彼杵港。元禄年間の石積みが残ります。天候が良ければ船で長崎手前の時津まで行くことが可能で旅程にして1日短縮できたといいます。
0
9/24 8:29
彼杵港。元禄年間の石積みが残ります。天候が良ければ船で長崎手前の時津まで行くことが可能で旅程にして1日短縮できたといいます。
彼杵は鯨が有名で今も鯨肉を売る店を見かけます。交通の要衝でもあったので各地の産物を荷揚げする商業の町としての一面がありました。また、彼杵は街道沿いに古墳が点在していることからも古い時代からの集落でした。
0
9/24 8:28
彼杵は鯨が有名で今も鯨肉を売る店を見かけます。交通の要衝でもあったので各地の産物を荷揚げする商業の町としての一面がありました。また、彼杵は街道沿いに古墳が点在していることからも古い時代からの集落でした。
本町万部塔。明暦に大村市中で多数の隠れキリスタンが発見されます(郡崩れ)この宝塔は仏教徒である証の一つとして建立されました。
0
9/24 8:39
本町万部塔。明暦に大村市中で多数の隠れキリスタンが発見されます(郡崩れ)この宝塔は仏教徒である証の一つとして建立されました。
宿場の外には川が流れ飛び石で渡っていたそうです。
0
9/24 8:40
宿場の外には川が流れ飛び石で渡っていたそうです。
元禄年間の港が出来る前の旧港。日本二十六聖人はここから長崎へ出港し磔の刑に処されます。
0
9/24 8:45
元禄年間の港が出来る前の旧港。日本二十六聖人はここから長崎へ出港し磔の刑に処されます。
耳の石(ほげ石様)。
0
9/24 9:30
耳の石(ほげ石様)。
大村線の踏切を渡ります。
0
9/24 9:34
大村線の踏切を渡ります。
この先で国道と合流します。その手前に旧道の路盤が残っているのですが藪が酷い状態でした(緑がこんもりとした部分)
0
9/24 9:37
この先で国道と合流します。その手前に旧道の路盤が残っているのですが藪が酷い状態でした(緑がこんもりとした部分)
この左手の坂が旧道であるかのように書かれています。これは違いで旧道の入口は少し国道を進んだ先が正解です。
0
9/24 9:45
この左手の坂が旧道であるかのように書かれています。これは違いで旧道の入口は少し国道を進んだ先が正解です。
このスロープが旧道への取り付けとなるのですが藪が酷く進むことが出来ません。
0
9/24 9:46
このスロープが旧道への取り付けとなるのですが藪が酷く進むことが出来ません。
そこで少し先にあったスロープで迂回することにしました。藪は少なめで助かりました。おそらく旧道沿いに設置されたソーラーパネルの点検などでも使われているのでしょう。
0
9/24 9:49
そこで少し先にあったスロープで迂回することにしました。藪は少なめで助かりました。おそらく旧道沿いに設置されたソーラーパネルの点検などでも使われているのでしょう。
暑い時期でこの程度の藪。春先なら楽に歩けるかもしれません。
0
9/24 9:50
暑い時期でこの程度の藪。春先なら楽に歩けるかもしれません。
この付近の旧道(彼杵側)左にソーラーパネルが見えます。この先で旧道が途切れています。
0
9/24 9:52
この付近の旧道(彼杵側)左にソーラーパネルが見えます。この先で旧道が途切れています。
この付近の旧道(大村側)
0
9/24 9:55
この付近の旧道(大村側)
やがて左から一車線の車道が合流してきます。
0
9/24 9:56
やがて左から一車線の車道が合流してきます。
この辺りは海と並行して進みます。海風があり頬に当たる風が心地よいものです。
0
9/24 9:58
この辺りは海と並行して進みます。海風があり頬に当たる風が心地よいものです。
国道と合流したのち右斜め方向の旧道へ。
0
9/24 10:01
国道と合流したのち右斜め方向の旧道へ。
牛ノ頭千部塔。
0
9/24 10:04
牛ノ頭千部塔。
千綿宿は正式な宿場町ではないものの商工業で栄え往時の賑わいを入母屋造妻入の住宅に感じることができます。
0
9/24 10:06
千綿宿は正式な宿場町ではないものの商工業で栄え往時の賑わいを入母屋造妻入の住宅に感じることができます。
旧道筋は静かな空間が保たれているように見えます。商工業の町だったことから裕福な人が多く芸能も盛んで人形浄瑠璃や歌舞伎などがありました。
0
9/24 10:09
旧道筋は静かな空間が保たれているように見えます。商工業の町だったことから裕福な人が多く芸能も盛んで人形浄瑠璃や歌舞伎などがありました。
橋を渡らずに手前を左へ。かつては制札場があり村の入口でもありました。
0
9/24 10:13
橋を渡らずに手前を左へ。かつては制札場があり村の入口でもありました。
