どちらを向いても向かい風、体感温度は0度以下かも。ということで、寒さとの戦いでありました。
★日本橋、京都、双方から27番目のど真ん中となる袋井宿。記念すべき今回の旅に期待は特大。旅が進むにつれて街道を守り愛する人々に出会い、ふれあう楽しさも増してきました。
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◆掛川城:山内一豊が近世城郭として完成させた。天守は地震で倒壊したが、1994年(平成6年) 市民や地元企業などから10億円の募金を集めて、戦後初となる木造による天守を再建し、掛川のシンボルとなっている。
*大手門 楼門造りの本格的櫓門。
*二の丸御殿 江戸時代後期の建物。公的式典の場、城主の公邸、藩の政庁としての機能を有する。現存する城郭御殿としては貴重なもの。
◆大日本報徳社:二宮尊徳の弟子である岡田佐平治が設立した「遠江国報徳社」を起源としており、「報徳思想」の普及活動などを行っている
◆天然寺:オランダ使節団の一員ケイスベルト・ヘンミィは徳川11代将軍に謁見後長崎への帰途掛川宿で病没。天然寺に葬られた。
◆円満寺蕗の門:かつて掛川城の内堀のほとりに建てられていた。1872年に円満寺の山門として移築された。
◆平将門 十九首塚:東光寺の西にある五輪の塔は940年天慶の乱で滅ぼされた将門以下19名の首が埋められた場所 十九首(じゅうくしょ)は地名になっている。
◆袋井松並木:根元を土盛した江戸期特有の松並木が残っている
◆袋井宿:掛川と見付の間が4里近くあった為、他の宿より15年ほど遅れて新たに追加された。東海道のど真ん中宿といわれている。
◆丸凧保存会:歌川広重の浮世絵で描かれている丸凧を復元し保存、伝承している。子供達への指導も行う他、凧揚げ大会も開催している。
◆木原畷古戦場:大軍を率いて遠江に侵攻した武田信玄は木原に布陣、浜松城を出陣した家康の軍勢と小競り合いとなった。三方ケ原合戦の前哨戦ともいえるもの。
◆三ケ野坂七つ道:東西交通の要衝。鎌倉、江戸、明治、大正の道などが残っている 家康の偵察隊を率いた本多平八郎がこの高台にあった松の木に登り木原の武田軍の状況を視察した時の史跡である「本多平八郎物見の松跡」がある大日堂が頂上にある
◆見付宿:京から東へ下って行くとこの地ではじめて富士山を見ることができたことから「みつける」がその由来といわれている。
◆見付天神社:矢奈比賣(やなひめ)神社 東海随一の学問の大神
*霊犬「悉平太郎」(しっぺいたろう)伝説・・毎年人身御供が行われていた悲しい風習を断ち切るため信濃国から悉平太郎という犬を借り受け怪物を退治し、平和を取り戻したとされる
◆旧見付小学校跡:1875年落成 現存する日本最古の木造疑洋風小学校舎 酒井忠次が家康の窮地を救ったと伝えられる「伝酒井之太鼓」が展示されている
◆遠江国分寺跡:S26の発掘調査で七重の塔をはじめとする奈良東大寺様式の配置が確認され国の特別史跡となった
◆府八幡宮:遠江國國府宮
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