西東京バスで水根バス停から奥多摩駅まで戻り奥多摩駅からのスタートです。
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11/21 8:31
西東京バスで水根バス停から奥多摩駅まで戻り奥多摩駅からのスタートです。
奥多摩駅入口信号を右折して国道411号線を進みます。
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11/21 8:36
奥多摩駅入口信号を右折して国道411号線を進みます。
奥氷川神社(武蔵三氷川社)のイチョウが黄金に色づいていました。 境内の三本杉は樹齢 650 年で鎌倉末期のもので、東京都で一番樹高があり天然記念物に指定されているそうです。
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11/21 8:37
奥氷川神社(武蔵三氷川社)のイチョウが黄金に色づいていました。 境内の三本杉は樹齢 650 年で鎌倉末期のもので、東京都で一番樹高があり天然記念物に指定されているそうです。
日原街道入口を過ぎると情緒豊かな家屋が建っていました。
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11/21 8:39
日原街道入口を過ぎると情緒豊かな家屋が建っていました。
氷川保育園前の信号を右折すると直ぐに奥多摩むかし道の案内板がありハイカーの方々がルート確認をされていました。
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11/21 8:41
氷川保育園前の信号を右折すると直ぐに奥多摩むかし道の案内板がありハイカーの方々がルート確認をされていました。
羽黒三田神社表参道の鳥居です。ここは山手の石段七十三段上に古社羽黒三田神社が鎮座していた事から羽黒坂と呼ばれるようになったそうです。小河内方面からの木炭や氷川方面からの上げ荷の人々が苦労して登った坂だそうです。
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11/21 8:43
羽黒三田神社表参道の鳥居です。ここは山手の石段七十三段上に古社羽黒三田神社が鎮座していた事から羽黒坂と呼ばれるようになったそうです。小河内方面からの木炭や氷川方面からの上げ荷の人々が苦労して登った坂だそうです。
道幅が比較的広いハイキングロードです。
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11/21 8:47
道幅が比較的広いハイキングロードです。
東京都水道局小河内線(水根貨物線)第三氷川トンネル跡です。昭和32年に小河内ダムが完成するまで、奥多摩駅から先へ物資を運搬する貨物用線路として利用されていたものだそうです。
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11/21 8:50
東京都水道局小河内線(水根貨物線)第三氷川トンネル跡です。昭和32年に小河内ダムが完成するまで、奥多摩駅から先へ物資を運搬する貨物用線路として利用されていたものだそうです。
廃線跡と紅葉とが自然と歴史を感じさせてくれます。
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11/21 8:52
廃線跡と紅葉とが自然と歴史を感じさせてくれます。
ハイキングコース左下には廃線跡が見られます。
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11/21 8:54
ハイキングコース左下には廃線跡が見られます。
コースを振り返ると紅葉と廃線跡がはっきり見えます。
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11/21 8:54
コースを振り返ると紅葉と廃線跡がはっきり見えます。
地図を確認すると、この下には小川が走っているようで、コンクリート造りの橋が残っています。
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11/21 8:59
地図を確認すると、この下には小川が走っているようで、コンクリート造りの橋が残っています。
幅は狭いですが頑丈そうな橋が架かっています。
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11/21 9:01
幅は狭いですが頑丈そうな橋が架かっています。
立派な石仏が数体並んでいます。
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11/21 9:09
立派な石仏が数体並んでいます。
この辺りから人家が見られ、個人宅のようですが人や荷物を運ぶためでしょうか立派なリフトが設置されていました。
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11/21 9:11
この辺りから人家が見られ、個人宅のようですが人や荷物を運ぶためでしょうか立派なリフトが設置されていました。
槐木(さいかちぎ)のトイレと奥側には併設された休憩所がありとても綺麗にされていました。
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11/21 9:12
槐木(さいかちぎ)のトイレと奥側には併設された休憩所がありとても綺麗にされていました。
槐木(さいかちぎ)のサイカチはマメ科サイカチ属で5〜6月に黄緑色の花を咲かせるそうです。 ここは羽黒坂の急所と桧村からの坂を登りつめた所で、槐木の巨木が地名となり上り下りの人々の休み場として賑わった所だそうです。
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11/21 9:13
槐木(さいかちぎ)のサイカチはマメ科サイカチ属で5〜6月に黄緑色の花を咲かせるそうです。 ここは羽黒坂の急所と桧村からの坂を登りつめた所で、槐木の巨木が地名となり上り下りの人々の休み場として賑わった所だそうです。