堤防に沿って進みます。
0
9/24 10:14
堤防に沿って進みます。
国道と線路を越えた先あたりで対岸に渡っていたそうです。
0
9/24 10:18
国道と線路を越えた先あたりで対岸に渡っていたそうです。
対岸から見た様子。路盤がしっかり残っています。
0
9/24 10:22
対岸から見た様子。路盤がしっかり残っています。
道標の文字に色が付けられていて見やすいです。
0
9/24 10:24
道標の文字に色が付けられていて見やすいです。
しばらく道なりに。
0
9/24 10:36
しばらく道なりに。
ここは左に。右側のフェンスは腐ってる部分があり寄りかかると危険です。
0
9/24 10:38
ここは左に。右側のフェンスは腐ってる部分があり寄りかかると危険です。
このような景色が撮れるんですが撮ってる時にフェンスがガタっという音がして滑落しかけました。
0
9/24 10:37
このような景色が撮れるんですが撮ってる時にフェンスがガタっという音がして滑落しかけました。
国道と交差します。この付近は本来は坂道の途中から斜めに道があったようですが消滅しているようです。
0
9/24 10:43
国道と交差します。この付近は本来は坂道の途中から斜めに道があったようですが消滅しているようです。
線路と並行して千綿駅へと進みます。ここは線路を敷くにあたって右側の斜面を削った感じに見えますね。
0
9/24 10:47
線路と並行して千綿駅へと進みます。ここは線路を敷くにあたって右側の斜面を削った感じに見えますね。
千綿駅付近の旧道は消滅している箇所が多いです。ここは本来左斜め方向に道があったそうです。
0
9/24 10:49
千綿駅付近の旧道は消滅している箇所が多いです。ここは本来左斜め方向に道があったそうです。
JR千綿駅はJRポスターで話題になっているせいか休日ともなると多くの観光客が訪れます。駅舎の中は喫茶店がありました。11時開店。
0
9/24 10:50
JR千綿駅はJRポスターで話題になっているせいか休日ともなると多くの観光客が訪れます。駅舎の中は喫茶店がありました。11時開店。
歩道橋で国道を渡って向こう側に見える旧道へ。
0
9/24 10:50
歩道橋で国道を渡って向こう側に見える旧道へ。
これも本来の道ではなく迂回路と思われます。この辺りは国道の付け替えや学校の建設によって旧道の痕跡は殆んど残ってないようです。
0
9/24 10:55
これも本来の道ではなく迂回路と思われます。この辺りは国道の付け替えや学校の建設によって旧道の痕跡は殆んど残ってないようです。
ここを右へ。
0
9/24 11:01
ここを右へ。
坂を上っている途中の左手に芝取石があります。
0
9/24 11:06
坂を上っている途中の左手に芝取石があります。
かなりの巨石です。
0
9/24 11:07
かなりの巨石です。
道なりに。この辺りは山側を通りますが地図を見てわかるように海沿いには平地がごく僅かなので山側に迂回する事情があったと思われます。
0
9/24 11:09
道なりに。この辺りは山側を通りますが地図を見てわかるように海沿いには平地がごく僅かなので山側に迂回する事情があったと思われます。
この辺りは駕籠立場があったようです。
0
9/24 11:16
この辺りは駕籠立場があったようです。
急坂を下ります。うどん坂。
0
9/24 11:17
急坂を下ります。うどん坂。
国道と交差します。
0
9/24 11:19
国道と交差します。
江の串川を渡ります。右側が旧道の痕跡。
0
9/24 11:22
江の串川を渡ります。右側が旧道の痕跡。
かつては徒歩渡りだったようです。
0
9/24 11:24
かつては徒歩渡りだったようです。
立派な段々畑が見えますが廃れてしまっています。
0
9/24 11:26
立派な段々畑が見えますが廃れてしまっています。
国道と合流。
0
9/24 11:29
国道と合流。
合流した国道の先にあるのは庄屋の跡。かつての街道は庄屋の前を弧を描くように通っていたようですが痕跡はありません。
0
9/24 11:30
合流した国道の先にあるのは庄屋の跡。かつての街道は庄屋の前を弧を描くように通っていたようですが痕跡はありません。
ここを左へ。
0
9/24 11:31
ここを左へ。
この先で再び国道に合流。お昼は右手にある「里の海」で頂きました。
0
9/24 11:39
この先で再び国道に合流。お昼は右手にある「里の海」で頂きました。
ここを左へ。
0
9/24 12:04
ここを左へ。
若干藪っていますが路盤がコンクリなので大したことはありません。
0
