音羽川溪谷 - 半国山 - 宮川
- GPS
- 06:02
- 距離
- 11.6km
- 登り
- 640m
- 下り
- 643m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
感想
この日は、悪天のために前日行けなかった耳川うつろ谷へ再挑戦しようと思っていたのだが、宿の玄関が開く6時を待っていてはかなり難しいことがわかり、急遽早朝に「転進先」をネット検索。
結果、亀岡市の音羽川渓谷から半国山に登ることにしたが、これが正解だった。小さな沢だが、小ぶりながら滝がいくつもあり、そのほとんどがまっすぐ登れるのだ。登るという面では、今回の近畿の3つの沢の中で一番楽しかった。山岳会の沢登り訓練に使われているというのも頷ける。迷った挙句、フェルトではなくステルスラバーの靴にしたのもよかったのかもしれない。
水が枯れたところから道に上がってもよかったが、そのまま本流の沢型を詰めて半国山の山頂に上がった。
音羽川渓谷から登った山頂はかなり広く、三等三角点・半國山の標石がかなり露出して立っていた。
半国山(はんごくやま)とは、播磨、丹波、摂津の3国それぞれの半分ずつを眺められるから、ということらしいのだが、播磨がそんなに見えるのかな?逆に山城は見えないのかな?
登りとは反対側の尾根筋の登山道を降っていくと、亀岡方面の展望が開け、やがて尾根上に神尾山城址の看板。そして尾根の端っこに金輪寺、下まで降ると宮川神社があった。建物の遺構らしきものもあちこちに見られた。
山城は戦国時代のものだが、金輪寺は延暦2(783)年、宮川神社はそれより前の創建だと書かれている。金輪寺は一時、谷筋に坊舎、堂宇が立ち並び、隆盛を極めたとか。しかし、宮川神社が「延喜式内社に比定されている」というのは江戸中期以降流行った権威づけ?の手法のようなので眉唾か?このあたりは偽書「椿井文書」の世界と重なるので、ついそんなことを思ってしまう。でも、少なくとも戦国期にあったのは確かなんだろうね。
しばらく歩いたバス停近くの谷性寺には、明智光秀の首塚があるとのことだったが、バスに乗り遅れるので、寄ることはできなかった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する