ハセツネ 日本山岳耐久レース


コースタイム
*第一関門の制限時間(22:00)との差は、2:53(余裕!)
浅間峠発(19:22)〜24.7キロ地点・日原峠(19:57)〜笛吹峠(20:59)〜28キロ地点・分岐(21:14)〜30キロ地点(22:05)〜32キロ地点・西原峠(22:27)〜35キロ地点(23:47)〜三頭山(0:26)〜鞘口峠(1:27)〜第二関門・月夜見駐車場(2:49)
*第二関門の制限時間(4:00)との差は、1:11のみ。
月夜見〜47キロ地点・御前山(4:43)〜大ダワ(6:09)〜50キロ地点(6:22)〜大岳山(7:25)〜第三関門・御岳山(8:27)
*第三関門の制限時間(10:00)との差は、1:33。
少し改善、ここまでくれば完走はほぼ大丈夫?とホッと一息
御岳山〜60キロ地点(9:05)〜日の出山(9:18)〜70キロ地点(11:29)〜ゴール(11:44)
*制限時間(13:00)まで、残り時間1:16でした。
記録タイム 22時間44分22秒 第1506位
なお、後日の主催者発表では、出走2211名、うち、完走は1766名、
完走率は80%
天候 | 快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2008年10月の天気図 |
ファイル |
非公開
3477.xls
計画書
(更新時刻:2010/07/28 08:54) |
感想
日本山岳耐久レース報告
東京ハセツネ「ギリ完」クラブ結成!
このたび、東京ハセツネ「ギリ完」クラブを発足いたしました。結成といっても、会員は自分ひとりです。会費も会則も、都岳連や労山加盟のクラブになる予定も全くありません。
自分も会員だ、といえば、その瞬間から会員です。
会の趣旨は、「ハセツネ」=「日本山岳耐久レース(24時間以内)」を、ギリギリで完走した人、ギリギリでの完走をめざす人。ギリギリでいいから、いつか完走してみたいと思っている人。時間的な「ギリギリ」だけではなく、タイム的には余裕あったけど、「体力的」「精神的」にはギリギリ極限だったという人は、たとえ10時間でゴールした人でも、会員の資格があります。会員は、常にギリギリでゴールする「感動」「快感」にこだわり、決して、次回は上位に食い込もうとか、○○時間を切ろうなどと、スケベ心を持ってはいけません。第二関門あたりで、この調子でいったら、第三関門間に合うかなとヒヤヒヤしながら歩を進め、御前山、大ダウ、大岳山あたりの難所を残り時間を逆算しながら通過することが出来る人が最適です。
ギリ完クラブの理想的タイムとしては、20時間から23時間59分59秒。完走者のうちの下から数えて200番以内を常にキープし、ハセツネ完走者の底辺を支え続けねばなりません。
筆者は第16回大会に念願の初出場を果たしました。
以下は、そのギリギリ完走までの記録です。
ハセツネに完走するのは、鍛え上げた特別な人ばかりではありません。普段は走りこんでいなくても、カメのような歩みでも休まず歩き続ける気持ちがあれば、誰でも24時間以内にゴールできます。
2008年10月14日、快晴。Aさんが、男子選手の控え室になっている、五日市小学校体育館にゴール後の仮眠場所スペースを確保してくれていました。館内は、各選手がシュラフ等を広げながら、ヘッドランプや装備のチェックに余念がありません。
主催者から渡された自分のゼッケン4522(この大会では、頭の数字で年代、よって40代とすぐバレル!書いてなくても、30代に見えるわけないか?でも、このシステム、女性選手には大問題?)そして、マイクロチップを靴紐にしっかりセットする。エキスパートのAさんは、黄色いマイ・イエローマイクロチップ。自分は、レース後、ちゃんと返却しないと、あとで請求書が届くのでしょう。
Aさんとは互いの健闘を期して別れ、開会式へ。スタート地点である五日市中学校グラウンドに並びましたが、位置が悪く目の前のパネルは「10時間以内」をめざすエキスパートの中に混じってしまっていました。、気がついた時には既に遅く、抜け出すことができません。号砲が鳴り、その状況のままスタート。力強く走り出す選手たちにはさまれ、とりあえずは、安全な所で退避するまで、周りの流れにのって走るしかなかったのです。
