古道探索、信州「塩の道・養老坂道」


- GPS
- 01:34
- 距離
- 6.3km
- 登り
- 190m
- 下り
- 265m
過去天気図(気象庁) | 2014年04月の天気図 |
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アクセス | この日はOn foot! ゴール地点の1キロちょっと先にJR篠ノ井線田沢駅。 |
写真
感想
ことの発端は、僕の棲む信州まつもと北部の住宅街をウォーキングスタイルでそぞろ歩く集団を見たことだった。何を見に? どこを歩きに? と不思議に思っていたら、古代から安曇野と松本を結ぶ古い街道の存在を知ることになる。
敵に塩を送る、という言葉がある。これは、越後の上杉領内から当時武田支配下にあった信州深志の御城下(現代の松本)に塩が届けられた出来事に由来すると聞く。当時、川中島の合戦に伝えられるように、両勢力は幾度も激突し、その影響なのか越後から塩をはじめとする物資が滞り、民はひどく困ったらしい。窮状を知った不識庵謙信は敵地である信州まつもとの民の為に塩を送り、届いた塩に人々は歓喜し、そして市が立って大いに賑わったと伝えられている。この出来事はこんにちでも伝統行事として残り、松本はじめ安曇野各地で「あめ市」として行われている。
この、越後・糸魚川から姫川沿いに北安曇、南安曇の両郡を経て松本に至る道が千国街道「塩の道」。豊科松本間のルートにおいては、後になって平地を通る「真々部道」などが開かれたらしいが、古い時代には山越えのある「養老坂道」が重要路として使用されていたらしい。街道は松本御城下の「へそ」みたいな場所にある「牛つなぎ石」を経て、さらに南の塩尻まで通じている。塩尻が塩の道の終点から名付けられたであろうことは容易に想像できるわな。
いくらか脱線しかけたが、この「塩の道・養老坂道」が僕の棲むまちを通っていて、古道マニアのウォーキング集団を目撃した、というイントロダクションにつながる。街道歩きをテーマにした書籍なども刊行されているらしく、またレポを掲載したサイトも散見されていくつかの手がかりを得た。どうやら僕が朝夕通る通勤ルートとも絡んでいるようで、気になって仕方がないので謎の解明に探索に出かけることなったわけだ。
とにかく、信州塩の道のごく一部区間、松本御城下のはずれから熊倉の渡しまでを歩いてみた。2カ所程ロストしている可能性が高いが、帰路の再確認も含めて概ねトレースできたようだ。今回ゴールとなった犀川の熊倉の渡し以北は、豊科、穂高、池田と宿場を連ね糸魚川に至る。そっちを歩くのは老後の愉しみかなにかに取っといて、現在の自分の生活圏とシンクロしている箇所の確認程度の野歩きだ。しかし....
検証を終えていま、まったく納得できないでいる。謎は深まるばかりだ。
まず、何故、平坦な犀川沿いを選ばなかったのか。犀川を遡り奈良井川に入って行けば、松本御城下はすぐだろう? それを、よりによってこんな急斜面をへつるような這い登るような道筋を、なぜ? この斜面は、北米プレートがユーラシアプレートと接する部分の端っこであって、フォッサマグナ西縁の大断層に向って落ち込んでる箇所だ。交通に適した地形ではない。どなたか答えかヒントをプリーズ。
とにかく、こんな不適地形を馬の背に乗せた荷が通った。物資が運ばれる文字通り大動脈だったわけだ。路傍に祀られたおびただしい数の馬頭観音の存在が、そんな歴史を物語っている。しかしなぜ....
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