ここからも廃線跡の鉄橋が見られました。
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11/21 9:28
ここからも廃線跡の鉄橋が見られました。
ここにも石仏がありました。
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11/21 9:33
ここにも石仏がありました。
幅広な舗装路を独り占めして紅葉を楽しみながらゆっくりと歩けます。
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11/21 9:34
幅広な舗装路を独り占めして紅葉を楽しみながらゆっくりと歩けます。
深紅のモミジに足が止まってしまいます。崖下には多摩川が望めます。
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11/21 9:39
深紅のモミジに足が止まってしまいます。崖下には多摩川が望めます。
ここにも立派な案内板(No4)が設置されています。
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11/21 9:42
ここにも立派な案内板(No4)が設置されています。
この辺りが桧村でしょうか、石碑には、右:さいかちぎ、奥多摩駅。左:さかい、小河内温泉と刻まれています。
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11/21 9:42
この辺りが桧村でしょうか、石碑には、右:さいかちぎ、奥多摩駅。左:さかい、小河内温泉と刻まれています。
「不動の上滝」 旧道下に不動尊が祀られてあることから不動の上滝として行き交う人々に安らぎを与えてきたそうです。 落差は約 7m、近くにはトイレが完備されています。
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11/21 10:00
「不動の上滝」 旧道下に不動尊が祀られてあることから不動の上滝として行き交う人々に安らぎを与えてきたそうです。 落差は約 7m、近くにはトイレが完備されています。
「境の清泉」は奥多摩自然文化百選、東京の名湧水57選だそうです。地元の方が泉の整備をされていましたので説明を受け清泉をペットボトルに詰めさせて頂きました。
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11/21 10:13
「境の清泉」は奥多摩自然文化百選、東京の名湧水57選だそうです。地元の方が泉の整備をされていましたので説明を受け清泉をペットボトルに詰めさせて頂きました。
清泉を使ってわさび栽培をしているようです。
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11/21 10:15
清泉を使ってわさび栽培をしているようです。
「白髭神社」への石段を登ります。
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11/21 10:24
「白髭神社」への石段を登ります。
都指定の「白髭の大岩」の側面に社殿があり祭神は塩土翁神 ( しおつちのおきなのかみ )で、神武天皇に麗しき国大和をお勧めしてご案内した神だそうです。
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11/21 10:26
都指定の「白髭の大岩」の側面に社殿があり祭神は塩土翁神 ( しおつちのおきなのかみ )で、神武天皇に麗しき国大和をお勧めしてご案内した神だそうです。
「弁慶の腕ぬき岩」 腕が入るほどの穴のある自然石で弁慶がぬいたものとして親しまれてきたそうなので愛犬元気も試してみました。
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11/21 10:33
「弁慶の腕ぬき岩」 腕が入るほどの穴のある自然石で弁慶がぬいたものとして親しまれてきたそうなので愛犬元気も試してみました。
「耳神様」とは、昔は耳だれや耳が痛いときはお医者様もいないのでどうしようもなく穴のあいた小石を見つけて耳神様に供えてご利益を祈った民間信仰だったそうです。
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11/21 10:35
「耳神様」とは、昔は耳だれや耳が痛いときはお医者様もいないのでどうしようもなく穴のあいた小石を見つけて耳神様に供えてご利益を祈った民間信仰だったそうです。
このグラデーションも良いですね。
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11/21 10:37
このグラデーションも良いですね。
「いろは楓」は奥多摩の山々に自生する「山もみじ」の一種で「名状すべがたい」と云われているそうです。樹齢 は200 年位の巨樹が三本あり11 月中下旬頃が見頃だそうです。
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11/21 10:40
「いろは楓」は奥多摩の山々に自生する「山もみじ」の一種で「名状すべがたい」と云われているそうです。樹齢 は200 年位の巨樹が三本あり11 月中下旬頃が見頃だそうです。
いろは楓と多摩川を振り返って撮影しました。
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11/21 10:42
いろは楓と多摩川を振り返って撮影しました。
確かに三本生えているのが分かります。
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11/21 10:42
確かに三本生えているのが分かります。
このグラデーションも見逃せません。
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11/21 10:47
このグラデーションも見逃せません。
