記録ID: 4153054
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ハイキング
金剛山・岩湧山
河泉街道(泉大津駅〜和泉中央〜金剛寺〜河内長野駅〜観心寺)
2022年04月09日(土) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:11
- 距離
- 31.0km
- 登り
- 425m
- 下り
- 238m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2022年04月の天気図 |
---|---|
アクセス | |
その他周辺情報 | 河泉街道の泉大津〜河内長野までは大阪を歩こう様のHP (http://blog.livedoor.jp/osakawalker/archives/cat_50032826.html)と今昔マップを参考にしました。 河泉街道の河内長野〜観心寺までは日本の街道地図と走り歩き旅様(http://kaidourun.livedoor.blog/archives/cat_99794.html)の大沢峠道を参考にしました。大変参考になりました。ありがございました。 |
写真
泉穴師神社の鳥居です。泉穴師神社は和泉国の二宮です。
泉穴師神社
泉大津市内にある最大の神社で、天武白鳳元年(672年)の創建と伝えられています。本殿、摂社住吉神社本殿、春日神社本殿は重要文化財に指定されています。なかでも、住吉神社本殿は文永10年(1273年)の建立で、府内最古の神社本殿と言われています。本殿および春日神社本殿は、慶長7年(1602年)、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改築を行ったものです。拝殿も慶長ごろの建立で、その前に建つ二基の石鳥居とともに、市の指定有形文化財です。
神社境内は多くの樹木でおおわれていますが、高さ20〜33mに達するクスノキ12本は、市指定天然記念物です。これらのクスノキ大木群を含む神社の景観は、江戸時代と大きく変わらず、往時の姿を色濃くとどめています
(出典)泉大津市 「泉穴師神社(豊中)」 URL:https://www.city.izumiotsu.lg.jp/kakuka/koushitsu/hishokoho/tantougyoumu/shinainomeishokyuuseki/izumianashijinnjya.html
泉穴師神社
泉大津市内にある最大の神社で、天武白鳳元年(672年)の創建と伝えられています。本殿、摂社住吉神社本殿、春日神社本殿は重要文化財に指定されています。なかでも、住吉神社本殿は文永10年(1273年)の建立で、府内最古の神社本殿と言われています。本殿および春日神社本殿は、慶長7年(1602年)、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改築を行ったものです。拝殿も慶長ごろの建立で、その前に建つ二基の石鳥居とともに、市の指定有形文化財です。
神社境内は多くの樹木でおおわれていますが、高さ20〜33mに達するクスノキ12本は、市指定天然記念物です。これらのクスノキ大木群を含む神社の景観は、江戸時代と大きく変わらず、往時の姿を色濃くとどめています
(出典)泉大津市 「泉穴師神社(豊中)」 URL:https://www.city.izumiotsu.lg.jp/kakuka/koushitsu/hishokoho/tantougyoumu/shinainomeishokyuuseki/izumianashijinnjya.html
泉井上神社境内社和泉五社総社本殿
泉井上神社は「和泉」の地名の発祥となったと伝えられる「和泉清水」を祭っている神社である。
五社総社は、奈良時代に河内国から分離し、和泉国が設置された際、国府の所在地府中に、国内の五社大社である大鳥、穴師、聖、積川、日根を総合して勧請し、参詣の便を図ったといわれている。
現在の本殿は、慶長十年(1605)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したものと伝えれれているもので、国の重要文化財に指定されている。
正面桁行三間、身舎側面二間、屋根が一間分前に延びて庇をなす、「三間社流造」と呼ばれる形式で、檜皮葺きである。正面と両側面には縁を廻して組高欄を設ける。向拝位置は浜床を張って半高欄を置き、五級の階段にも宝珠柱の立つ登高欄を設けている。また、内部は内外陣境を三枚の両開き板戸で分つ。
