記録ID: 32122
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ハイキング
栗駒・早池峰
トホレコ(日本縦断徒歩旅行の記録)17・宮古へ。
2006年08月05日(土) 〜
2006年08月08日(火)
- GPS
- --:--
- 距離
- ---km
- 登り
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- 下り
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コースタイム
8/5盛岡〜区界高原
8/6区界高原〜箱石
8/7箱石〜蟇目
8/8蟇目〜宮古
8/6区界高原〜箱石
8/7箱石〜蟇目
8/8蟇目〜宮古
過去天気図(気象庁) | 2006年08月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
8/5 一夜明けて、ひとまず盛岡駅へ。ロッカーに放りこんだままになっているザックちゃんを回収。ロクに眠れなかったので、極度にだるい。都市部では頻繁にネット難民をして遊んだものだが、ちゃんと眠れたためしがない。ついつい、ジョジョとかにはまって、夜更ししてしまうんだよね。なんか、マンガ読まないと損したやうな気分になるんだ。根が貧乏なんだろう。 キオスクのサンドイッチを味気無くついばんで朝食。こんなんで元気が出るかよ。前にも言ったが、比較的大きな町に腰を降ろしてしまうと、抜け出すのが結構大変。しかし今日のうちに区界峠を越えてしまうつもりなので、あんまりのんびりもしていられない。 区界峠は盛岡と宮古の間にある峠。早池峰山に連なる稜線を越えて、三陸海岸を拝もうという寸法である。まことに奇遇な事に、先日弘前で御世話になったUeda氏が地質学の実習で三陸海岸を訪れるというので、八日の夜に宮古で合流するという手筈を整えておいた。民宿をおごってくれるらしい。やったね。いぢましくビスケットなんてかじらずとも済みそうだ。四日かけて宮古まで行けばいいという計算になる。俺様の剛脚を以ってすれば、まあ余裕だろう。 R106に入るとたちどころに郊外の風情になる。道はひたすら、緩やかな上り坂だ。余談だが、緩い登りってのは一番歩き易いと思うよ。 峠に着く頃には陽が傾き始める。標高が高いせいか、真夏だというのに肌寒い。こんなとこを歩いてるのは俺だけだな。夏の夕暮れって切ない感じがするよね。 トンネルから峠を越えて、すこし下ると道の駅がある。裏手に手頃な四阿を見付けて野営地とする。 8/6 道の駅をあとに出発。緩い下り坂がまっすぐに続いている。しばらくはぼんやりした風景の中を歩いていく。下るにつれ徐々に谷が険しくなり、むしろ山深くなっていくやうだ。 平津戸を過ぎるあたりからトンネルが多くなってくる。トンネルの脇には沢沿いに旧道が残っているので、そちらを歩いてみたりする。トンネルのある今となっては通るものとてない道だ。こんな所で出会うのは釣り師ぐらい、と相場が決まっている。釣り師って人種はほんとに物好きな人達だよね。彼らには場所も、曜日も、時間も、関係ないみたいだ。妙な時間に妙な場所で出会ったりする。魚がいる所なら何処にでも現れる。立入禁止とかかんけーねーみたいだ。そんなに楽しいのかね、釣りって。 達曽部沢の二股で川に降りてみる。靴擦れの出来た足が、熱を持って腫れぼったい。沢に足を浸して冷やしたら気持ちが良い。頭上にはJR山田線の鉄橋が掛かっている。今日もよく晴れている。丁度良い淵があったので泳いでみる。世間じゃ夏真っ盛りなわけだし、水泳ぐらい試みたいところだ。僕のパンツは紺のブリーフなので、水着という解釈も成り立つハズよ?しばらく水流に流されたりして遊んだが、すぐに寒くなる。いくら8月とはいえ沢の水は冷たい。 平らな岩の上で体を乾かしながら昼寝。通り過ぎる電車の車窓から見たら、さしずめどんな光景なんだろう。「嗚呼、あんなところにパンツの人が。」とか思うのかね。ま、かんけーねーけど。 さて、あんまりゴロゴロしてると後が大変だよ。泳いだ後って、妙に体がほてってダルいもんだ。