予定外の展開に、しっぺ返しはすぐに来ました。序盤も序盤、数時間も経たないうちに、左足の裏側の靱帯が痛み出しました。
24時間のうちに体が悲鳴をいうことは予期していただけに、筋肉痛、肉離れ等に備え、バンテリンを用意していましたが、このタイミングは早過ぎ。しかも、痛みはひくどころか、徐々に確実に増し、鈍くじんわり襲ってきます。
まだ20数時間走らなければ、ゴールには着かないというのに。
「リタイア」という4文字が頭に浮かぶ。以降、ずっと「リタイア」すべきか、せざるべきか、ギリギリの葛藤をしながら、ゴールまで進むことになります。
それでも日の沈む前は、気力で進めました。登り道は完全に歩く。平坦な所は、やや小走り。下りは、最初は勢いに任せて、しかし、そのうち、足の踏ん張りが効かなくなってきましたが、ここでタイム稼がずどこで稼ぐかと思うと、加速を止めないよう、ギリギリ踏ん張ります。そのうち、本当に膝がいうことを効かなくなってしまいました。さらに、日も暮れ、強力ヘッドランプ(最新型は照度がグンとアップしたと聞き、新調)と手持ちライトのダブルで進むのですが、足元の凹凸や木の根を瞬時に捉えることが難しく、極端にペースが落ちました。それでも第一関門までは、序盤にオーバーペースで走ってしまった貯金で当初の思惑より相当早い通過でした。
第一関門:浅間峠6時間5分56秒。
昨年、出場エントリーに漏れた自分はボランティアスタッフとして参加し、第一関門〜第二関門間の「スイーパー」を経験させてもらいましたが、この大会は、都岳連加盟各山岳会の役職者および会員のボランティアで成立しています。都岳連の最大の主催イベントであり、それぞれの会が会の活動の一環として当初より年間行事の中に組み込んでいる。年にたった一度のことでもあり、加盟している会としては、人数を揃え、上部組織の応援要請に応えるのは義務とはいわないまでも、至極当然でしょう。本年は選手出場のため、スタッフを兼務することはできませんでしたが、当会からのボランティア大会役員(スタッフ)は、この第一関門で出迎えてくれました。
Sさん、Yさん、OYさん、組織委員のOKさん、本当にご苦労様でした。
暖かく労いの言葉をかけていただきましたが、一部の他の選手へのように厚く歓待してはいただけませんでした。厚い接遇を受けていたのはリタイアした選手たち。第一関門の一角は、リタイア者エリアになっており、コーヒーや温かい飲み物がサーブされます。
レースを続行している選手は、他人の助け、食べ物・飲み物の提供を受けた瞬間、失格になります。
私は、忙しく動き回る3人のもとを離れ、暗がりにいき、サポータータイツを下ろし‥‥‥バンテリンを膝裏、太股、ふくろはぎに塗りこみました。
第一関門から、ストック解禁。膝靭帯の痛みには、ストックの使用は願ってもない、お助けモノ。これが「リタイア」までの延命となるのかどうか。
別れを惜しみ、第一関門を後にし、そこからは、最も苦しい三頭山の登りまで、徐々に高度を上げていく道程。常に前後に人が走っていると思いきや、たまたま間が空いてしまうことも稀ではなく、自分の周りが完全な暗闇になることも珍しくありません。それでも遅いペースで歩いていると、いつしか後ろに人の息遣いや足音が感じられ、暗闇が長かった時には、やはりホッとします。道端のあちこちには、睡魔に勝てず、戦意を失った選手が倒れこんで眠っています。そんな「異常な光景」が、そのうち、普通に見えてくるから、不思議な心理状態です。
三頭山への登りでは、何度も足を止め、木の幹に捉まって息を整えました。ようやく避難小屋が見えると、あと少しと気が楽になりました。スイーパーを務めた時は、ここで仮眠して制限時間を過ごしてしまった選手たちを起こし、都民の森へ下山を促したのが、1年前のことです。
鞘口峠では、救護班に背負われている選手2人を見かけました。まだ急傾斜が続く場所で、背負って降ろしていたスタッフはご苦労なことです。靱帯が痛くて歩けないとか、やれやれ自分と同じ痛み。さてどこまで持つことか。リタイアせざるをえないなら、降ろされやすい所で申し出た方が迷惑をかけないで済むのかも。しかし、まだリタイアしなければならない状況ではないです。鞘口峠から月夜見までは断続的に切立った崖の通過があり、疲れと眠気の中、集中力を途切らせないように気を張ります。
