ゴーキョピーク(ネパール)

- GPS
- 368:00
- 距離
- 91.1km
- 登り
- 5,796m
- 下り
- 5,776m
コースタイム
3/16:早朝カトマンドゥ⇒9:30ルクラ⇒11:20パグディン(昼食)⇒14:00ジョルサレ(泊)
3/17:ジョルサレ⇒11:00ナムチェ(泊)
3/18:高度順応のためシャンボチェハイキング、ナムチェ(泊)
3/19:8:00ナムチェ⇒11:50タンボチェ(泊)
3/20:8:00タンボチェ⇒パンボチェ(泊)
3/21:8:10パンボチェ⇒ポルツェ9:35(お茶)⇒12:30ドーレ
3/22:8:20ドーレ⇒10:25マッツェルモ
3/23:7:20マッツェルモ⇒10:40ゴーキョ⇒12:20ゴーキョピーク⇒ゴーキョ(泊)
3/24:5:52ゴーキョ⇒7:15ゴーキョピーク⇒8:40ゴーキョ⇒12:16マッツェルモ⇒ドーレ(泊)
3/25:雪のためドーレに足止め
3/26:8:30ドーレ⇒モンラ12:00(昼食)⇒クムジュン⇒ナムチェ(泊)
3/27〜3/29:日程が余ったため、シャンボチェに滞在
3/30:10:20シャンボチェ⇒ナムチェ⇒13:40チュモア⇒パグディン(泊)
3/31:パグディン⇒ルクラ(泊)
4/1:ルクラ⇒カトマンドゥ
天候 | 晴れ・曇り・雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2003年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
飛行機
カトマンドゥから空路ルクラ。 初日は悪天候でフライトがキャンセルになり、2日目に無事出発できました。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
ルートは分かりやすく、地元の人やトレッカーが多いため、不安なく歩けます。 |
写真
感想
古い記録なのですが、写真の保管に不安があるので、ヤマレコに載せてもらうことにしました。
アンナプルナ地区で1週間ほどトレッキングしてからエベレスト地区に入りました。標高3200mほどのプーンヒルに2回登っていたので、高度順応は平気かな、と思っていましたが、ナムチェの1泊目の夜は動悸がして、口パク金魚の気持ちでした。2泊目は症状なし。やはり高度順応を甘くみてはいけません。
あとは、タンボチェ⇒パンボチェ⇒ドーレ⇒マッチェルモ⇒ゴーキョと、少しずつ標高を上げたので、ひどい高山病には掛かりませんでした。しかし標高4000mを超えた辺りからは、寒さと薄い空気のせいでしょう、眠りが浅くて怖い夢ばかり見ました。ゴーキョピークからエベレストが見えた時には、
「やった!これで帰れる!」
と、心から思い、実際、さっさと下山しました。ここまで来るのに、相当苦労しているんですが、名残はありませんでした。
ゴーキョからゴーキョピークへの登りが、あり得ない苦しさでした。
10歩歩いたら10秒休んで良い、と自分でルールを決めましたが、すぐに10歩歩いたら20秒休む、に改定され、1、2、3、4と頭の中でカウントしながら休むのですが、ハッと気づいたら、128とかをカウントしてて、ああ、2分も休んでいたのか、とビックリ。
【後記】
行程中の2003年3月26日はモン・ラで昼食をしました。そこで日本人の若者と会ったので、記憶を掘り起こして当時のことを書きます。
私が食事を待っているときに彼が来て、「ネパールの食事は少なくて足りないから、大盛りにしてくれるよう頼んでくれませんか」と言ってきました。
・そのくらい言ってあげても良いか
・自分もやっとやっとの英語力でやってるんだよ
という気持ちが半々の私の口から出た言葉は、
「この先も同じことが続くんだから自分で言えた方が良くない?もしムリだったら手伝うから」
彼は「それもそうだな」とつぶやき、食堂のおばちゃんに身振りも使って「(食事を)マウントエベレスト」と説明し、見事通じました。
「やるやん!」と褒めたら嬉しそうに照れてたのを覚えています。
彼はインドの標高0m地点から人力(徒歩、チャリ、ボート)だけでエベレストを目指している途中でした。さらっと書きましたがとてつもないです。今でこそ世の中変な人が大勢いることは知ってますが、当時は「はぁ!?」状態。
前夜泊まったナムチェバザールで、70歳でのエベレスト登頂を目指していた三浦雄一郎氏に食糧を譲ってもらったそうで「本当に沢山もらったから、好きな物を好きなだけあげますよ」と言ってくれました。私が「今後のために、あなたが持っていた方が良いと思うけど、もし荷物が多すぎて困っているのなら貰います」と言うと、彼は少し考えて「自分が持っていきます」と答えました。
彼の食事が運ばれる前に私は出発したので、食事の大盛り加減は未確認のままです。
帰国後彼のブログ等を探してみましたが見つからず。そして5年に1回位の頻度で「あのあんちゃん誰だったのかな、今どうしてるんかな」と思い出し、検索してみるけど分からないの繰り返しでした。そして2024年の年末、三浦氏側から調べてみたら良いんじゃね?と気付き、ついに彼と思われる人の名前が判明しました。
残念ながら彼は生きていませんでした。2012年12月ムルマンスク近郊をチャリで走っているときに事故で命を落としたのです。このニュースは覚えており、半年掛けてユーラシア大陸をはるばるチャリで走ってきて極寒の地で、とてもお気の毒に思ったのですが、まさかあのときの若者だったとは。
モン・ラで30分ほど話をしただけでしたが、とても素直で真っ直ぐな感じの人でした。私しか知らないエピソードなので、ひとまずここに記しておくことにします。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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学生時代にインドからゴーラクプル経由で、カトマンズ、ポカラと周遊しました。
その頃は、山に全然興味がなかったので、スルーしてましたが、この写真見てると再び行きたくなりました。
何時かは行ってみたいな〜
tsuka-ponさん、こんばんは。
私も、ヒマラヤの山歩きは、生きてるうちにもう一度は行きたいと思っています。
シーズンは10月からなので、毎年夏になると、会社辞めたい病を発症します。今年は何とか治りましたが、再発率は高いです。
私は困ったときにしか神様を信じていませんでしたが、真っ白な峰々には神々しさを感じ、敬虔な気持ちになりました。
下界に戻ると、すぐに「本来の自分」を取り戻してしまうのですが
ほんと、いつか行ってみて下さい。
私も、行きたい
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