ここからそう遠くない所に「やまびこ館」なる道の駅があるハズだ。静かそうな所だったら早めに行動を打ち切ってもいいかな?なんて思ってたんだが、近付くにつれそんな感じでは無いことが分かってくる。スピーカーから迸り出る大音量の演歌が遠くからでもはっきりと聞き取れるようになってくる。一体なんの騒ぎなわけだ?どうやら今日は「民謡のど自慢」的な催しが開かれているやうだ。巨大な駐車場には後から後から車が乗り付けてきて、ガードマンまで動員される騒ぎだ。芝生の広場に設置された会場は、既に詰めかけた見物でごった返している。まさに、世は民謡花盛りって感じである。このへんじゃちょっと有名なイベントなのかもしれない。僕も民謡はそんなに嫌いじゃない。あいや節とか馬子唄とか、結構好きなんだが、このパワーにはついて行けそうにない。やや離れた高台の四阿からしばし見学していたが、ここで寝るのは無理だよね。夜になったら静かになるんだろうか。みんな車だから、酔漢共の坩堝と化すってことはなさそうだけど、別の場所を探した方が無難だな。 道の駅を出るとすぐに、トンネルの手前に橋があって、工事中の規制が張ってある。ガードマンが「歩いては通れません。」みたいなことを言っている。うるせー、俺は歩くんだ、と我儘を申してみた。弱り顔のガードマンを尻目に強行突破を敢行。ごめんね、ガードマン。でも実際なんの問題もなかったでしょ? 箱石あたりで陽が暮れる。川沿いの急斜面を無理矢理切り開いたやうな町で、テント張れそうな平地が見当たらない。川面は車道のはるか下だ。弱ったな、足は痛てえし・・・。バス停に寝ちゃおうかという誘惑に負けそうになったが、もう少しだけ歩いてみる。町外れに史料館みたいな施設を見付けて、その建物の影にこっそりテントを張る。 8/7 国見温泉から盛岡への下りで再発した靴擦れがひどい様相を呈してきた。これまで何度も靴擦れは出来ては潰れしていたので、表面の皮膚はすっかり分厚くなって、爪で弾くとカンカンと涼しげな音を立てる程になっていたのだが、その硬い皮膚の下の方で、どうやら水が溜っているらしい。「靴擦れは潰すな。」なんてことを言う人もいるようだが、僕はつぶす派である。水を抜いて一晩乾かしておけば大体いい感じになるのだが、こう皮膚が厚いと簡単にはいかない。針で穴を開けたぐらいではどうにもならない。かといって水を抜かないと痛くて歩けない。ナイフで表面の皮を削りながら、水の溜っている場所を探すのだが、それが一ヶ所ではない。無理にほじくると肉に刃が突き刺さって悲しい事になる。ちょっとしたオペだな。それにしても足が臭せえ。 そんなわけで今日は旧道をひやかすなんて無駄なことはしないで先を急ぐことにする。立ち寄ったのは「腹帯」ってとこくらいかな。別になんもないとこでしたよ。でもいいんだ、それで。線路沿いに立ってた「腹帯」って看板が素敵でしたよ。 茂市には「リバーサイドパークにいさと」なる施設がある。川の対岸から見たところ、仲々イノセントな風情をかもしているが、いかんせんキャンプ場である。家族連れのオートキャンプなんかにはよさそうな所ではあるが、僕はあいにくとキャンプにお金を払うやうな高尚な趣味は持ち合わせていない。がんばって蟇目までは行くことにする。 蟇目には地図に温泉マークがある。聞いたことない名前だが、現代の秘湯はこういう所にこそ、ひっそりと生き長らえているに違いないと、密かに期待していた温泉である。何かの工場と覚しきちっぽけな建物の脇に「ようこそ蟇目温泉へ」みたいな事を書いた看板が立っている。古ぼけていて、字体にもそこはかと無く風情が漂っている。これは期待出来そうだぜ。山へと続く急な林道を辿っていく。もう日暮れに近く、足も痛かったがこういうガッツはどこからともなく湧いてくるものよ。しかし結構遠いぞ。ほんとにこんなトコに温泉なんてあるのだらうか?確かに看板はあったしなぁ・・・。などと思いつつ小一時間も歩くと、忽然と旅館の建物が現れる。しかしどうも様子が変だ。ヒトの気配がまったくない。もしかして恐怖の「温泉休業」攻撃か?正面にまわってみると、それどころではない。なんと「温泉廃業」攻撃である。湯が枯れてしまったんだろうか?