『会津財宝伝説』 高寺山山開き 【会津坂下町】
- GPS
- --:--
- 距離
- 8.5km
- 登り
- 316m
- 下り
- 352m
コースタイム
天候 | 曇り/晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
会津百名山で最も早い山開き ●午前8時より会津坂下町営スキー場で受付 ●午前8時50分、式典開催 ●午前9時30分より登山開始 ●先着500名に記念品(バッチ)をプレゼント ●午前11時30分よりお楽しみ抽選発表会 (会津坂下町の特産品をプレゼント) ●郷土料理「くじら汁」の振る舞い ●4月13日(土)会津自然の家に宿泊可能 (4月7日までに申込) 1泊2食付きの料金:大人2,110円、 中高生1,610円、小学生1,580円 http://www.town.aizubange.fukushima.jp/Members/syougaigakusyuu/contents/PDF/13takatera.pdf |
写真
感想
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『会津仏教発祥・財宝伝説』 〜高寺伝説〜
日本に仏教が伝わったとされた(五三八年)以前
今から一千年以上も昔中国から
青岩(せいがん)と言うえらい偉いお坊さんが
仏教を伝える地を求めて会津にやって来ました。
青岩は会津坂下町のある山を理想の場所として寺を建て
「(せきとうざん)石塔山恵隆寺(えりゅうじ)」と
名づけましたが、山のふもとの村人たちは、
高い所に寺が建ったのでたかてら高寺と言い、
いつしか山の名前が高寺山となりました。
その後、この寺は非常に繁栄し、
高寺山には立派な七堂伽藍が建ちならび並び、
山の所々に三十六坊舎を建て
お坊さんの数は数千名にもなったそうです。
その後、徳一の開いた恵日寺と勢力争いが始まり、
ついに戦火を交えることとなりました。
結果高寺山は敗れ建物は全部焼かれ、
ほとんどのお坊さんは戦死または逃げてしまい、
今は何一つ寺の跡は残っていません。
三十六坊の中には、その後寺として独立し
新たに建てられたのが二十ほどあります。
高寺の昔の面影はなくなってしまいましたが、
村々に伝わるふしぎ不思議な歌があります。
「立てば前 座ればうしろ山吹の黄金千杯
朱千杯 三つ葉うつぎのしたにある。」
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・・ということで、
会津で一番早い山開きに参加いたしました。
何の事前情報ももたずにサラッと歩いてきましたが
帰宅してから検索してみてビックリ!
「財宝あるなら先に言え!」
雪山の重い靴から開放され
規模から判断してザックも無しで歩いた娘さん。
サクサク歩いて先頭で山頂へ!
復路も快調で1時間30分で終了。
楽しく歩けましたよ。 来年も来ようかな。
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