9/24 12:07
若干藪っていますが路盤がコンクリなので大したことはありません。
このような場所をもくもくと進みます。
0
9/24 12:11
このような場所をもくもくと進みます。
駕籠立場があったと思われる場所。景色は良いですね。
0
9/24 12:20
駕籠立場があったと思われる場所。景色は良いですね。
才貫田の旧道トレースですが本来は左に曲がって谷を大きく山側に迂回して抜けていたのですが途中で消滅しています。ここは無難に右に曲がって国道で迂回が良いかもしれません。
0
9/24 12:22
才貫田の旧道トレースですが本来は左に曲がって谷を大きく山側に迂回して抜けていたのですが途中で消滅しています。ここは無難に右に曲がって国道で迂回が良いかもしれません。
ちなみに旧道の一部は良い感じで残っています。
0
9/24 12:24
ちなみに旧道の一部は良い感じで残っています。
かつては石橋が架かっていたといいます。ここを境にして川の左岸へ渡り川沿いに旧道が続いていたと思われますが藪も酷く厳しい状況です。
0
9/24 12:25
かつては石橋が架かっていたといいます。ここを境にして川の左岸へ渡り川沿いに旧道が続いていたと思われますが藪も酷く厳しい状況です。
しかしながら路盤はしっかり残ってる箇所もあるようなので探索してみる価値はあるかもしれません。
0
9/24 12:27
しかしながら路盤はしっかり残ってる箇所もあるようなので探索してみる価値はあるかもしれません。
国道に戻ると消滅していた旧道が現れます。国道は山を切り崩して出来たものですが本来の道は軽トラが止まってる坂を上っていきます。ただし藪が酷く通行は困難です。
0
9/24 12:31
国道に戻ると消滅していた旧道が現れます。国道は山を切り崩して出来たものですが本来の道は軽トラが止まってる坂を上っていきます。ただし藪が酷く通行は困難です。
この崖に沿って続いていたものと思われます。
0
9/24 12:33
この崖に沿って続いていたものと思われます。
逆側を見ると道筋がわかります。
0
9/24 12:36
逆側を見ると道筋がわかります。
しばらく国道を進み次の松原宿へ。
0
9/24 12:41
しばらく国道を進み次の松原宿へ。
右へ。大村線の線路を渡ります。この先にある「さや御前」という石仏は元々は線路近くにあったそうです。鉄道建設に際し移設されたことからも街道は現在の線路上にあった可能性が高いと思われます。
0
9/24 12:45
右へ。大村線の線路を渡ります。この先にある「さや御前」という石仏は元々は線路近くにあったそうです。鉄道建設に際し移設されたことからも街道は現在の線路上にあった可能性が高いと思われます。
線路の先からは海沿いを進みます。
0
9/24 12:46
線路の先からは海沿いを進みます。
そして今は地続きになってる小島の上に「さや御前」が移設されています。
0
9/24 12:48
そして今は地続きになってる小島の上に「さや御前」が移設されています。
「さや御前」は性の神様と言われています。ご神体を見てもわかります。
0
9/24 12:50
「さや御前」は性の神様と言われています。ご神体を見てもわかります。
松原海水浴場。
0
9/24 13:01
松原海水浴場。
橋を渡ります。旧橋は左手にありました。
0
9/24 13:04
橋を渡ります。旧橋は左手にありました。
宿場の出入口には刑場や墓があることが多いですが松原宿においても例外ではなく墓がありました。この3つの墓石は相撲取りの墓と言われています。
0
9/24 13:05
宿場の出入口には刑場や墓があることが多いですが松原宿においても例外ではなく墓がありました。この3つの墓石は相撲取りの墓と言われています。
古い家が所々に残っています。松原宿は全体的にこじんまりとしていますが彼杵宿と大村宿という大きな宿場に挟まれた場所なので仕方ないのかもしれません。
0
9/24 13:10
古い家が所々に残っています。松原宿は全体的にこじんまりとしていますが彼杵宿と大村宿という大きな宿場に挟まれた場所なので仕方ないのかもしれません。
かつて旅籠として営業をしていた建物。昭和40年代まで民宿としても営業していたといいます。
0
9/24 13:15
かつて旅籠として営業をしていた建物。昭和40年代まで民宿としても営業していたといいます。
松原八幡への参道。ちょうどこの付近が松原宿の中心だったようです。
0
9/24 13:17
松原八幡への参道。ちょうどこの付近が松原宿の中心だったようです。
庄屋屋敷跡は学校になっていました。
0
9/24 13:30
庄屋屋敷跡は学校になっていました。