それならそれで看板くらい、撤去するなりバッテンしとくなり、然るべき対処がありそうなものだが。地図だってなんだよ、温泉マークなんて付けやがって。そんなに最近廃業したのか?このガッカリ度は、食べかけのガリガリ君が棒から落ちた、なんてものの比じゃないよ。そんなこと言ってもないものはしょーがない。泣きながら山道を引返す。やはり「秘湯」なんてものは、現代においては神話と化してしまったのだらうか。(ちなみにこの記事を書いている現在、手元にあるリンクルミリオンには温泉記号の記載はない。グーグルマップにもないんだなあ、当り前だけど。タイミングが悪かったんでせうね。) うっかりガスボンベを買い忘れていたことに気づく。売っていそうな店を探して、蟇目駅前をさ迷う。小さな商店を見付けて尋ねたところ、 「うちはガス屋じゃない。」 みたいな事を言われた。 「え?いや、卓上コンロのカートリッジですよ?」 と、食い下がってみた。田舎の商店には大概、ガスボンベくらい置いているものなのだ。EPIみたいな山用のボンベだと手に入りにくいので、僕はイワタニのガスボンベに取り付けられるヘッドを携帯している。 「さぁ?ガソリンスタンドにでも行ってみれば?」 などと取り付く島もない有り様。よく分からないけど、このへんじゃ、ガソリンスタンドでガスボンベ売ってるのか?もおいいや、今夜は残りのガスでなんとかするってことで。 というわけで、しおしおと寝床を探しにかかる。もう、あたりは真っ暗である。しかしどうもこの辺にはイノセントな天場は見当たらない。なんか巧く事が運ばんなあ。結局、駅の裏手の公民館みたいなところでテント設営。ガスの残量からして、米は炊けない。手持ちの食糧もロクなものがない。トマトと胡瓜を煮て食べた。 8/8 お蔭様で、わびしい気分のうちに夜が明けた。ウレシイネ。 朝もトマトと胡瓜を噛じっただけで出発。まあ、どうせ、今夜はUeda氏が民宿を奢ってくれるんだ。まっとうな食事にありつけるんだ。 千徳まで来ると、あたりはすっかり都市の様相を呈してくる。こんな風に、ひと山越えて町に入っていく時の感じって何とも言えないものがある。徒歩旅行をしたことがあるひとなら分かると思うけど。 お昼ごろ宮古の町に到着。まだ時間が早いので、駅のロッカーに荷物をデポして観光にいそしむことにする。取り敢えず、バスに乗って浄土ヶ浜に行ってみる。そうです、歩きじゃないんです。くゎんかう、だからね。バスに乗ってると歩いてる奴らがみんなバカに見えてくるから不思議だ。 季節柄、浄土ヶ浜には色とりどりのビーチパラソルが立ち並んでいる。みんなカップル、もしくは家族連れだ。きれいだけど、男一人で来て楽しいとこじゃない。くゎんかう地ってとこに来ると必ず、この、場違いな感じに悩まされるのだが、どういうわけか、有名なくゎんかう地は素通り出来ないものだ。小一時間ブラついて帰ってくる。 Ueda氏一行と合流するのは夕方という手筈になっているから、まだ相当時間がある。宮古駅近くのゴチャゴチャした繁華街を冷やかしてみる。こういうところをあてどなく彷徨ってる方が落ち着く。もちろん、どの店もまだシャッターを降ろしていて静まり返っているが、一軒だけ開いている店を見付ける。Jazz喫茶である。その名も「Miles 2」。こういう、たまたま見付けた店にぷらっと入ってみるってのも、旅の醍醐味だろう。 カウンターでは常連さんと覚しき女性がアイスコーヒーをすすりつつ、マスターと談笑している。マスターは結構恰幅のいい、ヒゲのオヤジで、海が似合いそうな人である。港を歩いていたら完全に漁師だコーヒーを注ぐ手つきも大雑把で、男のコーヒーって感じだ。しかし、このマスター、よくよく話してみると、実はかつては東京でプロのトランペッターを目指したことがあるんだそうで。ミュージシャンを諦めて宮古に戻って来てからジャズ喫茶を経営するようになったんだそうだ。僕もトランペットを持って旅していることをなどを話すとすっかり意気投合してしまった。 「もう何年も吹いてないんだ。」 なんて言いながら少し聴かせてくれた。ヴィブラートが綺麗で本格的にやっていたことを伺わせる音色だ。