この景色も最高ですね。
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11/21 10:49
この景色も最高ですね。
「惣岳の不動尊」は明治時代に水根の法印奥平家と惣岳の奥平家によって成田不動尊を観請し昭和 10 年に現本殿・覆舎が再建されたそうです。近くには綺麗に清掃された惣岳公衆トイレがあります。
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11/21 10:58
「惣岳の不動尊」は明治時代に水根の法印奥平家と惣岳の奥平家によって成田不動尊を観請し昭和 10 年に現本殿・覆舎が再建されたそうです。近くには綺麗に清掃された惣岳公衆トイレがあります。
このグラーデーションを撮影するため、慌ててスマホを探しています。
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11/21 11:01
このグラーデーションを撮影するため、慌ててスマホを探しています。
「惣岳渓谷」は太古以来の大洪水によりしだくら谷より押し出した巨岩怪岩が累々として「惣岳の荒」と呼ばれるダイナミックな渓谷。この後吊り橋が2橋かかっているそうです。
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11/21 11:03
「惣岳渓谷」は太古以来の大洪水によりしだくら谷より押し出した巨岩怪岩が累々として「惣岳の荒」と呼ばれるダイナミックな渓谷。この後吊り橋が2橋かかっているそうです。
「厳道(がんどう)の馬頭様」とは現旧道前に「人ひとり行き交う許りなる細道」という細い道で、多くの馬が谷何処に落ちて死んだためその供養に造立されたそうです。
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11/21 11:06
「厳道(がんどう)の馬頭様」とは現旧道前に「人ひとり行き交う許りなる細道」という細い道で、多くの馬が谷何処に落ちて死んだためその供養に造立されたそうです。
「しだくら橋」は長さ67.15mの町内で最も長い吊り橋。この吊り橋の上からは渓谷を眼下に見下ろすことができ圧巻ですが揺れが凄いので直ぐに退散。注意書きとして同時通行は二人迄となっていました。
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11/21 11:08
「しだくら橋」は長さ67.15mの町内で最も長い吊り橋。この吊り橋の上からは渓谷を眼下に見下ろすことができ圧巻ですが揺れが凄いので直ぐに退散。注意書きとして同時通行は二人迄となっていました。
「縁結びの地蔵尊」は人に知られずに二股大根を供えて一心に祈れば「結婚成就」と云われたそうです。
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11/21 11:11
「縁結びの地蔵尊」は人に知られずに二股大根を供えて一心に祈れば「結婚成就」と云われたそうです。
「馬の水のみ場」とは馬を休ませ飼い葉を与えた所で、馬方衆は「たてば」と呼称される茶店で一服休憩したそうです。
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11/21 11:19
「馬の水のみ場」とは馬を休ませ飼い葉を与えた所で、馬方衆は「たてば」と呼称される茶店で一服休憩したそうです。
「牛頭観音(ごずかんのん)」とは旧道の難所にある観音様で、馬よりは小数であったが牛も使役されており牛馬の息災を祈ったものだそうです。
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11/21 11:24
「牛頭観音(ごずかんのん)」とは旧道の難所にある観音様で、馬よりは小数であったが牛も使役されており牛馬の息災を祈ったものだそうです。
「むし歯地蔵尊」その昔、村の人々は歯が痛くなってもどうすることもできず、煎った大豆をお地蔵さまに供えてひたすら一心に祈った民間信仰の跡だそうです。
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11/21 11:27
「むし歯地蔵尊」その昔、村の人々は歯が痛くなってもどうすることもできず、煎った大豆をお地蔵さまに供えてひたすら一心に祈った民間信仰の跡だそうです。
「玉堂歌碑」とは川合玉堂が山村や自然を情緒豊かに描き、短歌・歌集も残した事を記したもの。
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11/21 11:34
「玉堂歌碑」とは川合玉堂が山村や自然を情緒豊かに描き、短歌・歌集も残した事を記したもの。
「道所吊橋」は、しだくら橋より更に奥に架かっていてその姿は無骨で、観光っけのないただただ渡るためだけに架けられたという出で立ちで実用型吊り橋。
しだくら橋より少し短く揺れも少なく感覚的には「安心」であった。
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11/21 11:36
「道所吊橋」は、しだくら橋より更に奥に架かっていてその姿は無骨で、観光っけのないただただ渡るためだけに架けられたという出で立ちで実用型吊り橋。
しだくら橋より少し短く揺れも少なく感覚的には「安心」であった。
道所吊橋からの多摩川の風景です。
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11/21 11:37
道所吊橋からの多摩川の風景です。
紅葉と多摩川は何とも言えない光景です。
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11/21 11:42
紅葉と多摩川は何とも言えない光景です。
この紅葉も素晴らしい。
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11/21 11:43
この紅葉も素晴らしい。
「奥多摩むかし道植樹」は奥多摩町発足40周年記念にあたり植樹したそうです。
