記録ID: 39242
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ハイキング
大山・蒜山
トホレコ(日本縦断徒歩旅行の記録)41・日本海、ひたすら〜5(大山の麓を行く。)
2006年10月31日(火) 〜
2006年11月02日(木)

- GPS
- 56:00
- 距離
- 62.4km
- 登り
- 91m
- 下り
- 84m
コースタイム
10/31 大山の麓
11/1 皆生温泉
11/2 島根大根島
11/1 皆生温泉
11/2 島根大根島
過去天気図(気象庁) | 2006年10月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
10/31 7時頃起床。まだ風邪気味のようで少し頭が痛い。まあ、そのぐらいの方が、朦朧と霞む無可不の境地を彷徨うやうな風情があって楽しいかもしれない。ブレンディを啜りつつ、今朝も二時間ほどラッパを吹いてから出発。お陰様で今朝あたりはだいぶ良い音出るようになった気がする。 しばらくは9号線を歩いていくが、国道沿いを歩いているとシクシクとこめかみの辺りが痛んでくるやうだ。下市という所を過ぎた辺りから海沿いの裏道に入ってみる。ちょっと国道を逸れただけで随分静かになるものだ。やがて道は海沿いに出る。誰もいない海岸に沿ってトボトボと歩いていく。そう言えばさっき国道を歩いているとき、甲川を渡ったのだが、随分ちっちゃい川だったな。この辺で“甲川”と言えば、百名谷にもなっている、あのゴルジュの沢であろうと思われるのだが、あんな小さな流れで函状地形など発達するものなのだらうか?と他人事ながら心配になった程だ。 ほのぼのとした海岸沿いを名和あたりまで歩いて、再び国道に復帰。遠くに風力発電の巨大な風車が5台、6台と並んでいるのが見える。今日はあいにくの無風。西陽を浴びたシルエットはさながら超古代遺跡のやうでもある。あの変な流線型はエヴァンゲリオンに似てると言えなくもない。 淀江付近の交差点で、コンビニ風のスーパーを見つけて買い物。海岸に出てみるとうまい具合に砂浜がある。近くには水道もある。砂まみれの食器を洗うにはちょうどいい。今夜はここで野営とする。 それにしても、ここ二三日で急に冷え込むやうになって来やがった。冷たい空気がツンツンと鼻腔の奥を突いてくる。ふと、懐かしいやうな気持ちがしたのは何故なんだろう。そんな秋の風情。 夜、いつものやうに焚き火で黄昏ていると、出し抜けに背後から声をかけられる。まさか人が来ようとは思いもよらぬ、そんな世界の隅っこみたいな冴えない浜辺のことなので、かなり吃驚した。背後にはなんと、潜水服のオヤジ。こうこうとヘッドラムプを光らせている。二度吃驚だ。これから海に入るんだとか。なぜかさつまいもを三つくれた。 「魚が獲れたら分けてやる。」 などと言い残して、オヤジは海に消えて行った。こんな時間に素潜り漁か・・・。男前過ぎるぞ。ちょっと風邪気味だし、今夜はさっさと寝てしまおうと思っていたのだが、折角なんでオヤジの帰りを待つことにする。焚き火のそばで食後のコーヒーなど啜りながら、先日買った中島らもの「今夜すべてのバーで」など読みつつ気長に待ってみる。そのうち、オヤジ帰ってきたが、こちらには声もかけずにさっさと行ってしまった。ま、案外そんなものかも知れないね。魚獲れなかったのかも。テントに戻って、本の続きを読む。興が乗って、最後まで一気に読み通してしまった。もう3時じゃねえか。それにしても、らもさん、あのタイトルはずるいでしょ。 11/1 たうたう十一月になってしまった。嫌な季節だ。僕はこの“十一月”ってやつがどうも苦手である。唯々悪い知らせが来るのを待ち続けているやうな、そんな心細い気分になってくる。冬が来てしまえばむしろ心が定まるのだが、あの十一月の不確かな空気はやりきれない。これから僕は、この秋のもっとも深いあたりを、山陰の海沿いの風景の中で彷徨い歩いていくことになる。 昨夜ついつい夜更かししてしまったもので、相変わらず頭は重くてだるい。都合よく空からはパラパラと冷たい雨粒が落ちている。