稚内の遺跡


- GPS
- --:--
- 距離
- 134km
- 登り
- 244m
- 下り
- 247m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
利尻礼文への旅が始まった。あっという間に期日が来てしまい、集めた資料の大半は読みきれずに旅程の準備だけはそれなりに頑張った。長年乗っていない飛行機とフェリーの旅はやや不安。まあ、知床のようなことはないものと信じて進むしかない。
前の晩は留守番の弟のために数日分の南インド風のカレーを作り、今朝は四時頃それを食べて始発電車で日暮里に向かいスカイライナーで成田空港に向かう。格安航空券のために羽田からの便は買えなかった。スカイライナーも長らく乗っておらず予約購入した電子チケットも上手くいくか不安だらけ。航空券も予約購入した会社が自動チェックインしてくれるというストレスフリーチケットというが上手く機能するか心配ですそれがストレスだ。昨夜は全仏オープンテニスで大坂なおみが登場したが、赤土の練習はしていたものの実戦不足は歴然で全豪で負かされたアニシモバにまたやられ、一回戦敗けだ。アニシモバはいきなり厳しい攻撃を仕掛けてくることははじめから分かっていた筈だが、この日の大坂のサーブは、アニシモバの攻撃を食い止めるにはクォリティが低すぎてダブルフォルトとアンフォーストエラーの山を築いてコートを去るしかなかったのは残念だ。世間ではウィンブルドン選手権が大変なことになっているらしいことをはじめて知る?ロシアとベラルーシの選手の参加をめぐって主催者とATP
などと対立してポイントなしの大会となり下がる。大坂はポイントなしでは不参加をほのめかすがランキングは気にしないと以前言ってたのは違うのか?
成田空港では果たしてチェックイントラブル。
行く先から出されたQRコードが見当たらず予約番号と名前でのチェックインおまけに予め登録しなかった荷物も重量オーバーで半分預けることになり別料金を取られる。それでも何とか手荷物検査を通過して搭乗口に滑り込みセーフ。バスに乗り機内へ。若い頃は何度も乗った飛行機だがすっかりご無沙汰で要領を得ない。新千歳空港に無事着陸し荷物を回収して稚内空港行きに再びチェックイン、しかし濃霧で出発できるかわからない。結局引き返す可能性アリで出発となる。どうか着陸できますようにと祈るしかない。道北は濃霧が多いようだ。
初めは雲で真っ白だったが稚内に近づくと次第に下降を始め下界がガスの合間からわずかに見えてきた。これは🛬出来そうだとほっとすると最終着陸態勢に入るとアナウンス。予定どおり稚内空港に到着荷物をピックアップして出口の前に陣取るレンタカーブースに立ち寄る。予約した会社の担当者は近くの営業所への送迎から戻りすぐに送ってもらう。ほぼ予定どおり進みラッキー。
レンタカーでまず稚内市樺太記念館に向かう。建物のなかは暗く半分閉まっているみたいだが二階の樺太記念館は開館していた。戦前の日本植民地時代の歴史、鉄道、電源開発、王子製紙、村と町などの歴史の展示のほかに樺太の考古資料の展示がありこれが訪問の主目的。戦前のコレクションは貴重だ。鈴谷貝塚や南貝塚など著名な遺跡出土土器や石器などが並ぶ。貴重な遺物を見学し、次の稚内市北方記念館に移動、稚内市出土の様々な遺跡の出土品を見る。オンコロマナイ遺跡、抜海岩陰遺跡、シュプントー遺跡、増幌遺跡、豊岩遺跡群など、現地の遺跡表示が余りないため出土品の展示は貴重だ。ほかにも稚内に関する自然や歴史の展示があり楽しめる。館は高台にあり稚内湾を見下ろし晴れていれば利尻礼文も見えるだろう。館を後にして、展示で見た遺跡を訪ねる。
最初にノシャップ岬を訪ねる。雲が多く残念ながら見通しは効かない。次に抜海岩に向かう。日本海を見ながら西に向かうと奇妙な形の岩があり、神社がたてられている。こうした岩は神のよりしろなのだろう。この岩陰遺跡からは続縄文時代からオホーツク文化の土器や人骨など多数の出土品がでた。 ここから宗谷方面に戻る。まずシュプントー遺跡、次に恵北遺跡(藪の丘でなにも見えず)、増幌チャシは独立の丘、稚内発祥の地、藩士の墓と巡り、オンコロマナイ2遺跡にでる。ここには
抜海岩陰遺跡についで看板のある遺跡。ここは昭和34年の調査で人骨5体、43年の調査では3体の古人骨がでた。これらの研究はどこまで進んでいるのかわからないが額が広く顔が低いなどの特徴があるという。そして宗谷岬。残念ながら雲が多く遠くは良く見えないがなんとなくサハリンが見えているようだ。岬の規模は小さい。最後に豊岩遺跡群に向かう。宗谷岬からさらに進むと、丘陵の端、道路に面した場所に看板がある。看板があるのは稚内市指定史跡だ。ここは非常に大きな遺跡群らしく北の遺跡地図でも広い範囲に10箇所の遺跡が分布。そのうち豊岩5遺跡は縄文時代前期の北筒式土器など、前期から中期の土器類など、7遺跡は縄文時代からオホーツク、擦文までの4つの時代にまたがる遺跡だという。どこがどのような遺跡か見ただけではわからないが、丘陵を少し登ると貝殻の破片がたくさん落ちている。貝塚があった証拠だ。良く見ると丘陵の間を縫う道の両側の至るところに貝殻が落ちている。すわ!これは遺跡群に関連する貝層の露出かと思ったが、帰宅後稚内市のフットパスのHPなどをチェックしていたら道に貝殻などを撒いている箇所があるとの記事を見つけ、稚内市の教育委員会に電話をして確認すると、豊岩遺跡群の辺りはフットパスには入っておらず辺りの丘陵は、私有地の農場、牧草地になっており、道には農場側で貝殻などを撒いて固めていると言う。やはり遺跡との関係はなかったようだ。
丘陵の間のみちはどこまても続いており途中で引き返し稚内に戻ることにした。市内に戻る途中、メクマミズナラ群生地を通過した。
メクマミズナラ群落(市指定)
所在地 大字宗谷村字増幌
メクマは、声問〜増幌川の海岸地帯の名称で「メ=土地の凸凹、クマ=畝・棒」を意味し、高低のある土地が畝のように延び、まるで魚棚を並べたようだと比喩します。
海岸の国道に沿って一定の高さまでしか伸びないミズナラの大群落があります。ミズナラはブナ科コナラ属の落葉広葉樹・高さ25m・幹の太さ1.5mにもなる高木で、果実は堅果でドングリと呼ばれます。しかしメクマのミズナラは、宗谷海峡から直接吹きつける潮風と、北西の強い季節風のため2mほどに刈り揃えられ、一斉に山側に傾き手をつなぎ励ましあうかのように繁殖しています。
ごく普通に見られるミズナラが、自然の厳しい条件の下で樹形を変えこのような大群落を作っているところは大変珍しいと言われており、 この一部は、市の文化財に指定されています。
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