記録ID: 3846601
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ハイキング
六甲・摩耶・有馬
行者山 岩倉山 譲葉山 神を祀る三山
2020年08月14日(金) [日帰り]


- GPS
- 03:09
- 距離
- 4.7km
- 登り
- 438m
- 下り
- 437m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:31
- 休憩
- 0:18
- 合計
- 3:49
13:20
57分
スタート地点 逆瀬台小
14:17
14:20
10分
行者山東観峰
14:30
14:40
30分
行者山
15:10
15:15
5分
岩倉山
15:20
40分
鉄塔
16:00
15:20
69分
譲葉山北峰南側岩座
16:29
ゴール地点 逆瀬台小
過去天気図(気象庁) | 2020年08月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
逆瀬台小学校の北西には、譲葉山(西峰552m)の他に行者山(415m)、岩倉山(489m)が鎮座します。岩倉山の名は、神が座す磐座(いわくら)に由来すると言われ、山頂付近には神室が祀られています。また、譲葉山北峰にも2カ所に磐座(526m)(524m)があります。後者の磐座には、「天下泰平 文化一四年丁丑奉納」と刻まれた石碑があります(文化14年は1817年)。神様への供物である「譲葉」の山、修験者である「行者」の山、神を祀る「磐座(岩倉)」の山… 三山から浮かんでくるのは、山岳信仰です。
山から見て東方にある宝塚神社は、昭和41年に素盞嗚(すさのお)神社を合祀し、日吉神社の社名を改め現在に至ります。明治以前までは山王権現と称していました。神社のウェブサイトには「日吉の神(山の神)を勧請せられ、田園地帯には素盞嗚の神(田の神)が鎮座された」と紹介されています。また、譲葉山北峰は、「譲墓岳(ユツリハカ岳)」の別名があり、天保12年(1841)の古地図に記されています。この「譲墓岳」に関連して、六甲山の山名由来に関して、次のような伝説があります。香坂王(かごさかのみこ)は、応神天皇の異母弟の押熊王(おしくまのみこ)と神功皇后討伐のため、挙兵を試みますが、宝塚の亥の谷で赤い大猪に襲われ命を落としてしまいます。香坂王の亡骸は殉死した五人の家臣らと譲墓岳に葬られました。その際、六人の甲冑も埋められたので、六甲山(ムコ山)=武庫山と名付けられたというお話です。六甲山の名の由来は諸説ありますが、甲冑埋蔵伝説は、北峰二カ所の磐座の所在と相まって誠に興味深い限りです。
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