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11/21 11:51
「奥多摩むかし道植樹」は奥多摩町発足40周年記念にあたり植樹したそうです。
植樹休憩スペースにて本日のランチです。
テーブルベンチは満席だったため、レジャーシートを広げランチ休憩です。愛犬元気も大人しく待ってくれています。
近くには男女別の簡易トイレもありました。
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11/21 12:00
植樹休憩スペースにて本日のランチです。
テーブルベンチは満席だったため、レジャーシートを広げランチ休憩です。愛犬元気も大人しく待ってくれています。
近くには男女別の簡易トイレもありました。
お昼と休憩を終え出発。西久保の切り返しを過ぎそろそろ急な上り坂になります。
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11/21 12:43
お昼と休憩を終え出発。西久保の切り返しを過ぎそろそろ急な上り坂になります。
ここはまだ平坦です。
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11/21 12:46
ここはまだ平坦です。
急な上り坂を大分進んで来ました。
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11/21 12:56
急な上り坂を大分進んで来ました。
奥多摩湖が見えて来ました。
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11/21 13:03
奥多摩湖が見えて来ました。
「浅間神社」にお参りしましたが何を祀っているかは不明です。
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11/21 13:04
「浅間神社」にお参りしましたが何を祀っているかは不明です。
国道411号線中山トンネル上を通り抜けた辺りです。 路肩にはガードパイプが設置されていますが、転落者が出たとの案内標識があります。高所恐怖症の私は恐ろしくて崖下を見る事は出来ません。
こんな所でトレランしている夫婦に遭遇しました。
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11/21 13:18
国道411号線中山トンネル上を通り抜けた辺りです。 路肩にはガードパイプが設置されていますが、転落者が出たとの案内標識があります。高所恐怖症の私は恐ろしくて崖下を見る事は出来ません。
こんな所でトレランしている夫婦に遭遇しました。
「水根新道」とは明治37年、有志の拠金・用地寄付・労力奉仕等により鎧塚から水根間950mの水根新道が開設されたそうです。
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11/21 13:25
「水根新道」とは明治37年、有志の拠金・用地寄付・労力奉仕等により鎧塚から水根間950mの水根新道が開設されたそうです。
青目不動尊裏手の案内板です。青目不動尊は「キケン立入禁止」となっていました。
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11/21 13:33
青目不動尊裏手の案内板です。青目不動尊は「キケン立入禁止」となっていました。
青目不動尊裏手からの奥多摩湖の様子です。
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11/21 13:34
青目不動尊裏手からの奥多摩湖の様子です。
奥多摩むかし道案内板(No20)です。
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11/21 13:36
奥多摩むかし道案内板(No20)です。
この辺りからはほぼ下りになります。
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11/21 13:38
この辺りからはほぼ下りになります。
大分下って来ました。
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11/21 13:47
大分下って来ました。
水根駐車場が見えて来ました。奥多摩むかし道案内板(No23)を過ぎた辺りです。
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11/21 13:49
水根駐車場が見えて来ました。奥多摩むかし道案内板(No23)を過ぎた辺りです。
今朝車を止めてバスに乗った水根バス停まで戻って来ました。水根駐車場に止めた車にリュックを置き、奥多摩湖まで足を延ばします。
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11/21 13:51
今朝車を止めてバスに乗った水根バス停まで戻って来ました。水根駐車場に止めた車にリュックを置き、奥多摩湖まで足を延ばします。
遠くの山の中腹に先程まで歩いていた青目不動尊辺りが見えます。
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11/21 14:11
遠くの山の中腹に先程まで歩いていた青目不動尊辺りが見えます。
奥多摩湖に出ました。ダムはほぼ満水のようです。
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11/21 14:10
奥多摩湖に出ました。ダムはほぼ満水のようです。
今日のハイキングはここをゴールとしましょう。
お疲れ様でした。
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11/21 14:09
今日のハイキングはここをゴールとしましょう。
お疲れ様でした。
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