1967年冬の遭難事故 千天出会いへ
- GPS
- 80:00
- 距離
- 32.7km
- 登り
- 824m
- 下り
- 824m
コースタイム
1/3 大町=七倉
1/3 七倉 7:30ー湯俣 13:00
1/4 湯俣7:00ーC1 9:10 湯俣10:00−17:00葛着
1/5 葛ー第三発電所=大町=松本
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
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感想
この記録は悲しい記録である。
FACクラブで一緒にも登った4期生の神出君が、冬の硫黄尾根で滑落、行方不明になった記録である。
1967年1月の新年早々の出来事だ。以下日記に記載された経緯を書く。
12月31日に 小学校の同級生の福岡君のお父さんの葬式
1月2日 (2日の朝、5:30ごろ、神出と大島が稜線で表層雪崩に会い、神出が流されて行方不明になる。)夜行列車で大町へ発つ。FACの冬山合宿へ顔をだしに行く。この3年冬の山には参加していない。
1月3日 6:00 七倉着 七倉山荘で大島と長森に会う。2日の早朝の神出の事故を知らされる。
7:30 大島を残して、長森と湯俣に登る。11:00 湯俣到着。長森をC1に行かせ、指示を待つ。湯俣泊
1月4日 C1に向けて出発7:00、長森と合流9:10 伝令を受けて大島とともに下山する。
葛温泉で、リーダーの吉野さんと合流。
1月5日 葛から第三発電所まで歩き、バスで大町へ。さらに松本で大島を病院に連れて行く。
午後1時松本病院へ。
特急あずさで帰京、鎌田宅へ報告。
1月6日 木村会長の指示で茅野へ行き、鹿島さんを探すが会えず、松本へ行く。
1月7日 牛山さんの指示で松本で買い物、大町へ戻り、13:00 葛から湯俣へ行く。綱川と合流。
1月8日 湯俣から大町へ戻る。
1月9日 松本
1月10日 大島・源馬さん、神出クンのご両親も見える。この日の夜行で帰京。
1月11日 朝、鎌田宅へ荷物を置きに寄る。その日大学に出る。ゼミの先生に自分の問題を話す。「ݚ学問を捨てるな」と言われる。Tに電話する。
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