桜咲く延命公園の思い出歩き
- GPS
- 02:45
- 距離
- 2.1km
- 登り
- 123m
- 下り
- 111m
コースタイム
- 山行
- 2:46
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:46
過去天気図(気象庁) | 2022年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
こんな晴れた日。
桜も我が世の春とばかりに咲き乱れ始め、少々の体の不具合で家でじっとなんかしてられない。
調子に乗って休みの度に山ばかり歩いているから、足裏が痛くて悲鳴を上げてるので、最近は楽そうな山ばかりを選んでいます。
今日はその最たるコース。
お散歩コースということで、間もなく(まだまだ先か😆)山デビューさせる孫の春斗とその母親である長女も誘いましたが、2時間待ってもお昼寝から起きてこないので仕方なく、ソロソロ、ソロっとソロで出かけました。
自宅から10分ほどの距離の八日市延命公園野外ステージ前の駐車場にたどり着きました。
やはりなかなかの盛況。
満車だったのに丁度2台空いた片方のスペースに車を停めました。
まだ真新しい簡易トイレもあり、助かります。
保育園の園児たちや小さな子供を連れた家族、女子高生、そのほか女性の姿が目立ちました。
目の前は八日市駅。
ゴットン電車が時折信号機カラーで行き交います。
桜はこの暖かさに満開の枝もあれば、6分咲きくらいの樹もありました。
今週末がピークではないでしょうか。
この延命公園。
私が幼児から10代前半までの遊び場だったんです。
10代、20代の頃はデートや待ち合わせ場所にも利用させてもらいました。
近くの線路の向かい側の広間の駐車場では、毎夏江州音頭の夏祭り。
屋台もいっぱい並び、夕方になるのを待てずに幼かった私は、お袋からチャリ銭をせびり、目と鼻の先にある飲み屋街の古ぼけた店舗兼自宅から駆け足で辿り着き、得意だった金魚掬いのおじさんに無理を言って営業前の金魚を掬っては何枚も網を破いたものでした。
だから歩くたびに、あの場所、この場所でと思い出が蘇ってきます。
この階段だったか、亡くなる数年前にお袋と2人きりで散歩に来て、ここに座り、コンビニで買ってきた弁当かおにぎりを食べたっけ。
その日もこんな春でした。
一つの大きな岩は、当時、下の遊具のある公園から上がってることができて、しかも周りに木々が生い茂り、秘密基地のような感じで、悪ガキたちが悪いことのできる場所だったのですが、今は写真のように木や藪で埋まりお役目ごめんになったようです。
猿の檻には一太郎くんという男の子が睨みを効かせていました😅
案内板を見ると、もう30歳。
野生で6年、飼育下で27年の平均寿命ですから、もうおじいちゃん、長生きの部類に入ります。
中腹の岩場は、二十歳そこそこの頃、「男女の友情なんてあり得ない」ことではないことを実感した、仲の良かったガールフレンドとコンサートの帰りに立ち寄り、星空を眺めながらいろんな話をした記憶があります。
でも何を話したのだろう。
ただ一つだけ覚えてるのは、彼女が私の髪を触り(今はなき⁉️)、「まーちゃんの髪はやわらかいね」と言ったこと。
あれは予知能力だったのか😆
青空に縁取られたこの桜は、命迸る勢いに圧倒される思いでした。
美しい。
何が美しいのかって、わずか1週間ほどの間に、己の命を燃焼させるかのように咲き乱れ、その後、桜吹雪になって潔く散っていくその生き方に、人の、自分の命を重ね見るからではないでしょうか。
展望所からは伊吹山から鈴鹿山脈を一望できます。
これまで登ってきた山や峠、稜線が遠く近く、誘うように、また突き放すように、聳え立っていました。
そして不安定で危ないからか、いつしか囲われてしまった小さなステージのようなフラットな2枚岩。
今でも忘れない25歳の時。
当時付き合っていた7つも年上でダンスの得意な女性に手取り足取り社交ダンスを教授されたシーンが思い起こされました。
不器用な私は何一つ出来ず、足を絡ませたことしか覚えていません😅
公園上水道施設を超えて階段を上がり、しばらく進むと左によく見ないと見過ごす踏み跡のある脇道があります。
実は今日、この山道を歩くのが目的でありました。
ボルダリングのできる岩が幾つもあるらしく、コースになってるそうなのです。
そんなところがあるのを今まで知らず、ヤマレコに投稿されてるのを見つけて一度訪れたいと思ってました。
ボルダリングやロッククライミングを他人がやってるのを見るのは好きですが、高所恐怖症の私にはとてもとても無理です。
畳6畳ほどの大きなテーブル岩もありました。
ここで休憩し、遅すぎる昼食、と言ってもインスタントラーメンを食べたのですが、後でカミさんにこんなところを発見したと写真を見せると、「あんた、こんなとこでそんなラーメン食べてると、変態と思われるで」とバッサリ。
山活に興味のない人にはそんな風に見えるのですかね❓
ポカポカ暑いほどの春の陽だまりの中、即席ラーメンは喉越しに熱かったです😆
昼食後、ボルダリングコースを歩いていくと、少しずつ離れた場所にさまざまな大きめの岩がありました。
自分でも登れそうな岩もありましたが、岩をじっと見つめ、手や足の置き場をシュミレーションしてもなかなか難しそうな岩がほとんどでした。
開けたところからは展望のご褒美がありました。
小さな冒険を終え、遊具のある公園所まで降りてきました。
そしてまたふと立ち止まり、2つのベンチを見つめました。
もう45年前の話。
たしか中学の卒業式を終えたばかりかその前だったか。
別々の高校に行くことになった、交換日記を続けていた彼女と、最初で最後のデートの待ち合わせをした場所。
当時のベンチとは多分違ったでしょうが、再びそこに座り、先に来ていた私は今か今かと向こうの踏切を自転車に乗って渡ってくる彼女の姿を探してたあの時の気持ちを思い出そうとしていました。
還暦親父。
こちらの方が変態かもしれません。
でも、心はいつも新鮮、若い気持ちを持つことを誰も咎めはしないでしょう。
そしてこの崖。
昔は下の石壁なんかなく、滑り落ちる崖を何度もよじ登っていたガキの頃を忘れてなんかいません。
懐かしいな。
本当に懐かしい。
子供のままの友達の顔や、まだ若かったお袋の姿まで次々と連想していました。
そうそう、ここの公園の端っこ、道路側の急な細道から前述した隠れ基地岩によじ登っていました。
桜、さくら、サクラ。
周囲にホテルやビルが建ち、少しずつ変わっていく中、毎年変わらず咲き続けてくれている。
幼き日の思い出も、若さゆえの悲しみも飲み込んで、まるで吐き出すかのように硬くて冷たい樹からやわらかで気品ある桜色の花を咲かせてる。
松尾神社横の沼にも立ち寄ってみました。
まだ幼稚園の頃だったか、現在はコンクリートになった底はまだドロドロの、幼児の力では抜け出せないくらいの泥沼でした。
何が面白かったのか、裸足でそこに入り、何やら遊んでいたのです。
大人になってからも、いろんな底なし沼にハマり込んでは、時には誰かの力を借りてどうにか抜け出しては再び歩き始めたのでした。
いやあ、お気軽なお散歩のつもりが、時に精神的にハード、時にほんわり温もりとなって返ってくる思い出たちとの再会になりました。
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