記録ID: 36050
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ハイキング
京都・北摂
囲炉裏村 【大将オフ】五月山に登った後は野外宴会だぁーっ!
2009年03月20日(金) [日帰り]
Taisho
その他14人
- GPS
- 07:55
- 距離
- 7.5km
- 登り
- 338m
- 下り
- 323m
コースタイム
阪急池田駅⇒池田城公園跡⇒五月平高原コース入口⇒日の丸展望台⇒望海亭跡⇒五月山動物園⇒松楓台(野外宴会)⇒阪急池田駅
天候 | 曇り/晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年03月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
◆池田城の歴史 (池田市観光協会HPより転載) 池田城は室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯を支配していた地方豪族・池田氏の居城です。池田氏の祖先は明らかではありませんが、鎌倉時代の13世紀末頃から文書に見られるようになります。池田氏は、15世紀の中頃から勢力を拡大、当時の権力者であった摂津守護・細川氏の家臣として、摂津の豪族の中で有力な位置を占めていました。 当時の池田は、京都・能勢地方・西宮とを結ぶ交通の要衝地で、街道沿いに家が建ち、「市」が立ち始めるようになったのが町の始まりと考えられ、また、これに伴い池田城が築城されたと推定されます。 15世紀末から16世紀初め頃、池田氏の招きで、当代きっての連歌師・牡丹花肖柏をはじめ、多くの文人達が池田を訪れ、池田の文化形成に大きな影響を与えました。 しかし、栄華を誇った池田氏も、戦国時代末期の永禄11年(1568)、織田信長の摂津入国で降伏、城主・池田勝正をはじめ池田氏は、信長の家臣に組み込まれました。その後、池田氏の内紛に乗じて、旧家臣の荒木村重が池田城を支配。村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となりました。 ◆五月山動物園 (池田市観光協会HPより転載) 1957年(昭和32)4月に開園した五月山動物園ですが、今ではオーストラリアからやってきた有袋動物ウォンバットが、その代名詞とも言える存在となりました。 ウォンバットは、友好姉妹都市提携を結ぶオーストラリア・タスマニア州ローンセストン市から、提携25周年を記念して1990年5月1日に3頭やってきました。'92・'93と相次いで2世が誕生しましたが、ウォンバットの繁殖は大変難しいとされていましたので、その誕生は注目(繁殖賞受賞)されました。 五月山動物園には、そんなかわいい動物達を見ようと、年間20万人余りの入場者で賑わっています。また、動物達に触ることのできる「ふれあい動物園」も大好評です。 |
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