国道に合流。右へ。横断歩道を渡ります。
0
9/24 13:34
国道に合流。右へ。横断歩道を渡ります。
ここを左の旧道へ。
0
9/24 13:38
ここを左の旧道へ。
右へ。国道と交差します。
0
9/24 13:42
右へ。国道と交差します。
やがて川とぶつかります。かつては石渡でした。案内看板にはシーボルトの著書にある絵図があり「深くはないが時には急流になる、大きな玄武岩が横に並べてあって」と事細かな記述が書かれています。
0
9/24 13:53
やがて川とぶつかります。かつては石渡でした。案内看板にはシーボルトの著書にある絵図があり「深くはないが時には急流になる、大きな玄武岩が横に並べてあって」と事細かな記述が書かれています。
対岸からの旧道。
0
9/24 13:57
対岸からの旧道。
国道と交差し旧道へ。
0
9/24 13:58
国道と交差し旧道へ。
横にある高架は西九州新幹線のものです。
0
9/24 14:02
横にある高架は西九州新幹線のものです。
この先で国道と合流。しばらく直線が続きます。
0
9/24 14:04
この先で国道と合流。しばらく直線が続きます。
この直線の一部は馬場の名残りで江戸末期には桜が120株ほどあって「桜馬場」とも言われました。
0
9/24 14:27
この直線の一部は馬場の名残りで江戸末期には桜が120株ほどあって「桜馬場」とも言われました。
この辺りは並松宿という間の宿。桜の他にも桃やスギなどが植えられていたと言います。
0
9/24 14:42
この辺りは並松宿という間の宿。桜の他にも桃やスギなどが植えられていたと言います。
旧道に入ります。
0
9/24 14:50
旧道に入ります。
先ほどまでの直線路の延長にあたりますが車がめっぽう少ないだけで随分と雰囲気が違うものです。
0
9/24 14:51
先ほどまでの直線路の延長にあたりますが車がめっぽう少ないだけで随分と雰囲気が違うものです。
ここを道なりに右に。大曲です。この奥に陸上自衛隊の大村駐屯地があります。ちなみに左に曲がれば長崎街道の古い時代の旧道です。
0
9/24 14:55
ここを道なりに右に。大曲です。この奥に陸上自衛隊の大村駐屯地があります。ちなみに左に曲がれば長崎街道の古い時代の旧道です。
この付近は大村駐屯地の人向けの店が多くあるように見受けられます。
0
9/24 14:57
この付近は大村駐屯地の人向けの店が多くあるように見受けられます。
ここを道なりに左に。正面には獄門所があったそうです。先ほどの桜馬場のあたりから隠れキリスタン関連の史跡が多いですが「郡崩れ」で608人のキリスト教徒が捕まり411人が死罪になり、そのうちの131人の首が塩漬けされ見せしめとしてここに晒されたといいます。
0
9/24 15:07
ここを道なりに左に。正面には獄門所があったそうです。先ほどの桜馬場のあたりから隠れキリスタン関連の史跡が多いですが「郡崩れ」で608人のキリスト教徒が捕まり411人が死罪になり、そのうちの131人の首が塩漬けされ見せしめとしてここに晒されたといいます。
ここは直進。旧道へ。
0
9/24 15:15
ここは直進。旧道へ。
道なりに進み左手の旧道に入ります。この奥には大村家の菩提寺である本経寺があります。
0
9/24 15:17
道なりに進み左手の旧道に入ります。この奥には大村家の菩提寺である本経寺があります。
直角に曲がってその先でも直角に曲がります。
0
9/24 15:18
直角に曲がってその先でも直角に曲がります。
ここを右へ。道標があります。
0
9/24 15:21
ここを右へ。道標があります。
ここを左へ。ここにも道標があります。この先は一直線で大村城下に入って行くわけですが大曲から続いた変則的な道の形状は防衛上の意味など城下町によくある街道の形態と言ってもよいと思われます。
0
9/24 15:24
ここを左へ。ここにも道標があります。この先は一直線で大村城下に入って行くわけですが大曲から続いた変則的な道の形状は防衛上の意味など城下町によくある街道の形態と言ってもよいと思われます。
この川を渡った先が城下の入口にあたります。先ほどまでの場所は郊外にあたり明治時代までは田畑が広がっていたそうです。
0
9/24 15:37
この川を渡った先が城下の入口にあたります。先ほどまでの場所は郊外にあたり明治時代までは田畑が広がっていたそうです。
大村宿。この辺りになると大きな賑わいがありました。
0
9/24 15:47
大村宿。この辺りになると大きな賑わいがありました。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する