今日は休めってことなのか?と勝手な解釈を決め込んで二度寝。神様、相変わらず頓知効いてるよなぁ。雨はさひわひすぐに止んで、晴れ間もちらほら。昼前にはテントを畳んで出発する。もうあと5〜6kmも歩けば皆生温泉である。そのくらいは移動したってバチは当たるまい。 9号線沿いを歩いていると「一歩」なるラーメン屋を発見。仲々良い店構えである。こういう店をみるとついつい入ってしまうな、俺は。屋号の通り、「はじめの一歩」がずらりと揃っている。味は案外あっさり系の鶏ガラスープにほそ縮れ麺である。 続いてJascoで買い物。“アゴカマ”ってものを買ってみる。この辺の名物らしい。他に味噌や納豆、焼酎などを購入。浜辺で酒盛りの体勢を整えておく。なんと、“アサヒ”が手に入った。先日買った“わか松”もまだ残っているが、ここは買いだろう。 日野川を渡っていけば皆生温泉の温泉街に突入だ。これで「かいけ」と読む。わりと大きな温泉街である。「清風荘」なる旅館の門を叩いて日帰り入浴を敢行。沢山ある旅館の中からこの宿を選んだのは「清風荘」という名前に惹かれたのである。もう十年も経とうかという以前、道南は有楽部山の麓をヒッチハイクで彷徨ったことがある。車の通りの極度に少ない海岸線の道のことで、まるで先に進めぬまま何時しか夜になってしまった。シトシトと冷たい雨も落ちてくるという体たらく。すっかり弱りきって夜道をトボトボと歩いていると、道端に一軒、古ぼけた民宿が。一夜の宿を申し出るべく、その土間口に立ってみたものの、宿はしんと静まり返っている。お勝手と覚しき方から明かりがもれて、人の気配がする。 「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」 大きな声を出してみると、奥から腰の曲がった婆様が出てくる。 「今夜一晩、素泊まりでお願いしたんですけど。」 「はあ、お泊りになる。素泊まりというと、大体幾らくらいなもんだべか。」 いや、それはこちらが訊きたいので。民宿など利用した経験もなく、相場も見当がつかなかったので、いい加減にあたりを付けて、指を二本立てて示してみる。 「こ、これくらいで、如何?」 「はあ、二千円。ちょっと待ってくれろ。爺様、爺様。」 老婆は奥へ引き返して行く。爺様と相談を打とうというので。ところが、この婆様の問いかけに対して奥から聞こえてくるのは、唯々巨大な高鼾ばかりである。およそ人の鼾とは思えない、なにか得体の知れぬ真っ黒な生き物が、昏々として惰眠を貪るかの気配だ。婆様が無理に揺り起こそうとするたびに、「がおおお」という肉食獣の咆哮にも似た雄叫びが、暗い廊下を朗々と響き渡って、土間口まで筒抜けである。 「じ、地獄の番犬、ケルベロス・・・」 薄暗い土間口に待たされた僕は、思わずそんなことを独り言ちた。やがて婆様も諦めて戻ってきて、枕代は二千円と話がまとまった。二階のかび臭い一室に案内されたが、腰の曲がった婆様のことである。布団の準備もままならない。結局それは僕が自分で済ませたので。その侘しいせんべい布団に潜り込んでからも、階下からは例の地獄の番犬の高鼾が幽かに聞こえてくる。僕にはこの家が民宿として成り立っていることが、とても現実とは思えなかった。一体どうしたことだ?これではまるで漠然たるものじゃないか。湿気た布団の中でしばらくまんじりともしなかったが、何時しか、妙に窮屈な眠りの中に落ち込んで行った・・・。 と、まあ、粗方そんな事があったので、「清風荘」という名前に過敏に反応したわけである。ただし、当地の清風荘は第一級の設備を備えた上等の宿である。日帰り入浴も800円と安くはない。泉質も仲々のものである。久々に湯の花が舞う湯船に浸かった。舐めてみると、にがいやうな、塩っぱいやうな、不思議な味わいである。 この温泉街には謎に高級特殊浴場が多く軒を連ねている。古き良き時代の温泉ごっこなどして遊ぶ御仁も多いものと見える。客引きの兄さん方の愛想が良くて、 「お、日本縦断かい?」 などと声をかけてくる。さすがに、「只にしといてやるよ」とは言ってくれなかった。 旅館街を海岸へと抜けると、広々とした砂浜が広がっている。