主要部分は丹塗りで、極彩色を施し、よく当時の様式を残しており、造営時期が明確な社殿として貴重である。
平成3年3月30日 和泉市教育委員会
泉井上神社は「和泉」の地名の発祥となったと伝えられる「和泉清水」を祭っている神社である。
五社総社は、奈良時代に河内国から分離し、和泉国が設置された際、国府の所在地府中に、国内の五社大社である大鳥、穴師、聖、積川、日根を総合して勧請し、参詣の便を図ったといわれている。
現在の本殿は、慶長十年(1605)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したものと伝えれれているもので、国の重要文化財に指定されている。
正面桁行三間、身舎側面二間、屋根が一間分前に延びて庇をなす、「三間社流造」と呼ばれる形式で、檜皮葺きである。正面と両側面には縁を廻して組高欄を設ける。向拝位置は浜床を張って半高欄を置き、五級の階段にも宝珠柱の立つ登高欄を設けている。また、内部は内外陣境を三枚の両開き板戸で分つ。
主要部分は丹塗りで、極彩色を施し、よく当時の様式を残しており、造営時期が明確な社殿として貴重である。
平成3年3月30日 和泉市教育委員会
「西 きしわだ・牛瀧山・さかい道」Jと書いてあるそうです。(出典)大 坂 廻 り と 東 国 の 巡 礼 者一 西 国 巡 礼 路 の 復 元 一 一 田 中 智 彦 URL:http://hist-geo.jp/img/archive/142_001.pdf
北 文化10年(1813)と書かれている様に思います。
南の写真をとり忘れましたが、「南 まきのおみちJと書いてあるそうです。(出典)大 坂 廻 り と 東 国 の 巡 礼 者一 西 国 巡 礼 路 の 復 元 一 一 田 中 智 彦 URL:http://hist-geo.jp/img/archive/142_001.pdf
南の写真をとり忘れましたが、「南 まきのおみちJと書いてあるそうです。(出典)大 坂 廻 り と 東 国 の 巡 礼 者一 西 国 巡 礼 路 の 復 元 一 一 田 中 智 彦 URL:http://hist-geo.jp/img/archive/142_001.pdf
「東 ふぢゐ寺,大峯山・いせ道Jと書いてあるそうです。(出典)大 坂 廻 り と 東 国 の 巡 礼 者一 西 国 巡 礼 路 の 復 元 一 一 田 中 智 彦 URL:http://hist-geo.jp/img/archive/142_001.pdf
巡礼街道の説明板。天野小学校入り口付近にあります。
巡礼街道
(西国三十三所観音霊場の巡礼道)
第四番霊場槙尾山施福寺から天野山金剛寺を経て第五番霊場葛井寺へと続く、今に残る巡礼道
昔々、若き日の空海が槙尾山で修行されていた頃、この辺りを御通行されていました。
その頃の逸話が下里地域に伝承されています。
下里村の伝説
その昔、空海がご通行された時、急に黒い雲に覆われ、天地は鳴り響き、近くの岩や大木が壊れました。そして九つの頭の大蛇が現れ、火を放って空海に飛びかかりました。
空海が一心に念仏を唱えると、白と黒の犬を連れた狩人が現れ、大蛇に向かって弓を射ました。矢は千本の矢に分かれて大蛇に突き刺さり大蛇は倒れました。大蛇の九つの頭はやがて一つとなり、その口の中からはとい香りが立ちこめ、鱗の中から五色の花を咲かせました。
(下里村開創記より)
巡礼街道
(西国三十三所観音霊場の巡礼道)
第四番霊場槙尾山施福寺から天野山金剛寺を経て第五番霊場葛井寺へと続く、今に残る巡礼道
昔々、若き日の空海が槙尾山で修行されていた頃、この辺りを御通行されていました。
その頃の逸話が下里地域に伝承されています。
下里村の伝説
その昔、空海がご通行された時、急に黒い雲に覆われ、天地は鳴り響き、近くの岩や大木が壊れました。そして九つの頭の大蛇が現れ、火を放って空海に飛びかかりました。
空海が一心に念仏を唱えると、白と黒の犬を連れた狩人が現れ、大蛇に向かって弓を射ました。矢は千本の矢に分かれて大蛇に突き刺さり大蛇は倒れました。大蛇の九つの頭はやがて一つとなり、その口の中からはとい香りが立ちこめ、鱗の中から五色の花を咲かせました。
(下里村開創記より)
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