僕はルビー・ブラフとか、ジョー・ニューマンみたいな古風な芸風のトランペッターに憧れているのでマスターみたいなスタイルの演奏は好きだ。そういえばここしばらくラッパ吹いてないなぁ。最後に吹いたのは何時だったろうか?多分、田沢湖の湖畔で少し吹いて以来だな。ちょっとセッションでもしてみない?っていうような雰囲気になりかけたが、断ってしまった。トランペットって楽器はそんなに簡単に音の出るものではないのだ。少なくとも僕にとってはとってもむつかしい楽器なのである。でも今にして思うともったいことをしたかな。旅先でセッションする機会なんてそうあるものではないし、いい記念にもなっただろう。 そうこうする内にいい時間になってしまった。このままお酒でも飲みながらわぁわぁやっていたい気分だったが、あまり遅くなるとUeda氏に心配をかける。名残惜しいが、店を後にすることに。最後にマスターがオススメスポットとして「とどヶ崎」というところを教えてくれる。最後の灯台守がいたところで、「喜びも悲しみも幾年月」という古い映画の舞台になったそうである。詳しいことは知らないが、多分、健さんとか吉永早百合とか出てくるんだろう。 「じゃあ、僕、行ってみようかな。」 「でも、やっぱり歩いていくにはちょっと遠いかもしれないよ。」 札幌からここまで歩いて来たことを考えればご近所みたいなもんだ。こういうことってたまにあるんだが、徒歩旅行なんてしたことない人には、ご近所の地名が出てきた方が、スケールが想像し易いようだ。例えば、「札幌からここまで2ヶ月かかりました。」なんて言っても「ふぅん、そう。すごいね。」程度のリアクションしかないような人でも、「隣町から3時間かかりました。」なんて風にいうとむしろびっくりしたりすることがある。不思議なものだ。 結局マスターの御厚意でコーヒーはタダってことにしてもらってしまった。なんか、こういう時嬉しいような切ないような気分になるもんですね。「是非、旅行記を本にしなさい。」というような事を言われたが、どんなもんだらう。ホームページに記事をアップする位なことならすぐ出来るけど、本となると急に敷居が高くなる。もしも撮り貯めた写真を現像してみて出来が良いようなら、写真集の付録として日記風のものを作ってみたいという気持ちはあるのだが。まあ、いずれにせよ、そんなのはずっと先の話だよね。御馳走になったからいう訳ではないが、このお店は、今回の旅行中訪れたいくつかのジャズ喫茶の中でも強く印象に残っている。もう一度訪れるやうなことがあるのだらうか。ないやうな気もする。今こうして記事を書いていても、甘酸っぱいような気分になりますよ。 駅に戻ってUeda氏に連絡をとってみる。既にUeda氏御一行は宮古に到着して宿に入っているらしい。車で迎えに来てもらう。件の宿は宮古から海岸沿いをやや北上して、至って地味な小路を海辺へと降りて行ったところにある。今回の実習に参加している学生さんがネットで見付けてきたんだそうだ。仲々風情のあるところだ。Ueda氏御一行は、学生3名と教授を加えた、五名様である。単位の出るちゃんとした実習なのであって、僕のやうな何処の馬の骨とも分からない輩が紛れ込んでも好いものなのだらうか。 Ueda氏は一風変わった人物である。あまり押しの強いタイプでは無いが、一部に熱烈なファンを持っている。そんな感じの人だ。学生時代には「塩以外の食糧は全て現地調達」とか「自作のストーブで挑む冬山登山」などという極めて個性的な山行を展開していた。興味のある方は北大山岳部部報14号を参照のこと。「プリミティブ山行」と称してかなりおかしな記事が掲載されています。と、さりげなく宣伝。 夜は地魚を中心にした御膳を前にビールなど飲む。極めて真っ当な食事だ。若い人達に、旅のことなど面白可笑しく話して聴かせたりすべき状況なのだろうが、僕はそういった気の利いたことがまるで出来ない。第一、「旅の面白エピソード」みたいな設問自体がハードル高すぎる。ある種のムチャぶりだと思うよ、俺は。というわけで、しれーっとビールばかり飲んでた。すんませんね、ほんと。 |
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