記録ID: 2843983
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ハイキング
近畿
古い風情残る大和田街道(尼崎辰巳橋→大阪難波橋)
2020年12月30日(水) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 03:30
- 距離
- 13.5km
- 登り
- 12m
- 下り
- 4m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
★スタート地点 阪神電鉄本線 大物駅徒歩8分 ★ゴール地点 大阪メトロ 南森町駅徒歩8分など |
コース状況/ 危険箇所等 |
大和田街道は狭義の意味では明治41年12月に西成大橋が竣工し、 大正15年淀川大橋の竣工までの短い間の街道の名称ですが、 それ以前の道筋は元々存在しており大和田道などと呼ばれていました。 新淀川開削や神崎川河口部の流域変化などが原因で 江戸期と明治以降とは随分とルートが違っています。 今回は江戸期のルートを辿ってみました。 街道の性格的には大阪中心部から尼崎へ抜ける道筋で、 尼崎からは中国街道と接続し西国への需要もあったと思われます。 ただ、メインとなるのは専ら便利な中国街道だったようなので、 大和田街道はサブルートの位置づけだったと考えられます。 |
写真
毎度おなじみの辰巳橋。しばらくは尼崎街道と同じ道筋を進みます。この付近は辰巳橋遺跡があるように鎌倉時代から江戸時代にいたる多量の遺物が出土しています。「東大寺兵庫北関入船納帳」には船夫・問屋筋の人が多く住んでおり当時の街道筋の繁栄ぶりがうかがえます。
ここを左。1928年に浅野財閥が設立した尼崎築港株式会社による築港開発がこの付近が今も工業地帯になってる理由の一つです。それ以降、長期に渡って地下水をくみ上げたことによる地盤沈下の影響で周辺はゼロメートル地帯になり大雨や高潮に対し脆弱になってしまっています。
【迂回中】千船駅が見えます。千船駅はかつてあった佃駅と大和田駅を統合して1921年に作られています。統合した理由は佃、大和田のそれぞれに駅を設けては駅間が短かすぎたことが推測されますが、当時は何もない中間点に統合駅が出来たので佃、大和田住民にとってさぞや不便だったことでしょう。
ここを左に曲がって海老江へと進みます。淀川の河口部では数多くの島々あり難波八十島と呼ばれました。海老江(海老洲)はその一つで戦災が少なかったことから今も古い家並みが残っています。
阪神高速の下はかつて明治期に作られた梅田運河があり、大阪駅で降ろした荷物を大阪中心部への運搬路という役目がありました。街道の道筋は不明ですがとりあえずは旧淀川(堂島川)にぶつかるまで直進しました。
装備
個人装備 |
ザック(1)
手ぬぐい(3)
日焼け止め(1)
帽子(1)
サングラス(1)
行動食(2)
ペットボトル(500ml)(1)
カメラ(1)
iPhone(充電器含む)(1)
折り畳み傘(1)
ザックカバー(1)
|
---|
感想
今回の街道はどう歩くか非常に悩んだ街道です。
明治期のルートは今昔マップなどで確認できるのですが、
それ以前となるとルートが複雑で地形も大きく変わっています。
ぶっちゃけ明治期の大和田街道を歩くことにすれば
なんの苦労もなく歩けたわけですがそこは街道ウォーカー。
やはり江戸期のことが気になるものです。
おかげで大和田街道の歴史を深く楽しむことができました。
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