第二関門:月夜見駐車場到着タイムは、13時間49分6秒。第一関門までのタイムに比べ、ペースは落ち、貯金の時間は使い果たしました。このまま靱帯の痛みでさらにペースが落ちれば、黄信号のゴールは、赤信号になります。
この地点は唯一主催者からの水補給があります。分量は1,5L。自分は、ハイドレーションに、0,5Lのポカリスウェットと、1Lの水を補給してもらいました。
月夜見を出発。この先、小河内峠前後まで、昨年死亡事故があった危険地帯通過、気が抜けません。さらに、御前山の登り、その後、大ダワの転げ落ちるような下りと、苦しい道程です。その先の大岳山の岩場の上り下りも合わせて、最も辛いエリアとよく言われますが、自分としては、前半の三頭山の方が辛かった。大ダワに下る途中に白々しだして、視界が開けて歩きやすくなったことによる気分的なことも大きいでしょう。
第三関門の手前、明るさと道が平坦になったこともあり、再び小走りでペースを上げることができ、19時間27分26秒で通過。制限時間まで、1時間33分の余裕。ここから3時間から4時間でゴールにいけるはず。この時点で、アクシデントがなければ、制限時間クリアを確信しました。
しかし、元気なうちに少しでも進んでおきたい。御岳の参拝道を早足で駆け抜けました。ここからゴールまでは、唯一、自分が試走していない未知のエリア。でも、ここから先はルート的にも気分的にも、それまでと違って苦しくないから試走は必要ないときいていました。実際そのとおりで、疲れているはずなのにそれまでの50数キロとは気分が違いました。日の出山へ、そして長い金比羅尾根を通り、五日市の町に入ると道ですれ違う町民の方全員が、頑張って!と声をかけてくれました。(遅いので)照れくさいですが、でもとても嬉しかったです。
ゴールでは、選手のAさん、Uさん、ボランティアの持ち場から戻っていた4名、会員外の山の仲間が、出迎えてくれ、感無量でした。
22時間44分22秒。狙ったわけではないのに、不思議なぞろ目の数字の並んだ「完走賞」が今、部屋に飾られています。まずは、「怪我なく完走」という目標、序盤に靱帯を痛めて、足を引き摺って完走したことは、半分達成といえるのか、足の痛みぐらい、怪我に数えないと言われれば、見事達成なのか‥。
いずれにしても、未知の領域を乗り越えた達成感は、数日続くであろう痛みに換え難いものがあります。
(後日談:筋肉痛は翌々日には消えましたが、靭帯痛は1週間抜けませんでした)
走っている最中、そしてゴールした瞬間に思ったことは、「ああ、これでもう走らないで済む」というものでした。走っている最中にはさほど眠くはなかったものの、ゴールしてしまうと、やはり眠い。とにかく、眠りたい。疲れるのは、もう十分‥。
ところが、一晩眠ると、来年もまた出場したい!という気持ちがむくむく強くなりました。ぜひとも、あの空気の中に参加して、また、ギリギリのタイムでいいから完走したい、と。
だから、ハセツネ「ギリ完」クラブ、なのです。
ここまで長文を読んでくれた方、ありがとうございます。少しでも興味を持ったら、出場してみるのも悪くないな、と思ったら、あなたもハセツネ「ギリ完」クラブの会員です。
でも、ハセツネは、ここ数年人気急上昇により、エントリーすること自体、第一関門、です。本年受付開始からわずか一日半で定員に達しました。とにかく、募集情報をこまめにチェックし、受付初日に、できればwebで申込みすることがポイントです。
「ギリ完」クラブの皆さん、来年、五日市中学校でお会いしましょう。
*(注)東京ハセツネ「ギリ完」クラブは、本年都岳連により結成された「東京ハセツネクラブ」とは関係がありません。
また、具体的な活動をしない、いわば各自の心の中で活動する会です。
よって入会希望や問い合わせをいただいても対応いたしかねますので、よろしくお願い申し上げます。
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