なんでも、ここいらの砂浜はかつて盛隆を誇ったタタラ場によって出来たものらしい。砂鉄を処理した残りの砂をみんな海に流したのである。凄い話だ。そんなんで、これだけの長大な砂浜が出来上がるものなのだろうか?そりゃ、おっことぬしだって怒るだろう。おっことぬしってのは「もののけ姫」に出てくる、いのししの神様。僕はあの話の舞台は山陰のこの辺りなんじゃないかと想像している。出雲大社も近いし、神高い土地であることには違いあるまい。 その製鉄業が衰退して、山から砂が供給されなくなると、今度は海岸が浸食され始めた。今では旅館街のある辺りでさえ、ウカウカしてると海に飲まれそうな勢いなのだとか。それで海岸沿いにはテトラポットのバリケードが断続的に築かれて、見事なまでに景観を損ねている。バリケードとバリケードの間から、海岸の浸食はなおも続き、上空から見るとこの砂浜は櫛状に削れているのだそうである。今後は人工リーフというのを海底に沈めて、波を消そうという試みがなされていく様である。うまくいってほしいものだ。 旅館街からテキトーに離れたあたりまであるいて野営。マキはしこたまある。まだ明るいうちから焚き火に点火。やや風があって盛大に燃え上がる。うひょひょひょ、燃えろ燃えろ。概ね快適だが、湯冷めして風邪をこじらせそうだな。 11/2 今朝も明け方少し降ったようだが、すぐに上がる。砂浜を西へと辿っていく。なるほど、話に聞いたとおり、砂浜は断続的に半月形に抉られている。皆生漁港まで砂浜沿いを歩いていく。漁港でおっちゃんに話しかけられる。曰く、 「旅から学ぶことはありますか?」 え?学ぶって、旅から?ちょっとドキッとした。そうだなあ、何も学んでないかも。唯、一日歩いて、テント立てて、飯食って、寝て、また歩いて、その繰り返しだ。強いていえば焚き火を着けるのはうまくなった気がする。そんなんじゃ、ダメなんだろうか。世間様に顔向け出来ないやうな気もする。 皆生の砂浜から北西に海岸を辿っていくと“弓ヶ浜”という長大な砂浜に出る。一応どんなところか見に来てみたのだが、ちょっとがっかり。波に削られた急な砂浜は非常に歩きにくい。遥か北方には三保関の半島、振り向くと大山が遥かに霞んでいた。防風の松林に入って松ぼっくりの写真などとってみたが、それもすぐに飽きて、内陸の方に戻ってみる。 大篠津というところから線路を越えて中海のほうへ抜けてみる。三保湾にそって北に進めば境港だったが、今回のところはパス。彼の地には“水木しげるロード”などもあって、一大妖怪ワールドの様相を呈しているやうだが、別に妖怪趣味などは持っていない。大篠津には米子空港や航空自衛隊の施設がある。フェンス越しに広々とした敷地が広がっているのが見える。たくさんのススキが真っ白な穂を振っている。空港の敷地をフェンス越しに眺めるときには、一種独特の寂しいやうな気分になるものである。 運河みたいなものに沿って歩いているうちに、中海で行き止まりになってしまう。やや北方に大きな橋が架かっているのが見える。橋の袂までまっつぐに突っ切って行こうかと思ったのだが、思いのほか道が入り組んでおり、返って遠回りになってしまう。 さて、この大きな橋から江島というのに渡って、そこから海中道路みたいなのを歩いていくと大根島に上陸である。上から読んでも下から読んでも“島根大根島”。いとおかし。この島はボタンが名産らしい。西日を浴びつつ緩やかな丘の上の道を辿っていく。丁度下校時間なのか、沢山の小学生とすれ違う。みんな口々に「こんにちわぁ」って元気良く挨拶していくのだが、数が多いので返事をするのも大変だ。困ったな、無視するのも教育上どうかと思われるし。こんにちわ、こんにちわって言うんじゃないの。 やがて夕陽は瓦の陰に。あっさり宵闇が降りてくる。今夜の寝床はどうしたものか?これといった妙案もないまま、取り敢えず海辺へ下りてみる。海沿いの土手みたいな所のに無理やりテント立ててみた。我ながら変なところに設営したものである。焚き火がない夜は何時以来だろう? |
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